第46話
文字数 2,355文字
ワレスはクルウと顔を見あわせた。
「戦が起こる?」
「ああ、そうだよ。そのために誘われたんだからな。この砦にいるブラゴール人は、たいてい誘われてるさ。砦を辞めて王宮近衛隊にならないか、ってね」
それでわかった。
「クオリルに誘われたんだな?」
ナジェルがうなずくのを見て、ワレスは納得した。
「そういうことか。以前、よその隊のブラゴール人が話しているのを聞いて、砦のなかで反乱を起こすのかと思った。どう考えても割にあわないから変だと思ったんだ。そうか。砦を辞めてというのが前提か。砦を辞めて、クオリル皇子の反乱——いや、彼の言いかたなら王権奪還かな? どっちでもいいが。現ブラゴール皇帝に対して兵を起こす。その兵士にならないかといういうのだろう? 成功したあかつきには、王宮の近衛兵士にしてやると言われたんだ」
ブラゴール人たちが次々、砦を辞めていくのは、そういうわけだ。
「なんだ。知ってたなのか」
「知ってたんじゃない。推測したんだ」
「ふーん。やっぱり切れ者は切れ者なんだね。そんなわけだから、ここにいても今日死ぬか明日死ぬかって場所だ。同じ命を賭けるなら、いっそブラゴールへ帰って、ひと旗あげたいというやつも少なくないね。でもよ、そんなのは戦を知らないやつの言うことさ」
「おまえは違うのか?」
「三十年前……大戦があった。国を二分するほどの。家が焼かれてね。逃げ遅れたじいさん、ばあさん、弟が二人、死んだ。末の弟は赤ん坊だった。お袋がおぶって逃げたんだが、二人とも大火傷を負って……けっきょく逝ったよ。お袋はそのときは命をとりとめたが、けっきょく、そのケガがもとで死んだ。成人していた兄貴たちは戦争にとられて、それっきり。たぶん死んじまったんだろうなあ。あの戦じゃ大勢、兵士が死んだから。
誰が王さまになったって、おれたちの暮らしがよくなるわけじゃない。どっちだっていいんだよ。おれたちの生活が苦しいことには変わりないんだ」
ナジェルはテーブルの上をながめている。誰かの目を見ていては話せないのだとわかった。
「若い連中は、あのころのこと知らないから、おれを腰ぬけだと言うんだが、砦のほんの何十人だかが戦おこして、どうなるっていうのかね。だいたい、おれの聞いた話じゃ、アッハド皇子ってのは優しいだけが取り柄みたいな人柄で、外戚の野心家の伯父さんに、いいように利用されてたとか、なんとか」
「それは私も聞いたことがあります」と、クルウも助成する。
ナジェルが力を得て、熱心に話す。
「そうだろ? おれのうちはこれでも、あの戦前はちょっとは名の知れた宝石商だった。親父なんかは宮殿にも入ったことがあって、内情にくわしかったんだ。血筋から言っても、器から言っても、今さらアッハド皇子が発起したところで、今の皇帝陛下にはかなわんのじゃないかな。おれが五つやそこらのガキで、煙にまかれて、すっころびながら、焼け落ちる家から、はいだしたころの話なんて、ほじくりかえすにゃ古すぎる。三十年前だぜ?」
「国内にアッハド皇子の基盤が残っていれば、望みはあるかもしれないな。さっきの話の外戚の伯父さんとか」
「それはないだろう。だって、あの皇子の母親は平民の出なんだ。踊り子かなんかが、たまたま前の陛下のお目にとまったって話だ。踊り子の親兄弟が宮廷で権勢をふるってられたのも、サマンド皇帝のご寵愛があってこそだ。サマンドさまは亡くなってるし、今になっては各国の王も貴族も動きはしねえよ。今の皇帝のイグナさまは、怒らせると怖いおかただと聞くし」
クルウがまた自分の知識をはさみこむ。
「イグナ皇帝は統治者としては優れています。戦略家でもありますしね。ただ、気性は激しい。アッハド皇子が水なら、イグナ皇帝は炎です。お気に召せば、たいへん可愛がってもらえますが、敵にまわせば恐ろしい相手になります。私もブラゴールへ行ったとき、数度、拝謁したことがありますが、宮廷貴族の掌握は完璧でした」
ワレスは苦笑した。
「それじゃ、クオリルの言いだしたことは、ただの向こう見ずじゃないか。なぜ、砦のブラゴール人たちは、そんな話に乗り気なんだろう? ナジェル、どう思う?」
たずねると、ナジェルは簡潔に答える。
「マハメトのせいだろうよ」
「マハメト?」
また、わからない単語が出てきた。ワレスがクルウを見ると、ちゃんと説明してくれる。
「マハメトは伝道者です。ブラゴールに現在の宗教を広めた人物で、彼自身は神ではありません。結婚もしていますし、子孫もいます。ブラゴールの国内にある神殿は、すべてマハメトの家系が神殿長をつとめています。ブラゴールの首都ラマスタにある神殿は、それらの総本山で、マハメトの直系の嫡男の子孫が代々、神殿長でした。
ですが、三十年前の血の粛清のとき、ラマスタの神殿は焼きはらわれ、神殿長を始め、多くの神官や巫女が殺されました。そのとき、マハメトの直系の血筋は絶えてしまったはずです」
ナジェルがいやに深刻な顔で思案にふけっている。
「おれも……最近まで、そうだと思ってたんだが……」
「というと?」
ナジェルは無意識につぶやいていたらしい。ワレスがたずねると、少しあわてた。
「いや、まあ。民衆は神殿を焼かれたことに腹を立ててる。そこんとこをつかれると、弱いんだな。時の運が味方すりゃ、案外、多くの民が発起に従うかもしれない」
そう言って、また考えこむ。
「おいおい。そういう奥歯にものの挟まったような言いかたをするな。何か気がかりなことがあるんだろう?」
ナジェルはワレスを見つめたあと、ようやく話す気になったようだ。
「そうだな。あんたも知る権利があるだろうな。あんだけ、アイツと親しくしてるんだから」
「アイツ?」
ドキッとする。
ハシェドのことだろうか?