長い旅

文字数 2,642文字

 孝三はもう少しで手にしていた縄を川の中に落とすところだった。船を(もや)ろうと縄を手に岸に飛び移ったところで、女房のおさんの姿が見えた。背に赤ん坊をくくりつけたままである。おさんは、今にも泣き出しそうな表情で孝三を見つめている。

 「逃げるよ、あんた!」
 「おまえ…」
 「もう、この娘をあんな所に置いておけん!」

 ごくりと唾を飲み込むと、孝三はすばやく船を舫り、おさんの手を取って船に乗せた。縄を外して自分も舟に移ると、大きく()をこぎだした。赤ん坊が乳なしで生きられるようになったら、連れ出して、三人で逃げよう。この娘が生まれてから、夫婦で、どうやって連れ出そう、どうやって逃げよう、どこへ逃げようと何度も話しあってきた。それでも、孝三にとってはどこか夢のような話だった。だが、おさんが赤ん坊と共に目の前に現れたときに、つき起こされたように体が動いた。どこへ行けば良いのかはわかっている。どこか高揚した気持ちで、長崎から少しでも早く離れようと、力強く櫓をこぎ続けた。

 孝三とおさんが連れて逃げた赤ん坊は、長崎の阿蘭陀(おらんだ)娼館の売れっ()女郎の忘れ形見である。その女郎、おりょうは孝三の父親違いの妹で、赤ん坊の父親は長崎奉行に仕える若い武士だった。二人は恋仲だったが、むろん身分違い、その上孝三の妹おりょうの父親は阿蘭陀人であったから、おりょうも結ばれる夢を見ていたわけではない。それでも、恋しい男の子供を望み、男の子なら兄に育ててくれと懇願(こんがん)した。子供のいない孝三とおさんは快く請け負ったのだが、生まれたのは女の子であった。女郎が産んだ女の子は、娼館で女郎になるべく育てられる決まり。おりょうが、難産のあげくどちらが生まれたかを知らずに逝ったのは幸いだったかもしれないと、孝三もおさんも思っていた。引き取ることはかなわなくても、おさんは赤ん坊の世話をするために娼館に毎日通った。通ううちに、どうにも赤ん坊の運命(さだめ)を受け入れられなくなっていた。逃げようと言い出したのは、おさんであった。

 最初に世話になったのは、赤ん坊の父親の乳母の嫁ぎ先である。乳母だった女は、おさんが大事に身に着けて来た手紙と、亭主の機嫌の悪そうな顔を見比べて、困っていた。夫婦でぼそぼそとしばらく話し合い、孝三たちには、裏の小屋をあてがった。孝三もおさんも、翌日には追い出さると覚悟していたが、朝になると亭主は長崎へ立ち、とりあえず帰って来るまで居て良いと言われた。数日後に帰って来た亭主は、長崎で赤ん坊の父親から金をせしめることができたようで、孝三たちに山の中の打ち捨てられた炭焼き小屋を提供してくれた。

 その炭焼き小屋の周りで、孝三は根気よく薬草をさがし、生薬を作って村に売りに行った。船頭になる前に奉公していた唐人屋敷に住む清国人の薬師の元で手伝いをするうちに身についた知識が役にたった。二人は赤ん坊をおみよと名づけ、おさんは畑を作り、孝三は薬を作って売るおだやかな生活を続けていた。だが、おみよの父親が数年後に亡くなると、炭焼き小屋を出て行って欲しいと言われた。家賃を払うと言っても、夫婦は首を縦に振ってはくれなかった。

 「阿蘭陀人の子供がいると、村で噂になっとるばい」

 孝三とおさんは、作りためた生薬を背負い幼いおみよの手を引いて山を下りた。そして、江戸を目指した。山の中の村ではおみよの色の白さは人目を引くが、江戸なら色白の女も多いだろう、阿蘭陀人の血より日本人の血の方が多いのだ、きれいな娘ですむだろう。


 「旅費はどうしたのだ」

 黙って孝三の長い告白を聞いていた筆頭与力の池田が、初めて口を挟んだ。孝三の顔が苦しそうにゆがんだ。

 「あへんを作って、長崎の唐人に売ったと」

 周りで聞いていた者たちが息をのんだが、池田はおかまいなしに続けた。

 「唐人にだけなのか?」

 孝三は激しく(うなづ)いた。


 江戸について旅籠(はたご)暮らしをしていた時に、二日酔いで苦しむ客に手持ちの生薬をわけたことをきっかけに、生薬屋で働くことができた。やがて、独立して担ぎ売りを始めたが、当たり前の薬だけでは、やはり生活は苦しかった。

 「でも、あんた、これはご禁制だろう」
 「何、少し混ぜるだけと。それでもよう効くばい」

 孝三は、山で見つけて採取した芥子の種を江戸に持ち込んでいたのだった。鉢で育てた芥子から作った鎮痛剤を少し混ぜた孝三の薬は、よく売れた。激しい腰痛に苦しんでいたくれない屋の主人にも、最初はよく効いた。だが、骨にできた腫瘍が原因のため、すぐに効かなくなる。もっとくれと請われても、目の前に金を積まれても、材料はわずかしかない。ご禁制の植物が将軍のお膝元の江戸で生えているわけもなく、孝三は、品川の寮で療養しているくれない屋の主人に頭を下げに行った。

 「ところが、その寮の庭に生えとったとです。手入れされとらん裏庭に雑草と混じって」

 「それが、おまえの蔵に入っていた芥子の葉か」

 孝三はうなだれた。

 裏庭の芥子を見つけても、孝三は躊躇していた。おさんにも、もうこの薬は止めようと、何度も言われていた。だが、店を持たせてやるから薬を作ってくれ、と言われて、孝三は踏み出してしまったのだった。それでも、材料も病人も品川の寮になので、世間に怪しまれることはなかった。本石町の店に家族で移り、おみよをくれない屋から譲られた着物で飾ると、おさんも何も言わなくなった。良い手習い所を見つけたと、さっそくおみよを通わせていた。

 成長したおみよには、妹のおりょうの面影が濃かった。不幸な一生を送った妹のためにも、おみよには幸せになって欲しい、美しい着物を着て、学問も身につけて、好き合った相手と、武士だろうが大店の若旦那だろうが、何の障害もなく一緒になれるような…。

 その夢を見続けるために、くれない屋の先代の死の後、孝三夫婦はどんどん深みにはまっていったのだった。

 「若旦那は芥子のことをご存じだったとです。大旦那がなくなってからも作るように言われて。だんだん、恐ろしゅうなって、芥子を全部刈って、全部薬にして、若旦那に渡して終わりにしようと思ったと」
 「船に積んで運ぶところを見られたのかもしれないな。おまえたちが消えたので、娘をさらおうとしたのだろう。おみよが無事で良かったな」

 孝三夫婦は長崎から始まった長い旅を終え、後悔と安堵の涙にくれながら、池田の前にひれ伏した。それは、長崎という特異な街で生まれた育った孝三が、家族のために足掻(あが)いた旅でもあった。
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登場人物紹介

笠原真輔(旧姓:立花)…旗本の次男坊だが、縁あって八丁堀同心の家に婿に入り、亡くなった義父の後を継いで町廻り同心をしている。婿入りまで算学を学んでいた。妻の百合と心が通じ合えるようになり、町廻りの仕事にもやりがいを感じている。

笠原百合…八丁堀同心の一人娘。父を亡くし、失意の中で真輔を婿に迎える。わけあって、真輔を受け入れられずにいたが、少しづつ心を通わせ思いあう仲になり、本来の自分を取り戻していった。

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