第34話

文字数 2,205文字


「すみません。おれのせいで、あなたにご迷惑がかかったでしょう?」
「別に……」

 つぶやいて、ワレスは顔をそらす。だが、言葉は核心をついてきた。

「説明してはくれないのか?」

 そのひとことが地下の空気をゆるがすように感じられた。

 ハシェドは思い起こす。
 こうなった、いきさつを。


 ——話があります。


 輸送隊の到着にわく前庭で、とつぜん声をかけられた。
 ふりかえると、若いブラゴール人が立っていた。その顔には見おぼえがあった。以前、ハシェドが自分の弟と見まちがえた男だ。たしか、名前はクオリルと言った。

 クオリルにさそわれて、人目につかない前庭のすみの馬小屋まで歩いた。クオリルはそこで、とうとつに言った。

「兄さん」
「えッ?」

 ハシェドはさぞかし珍妙な顔つきをしていたことだろう。
 なにしろ、意味がわからない。

「えーと、勘違いしてないかな? たしかに、この前は弟とまちがえてしまったけど、あれはただの見まちがいだよ。君のその耳飾りが、おれのやつに似てたしね」

 クオリルは落ちついた表情でうなずく。

「知っていますよ。兄さん。あなたは私の兄上だ。ずっと探していました。母の違う兄が私にいると、父から聞いていた。本来なら、あなたこそ、現在のブラゴールの正式な皇太子のはずなんだ」

 いよいよ、理解できない。

「ちょっと……何を言ってるんだか。おれの母はブラゴール人だけど、父は——」

 ハシェドの反論を封じこめるように、クオリルは強い口調で続ける。

「聞いてください。私たちの父は、ブラゴールの先代皇帝サマンドの第一皇子アッハドです。祖父のサマンド皇帝が崩御するとき、父が皇位を継承するはずだった。しかし、それをよく思わない者がいたのです。父の異母弟にあたる第二皇子、現皇帝のイグナです。イグナの母は父の母より、少しだけ位の高い妃だった。ブラゴールでは一夫多妻制なのでね」

 ハシェドは戸惑った。
 しかし、クオリルはハシェドの話すすきをあたえずに、しゃべり続ける。

「父の母は後宮の妃に仕える侍女でした。イグナの母は、たしかに王族出身の第一皇妃です。だが、サマンド皇帝の遺言で、父に皇位がゆずられたのだ。イグナはそれが納得できず、反乱を起こした。自分に賛同しない者は王であろうと大臣であろうと皆殺しにした。そうやって皇位を簒奪(さんだつ)した。父は国を追われ、ユイラへ逃げました。これが三十年前の血の粛清の真実です」

 ブラゴールが皇帝国であり、その下に地方を統治する王が何人もいることは母から聞いて知っていた。
 しかし、母の国で起こったこの事件が、自分の身につながってくるとは、ハシェドにはどうしても思えなかった。

 クオリルはそれを感じたのか、哀れむような目をむけてくる。

「急にこんなことを言いだして、信じられないのはもっともです。では聞きますが、あなたはその耳飾りをどこで手に入れたのですか? 母上からいただいたのではないですか?」
「ああ……うん」

「その耳飾りは代々、神殿長の家系にだけ受け継がれてきた品です。ブラゴールでは神官も世襲制なのです。
 砂銀石でできた装身具は、皇族、王族、神殿長だけがつけることをゆるされています。そして家系によってデザインが決まっている。あなたのそれは、まぎれもなく、神官のなかでも最高の位である神殿長のためのデザインだ。
 つまり、あなたの母上は、血の粛清のとき、ただ一人、国外へのがれた、神殿長の娘クリシュナ姫です」

 クリシュナ——それは、たしかに母の名前だ。
 それに、母が歌っていた奇妙な抑揚の歌。
 神と語る言葉だとワレスが話していた、神聖語によく似ていた。

 クオリルの目がキラッと光る。

「心あたりがあるでしょう? イグナは皇帝として絶対にしてはならないことをした。神殿は皇族でさえ侵してはならない神聖なもの。それなのに、イグナは自分ではなく、父アッハドを正式な皇位継承者とみとめた神殿を、いつわりの神託をしたと非難し襲撃した。当時の神殿長であるあなたの祖父や、次期神殿長のクリシュナ姫の兄、姫の姉妹や巫女姫たち、大勢の神官を殺した。神殿長の血をひく者で、のがれることができたのは、あなたの母上一人のみです」

 そう。母は言っていた。
 ハシェドがブラゴール人であるとさげすまれ「お母さんの国へ帰ろうよ」と泣いたとき、「お母さまはもう帰れないの」と悲しげに目をふせた。
 ハシェドに酷似していたという伯父が、なぜ死んだのかと聞いたときには、「殺されたの」と泣きふした。
 まちがいなく、母はその神殿長の娘。悲劇の巫女姫なのだと思う。

 クオリルはハシェドの態度を満足げにながめた。

「ですから、あなたは私の兄上なのです。私の耳飾り、あなたの物と似ているが、形が異なる。これは私が父から授かったもの。皇族の皇子のデザインです。
 ほんとうなら、これはあなたに渡されるべきものだ。だが、あなたがまだお腹にいるうちに、クリシュナ姫は追っ手がかからぬよう、信頼のなるユイラ人に託されました。姫が妊娠したとわかったので、その子の命を守るためにです。
 私はその後、逃亡中に父が別の貴族の娘とのあいだにもうけた子です。
 が、なんといっても、あなたこそが、もっとも高貴な血を受けている。正統な皇位継承者の父アッハドと、皇族とは異なる神聖な権威を持つ神殿長の娘のあいだに生まれた第一皇子。父が捕らえられた今、あなたこそが真のブラゴール皇帝です」
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登場人物紹介

ワレス


このシリーズの主役。

愛する人が必ず死んでしまうという運命を背負った薄幸の美青年。金髪碧眼。

霊など普通の人には見えないものが見える。

魔物の巣食う森に面した砦で傭兵の小隊長をしている。

ハシェド


ワレスの部下。分隊長。

褐色の肌に巻き毛の黒髪。はしばみ色の瞳。

おせっかいでお人よしに見えるが、敵国同士の出身の親のあいだに生まれたことで苦労してきた。

エミール


もとワレスの部下。今は食堂の給仕係。

赤毛で左右の瞳の色の違うオッドアイ。

ワレスを好きだが、ワレスが好きなのは別の人なので本人的に面白くない。

クルウ


一見おだやかで優秀。だが、じつは騎士の出身で、なかなか本心を明かさない。

黒髪黒い瞳。端正な顔立ち。

ギデオン


ワレスの上官。金髪碧眼が好みで生粋のゲイ。

国境付近の街の出身。

なんとかワレスをものにしようと何かとからんでくるが、ほんとに愛していた人は死んだというウワサがある。

メイヒル


ギデオンの右腕で第一小隊の小隊長。

金髪碧眼。

ギデオンの言いなり。

ワレスのことをライバル視していたが……。

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