第30話

文字数 1,801文字


 ワレスはいにしえのユイラ人が持っていたという先祖返りの目で、男爵をにらんだ。

 そういうときの自分の目が、青い刃のように底光りすることを、ワレスは自覚していた。これまで何度か、鏡に映るところを見たことがある。
 まるで悪魔だと、そのたびに感じていた。

 ワレスの眼光をあびて、男爵は身ぶるいして黙りこんだ。

 ワレスはたたみかける。

「あなたにとって伯爵がそうであるように、私にはハシェドが大切な友人だ。親友が死にかけていれば助ける。それがあたりまえだろう? なんの不思議がある? 砦の兵士だって、誰も一人で生きているわけじゃないんだ。ともに戦う仲間や友人がいる。それとも、一兵卒には友の死をなげくこともゆるされないとでも?」

 男爵と伯爵はすっかり気負けして、たがいの顔を見あわせている。

「す、すまん。小隊長。そなたの望みを叶えよう」

 小さな声で伯爵が答えた。

 ワレスは席を立ち、深々とひざまずく。皇都の宮廷で、もっとも典雅な貴公子が、皇帝にお辞儀するときのように。
 小隊長の金糸の刺繍(ししゅう)と金の房付きの緑色のマントが勢いよくひるがえる。
 ワレスは自分の所作が他人にあたえる影響を、よく心得ていた。

「非礼つかまつりました。なれど、兵士も血の通った人であります。我々にも友を思う心はあるのだと、ご理解くださいませ」

 伯爵は長らく沈黙していた。そして、深い吐息をつく。

「そなたの言いぶんは、もっともだ。私やエイディは砦でも安全な場所で暮らし、生々しい戦闘の場を知らない。ゆえに大切なことを忘れていたようだ。たしかに、エイディが死ねば、私は嘆くだろうな。よかろう。ゆるす。皇子の子を捕らえたことは、いましばらく都へは知らせまい」

「ありがたき幸せ。では、今夜にでも、その事件にとりかかります。まずは正規隊で起こっているという変死の現場を検分いたしましょう」

「うむ。任せたぞ。小隊長。しかしだ。たとえ、少しのあいだ報告を延ばせても、最終的には、ブラゴール皇子の息子は皇都へ送らねばならない。その点は覚悟しておいてくれ」

 そう。これは一時的な猶予(ゆうよ)でしかない。そんなことは、ワレスにもわかっている。なんの考えもなく、ただ、ごねたわけではないのだ。

「これは私の考えですが、じつは、閣下。ハシェドは誰かをかばっているような気がしてなならないのです。ですので、真相を私が明かすまでの時間がほしい——というのが本心であります」

 伯爵は眉をひそめた。
 国家的な罪人をとり違えたとなれば、たいへんな失態になる。

「というと?」

「ハシェドはつい最近まで、みずからの出生を知らなかったようなのです。十日ほど前、ずいぶん、ようすがおかしかった。おそらく、あのとき、誰かにそれに関した話を聞かされたのではないかと思案します。ということは、ハシェド以上に事情にくわしい何者かが、この砦にいるということになる。
 ブラゴール皇室の内情にくわしい者が、このユイラ国内にどれほどいるというのです? つまり、その者自身がブラゴール皇室の縁者だからと結論しても早急ではないでしょう。このような納得のいかない状態のまま、大切な部下を罪人として送りたくはありません」

「しかし、砂銀石の耳飾りという証拠の品がある」
「お聞かせください。耳飾りにはブラゴール語が刻んであったということですね。それは、なんという言葉だったのですか?」

 伯爵は黙ってガロー男爵をながめた。男爵は小姓に命じて書類を持ってこさせる。

「ここに写しがある。だが、ブラゴールの文字ではあるが、ブラゴール語としての意味はない。語呂あわせと言ったほうがいいか。魔術師の話では、ユイラの神聖語をブラゴール語で当て字したものらしい。本来のユイラ神聖語の意味では、『我は神とともに在る者』と表に刻まれている。裏には『神の言霊』と」

 おかしい。
 王ならば、神に選ばれし者とでも記されているべきだ。
 神とともにあり、神の言霊を語る——
 それは王というより、むしろ神官ではないだろうか?

 ワレスの心に、いっきに光がさした。
 これは、ひょっとすると、ハシェドを救えるかもしれない。

「では、この問題の解決も変死事件と同時にとりくみますゆえ、なにとぞ、それまで、ハシェドの身柄を引き渡さないようお願いいたします」

 ワレスは一礼し、退室した。
 来るときには、あれほど重かった気分が、出ていくときには、すっかり明るくなっていた。 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ワレス


このシリーズの主役。

愛する人が必ず死んでしまうという運命を背負った薄幸の美青年。金髪碧眼。

霊など普通の人には見えないものが見える。

魔物の巣食う森に面した砦で傭兵の小隊長をしている。

ハシェド


ワレスの部下。分隊長。

褐色の肌に巻き毛の黒髪。はしばみ色の瞳。

おせっかいでお人よしに見えるが、敵国同士の出身の親のあいだに生まれたことで苦労してきた。

エミール


もとワレスの部下。今は食堂の給仕係。

赤毛で左右の瞳の色の違うオッドアイ。

ワレスを好きだが、ワレスが好きなのは別の人なので本人的に面白くない。

クルウ


一見おだやかで優秀。だが、じつは騎士の出身で、なかなか本心を明かさない。

黒髪黒い瞳。端正な顔立ち。

ギデオン


ワレスの上官。金髪碧眼が好みで生粋のゲイ。

国境付近の街の出身。

なんとかワレスをものにしようと何かとからんでくるが、ほんとに愛していた人は死んだというウワサがある。

メイヒル


ギデオンの右腕で第一小隊の小隊長。

金髪碧眼。

ギデオンの言いなり。

ワレスのことをライバル視していたが……。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み