捜索の入り口
文字数 2,803文字
翌日、真輔は奉行所に行くとすぐに、上司の支配与力の土井に芥子の葉を見せて事情を説明した。話を聞いた土井は、さっそく本石町廻りの同心である須藤を呼びよせた。須藤は、なるほど、髷 にかなり白い物が混じり、痩身のせいか皺の多い顔は、土井はもちろん、真輔の父親よりも年上のように見える。
「精丸堂一家のことですか…。昨日、番屋でいなくなったという話を聞いて覗いてみたのですが、なんというか、神隠しでもあったかのようで。着の身着のまま、出奔したようです」
土井の問いに、首をひねるばかりであった。土井に促され、真輔は土井にした話を繰り返した。
「妻は、芥子の葉とは露知らず持ち帰ってきてしまったようで、誠に申し訳ありません」
頭を下げる真輔に、須藤は皺を更に深くして笑顔を見せた。
「いやいや、すぐに拾わねば風に飛ばされてしもうたかもしれませぬ。奥方のお手柄ですな。さすが、源右衛門殿の娘御じゃ。しかし、まことに芥子の葉なのですか?」
土井が須藤の質問に、もっともだというように頷いた。
「笠原の調べではそのようだが、今一度、検視方に吟味させましょう。芥子の葉となれば、禁制の品です。精丸堂の行方知れずもこれに関わるとなれば大事、一家の行方を何としても追わねばならなくなります。まずは近所の者に聞いて、先に精丸堂の人相書きを作っておいて頂きたい」
年上の須藤には、土井も丁寧なもの言いである。
「さようですな、さっそくまいりましょう」
素直に須藤が出て行くと、真輔は土井に願い出た。
「穹に、いえお染に、一昨日のおみよの着物や持ち物など詳しく聞いて来てもよろしいでしょうか?」
「この件に関わるつもりか?」
「芥子の葉については、須藤さんにお任せすべきと思っております。しかし、行方知れずの子供のこととなれば、捜索は広く行った方が良いと思いまして」
「おみよについてだけなら構わぬだろう。ただし、芥子については伏せているように」
「はっ、承知しました。お許しいただき、ありがとうございます」
真輔は奉行所を出ると、佐吉と別れて八丁堀の家に向かった。穹の元へは百合を連れて行きたいと考えたからだ。お梅の死んだ時、居合わせた穹はひどく怯えていた。お梅の件を調べた真輔と顔を合わせれば、いやでもあの辛い状況を思い出すだろう。だから、真輔だけを相手にするよりも、百合がいた方がいくらか話しやすいのではないかと、気遣う気持ちが真輔にはある。それに、昨日の精丸堂の家の中の様子も、百合と穹が二人で話しているうちに新しいことが思い出されるかもしれないという期待もある。しかし、穹を呼び出すにはどうしたら大げさにならずに済むだろうか、と思案しながら歩いているうちに、真輔の脳裏に百合と初めて会った日のことが浮かんできた。
その日、萩寺に行くのは、父と母のはずであった。ところが、直前に母が足をくじき、その母から、花の季節だけ寺の門前で売り出す名物の弁当を買ってきて欲しいと頼まれた父に、真輔が付き合うことになった。弁当を買うついでに寄ったような花見で、笠原源右衛門親子に偶然行き会い、あいさつをした。その時の百合はまだ子供と言っても良い年で、今のおみよと変わらぬぐらいである。その後、池を覗き込んだり、高い枝に手を伸ばしたり、動き回る百合に父親がはらはらしている様を遠目で見て、元気の良い娘だと思ったのだった。
「今度は、私がはらはらする番だな…」
真輔には珍しく考えが四散して、良い案が浮かばないうちに帰り着いてしまった。
百合は音もなく進む猪牙 船に真輔と並んで座り、初秋の心地良い風を感じていた。心が浮きたっても良い状況だが、黙って考え込んでいる真輔の様子に、昨夜の不安な気持ちがよみがえり、落ち着かない。ほどなく船着き場に着き、あいかわらず黙ったまま腕組みして歩く真輔の後ろを百合はだまって続いたが、急に立ち止まった真輔に振り返られて、あやうくぶつかりそうになった。
「こうしよう」
百合の当惑に構わず、真輔は百合の両腕を掴むと、笑顔を見せた。
「どうするのですか?」
つられて笑顔になりながら、百合は聞いた。
「立花の家に行って、穹を呼び出してもらう。そうすれば、穹の元を八丁堀の役人が訪ねるよりも一目を引くまい」
真輔に続きながら、百合は、少し気持ちが浮きたってきている。立花の家を訪ねることも、穹とまた会えることも嬉しかったのだ。格式ばったところがなく、明るく穏やかな家の雰囲気は真輔と同じで、両親に兄夫婦、甥、姪とにぎやかな中に参加することも、父一人娘一人で育った百合には楽しかった。
立花家では、家に居た両親と兄嫁が真輔と百合の突然の訪問を、大喜びで迎えてくれた。真輔の頼みに、母は中村家への文を快くしたためてくれ、それを下男がすぐに届けに行った。
「母上、今日は茶室をお使いになりますか?」
「いいえ、今日はお稽古もありませんから」
「では、穹が来てくれたら、お借りします」
「捕り物の相談ですか?」
「いや、そのような大袈裟なことではありません」
真輔と妻の会話を聞いていた父が、
「紗江は、近頃は瓦版をよく読んでいるから、捕り物には詳しいぞ」
と茶々を入れると、真輔は眼鏡の位置を直しながら、わざと難しい顔を作って言う。
「母上、本当のところは瓦版には書かれていないことの方が多いのですよ」
「どのようなことですか?」
「お話できません」
「お母さま、私も話してもらえないことばかりですのよ」
百合が真輔を軽く睨み、それを見た両親と義姉に笑顔が広がったのは、婿に行った次男の夫婦仲の良さに安堵したからであろう。
穹を待つ間、真輔は父に誘われて久しぶりに碁盤の前に座った。仕事や生活のことを何か聞かれるかと思ったが、父は黙って碁石を打ってくる。真輔もそれに倣い、二人は黙々と打っていた。その耳に、隣の座敷の女三人の話し声や、時折起こる笑い声が聞こえていた。特に母の笑い声が高かった。
「紗江ははしゃいでいるな」
「母上に喜んでいただけて嬉しいです。心配ばかり掛けてきましたから」
「親が子供を心配するのは、親の性 だ。勝手に心配しているのだから、気にするな」
「いつもありがたいと思っています」
「百合は良い娘だ。おまえが惚れていただけのことはあるな」
「惚れていたって…」
「勢いこんで承諾したら、誰でも気付く。まあ、婚礼の日には、これはどうなることかと思ったが」
にやりとする父に、真輔も苦笑を返す。
「私も不安でした」
そこへ、二人がいる座敷の入り口で、百合が声を掛けて来た。
「穹さんが来られました」
「父上、お相手ありがとうございました。ここまでは私が優勢ですから、勝ちということで」
「いやいや、まだまだ勝ち負けの段階ではないぞ」
碁盤に屈みこむ父親を残して、真輔は百合と共に、穹を迎えに行った。
「精丸堂一家のことですか…。昨日、番屋でいなくなったという話を聞いて覗いてみたのですが、なんというか、神隠しでもあったかのようで。着の身着のまま、出奔したようです」
土井の問いに、首をひねるばかりであった。土井に促され、真輔は土井にした話を繰り返した。
「妻は、芥子の葉とは露知らず持ち帰ってきてしまったようで、誠に申し訳ありません」
頭を下げる真輔に、須藤は皺を更に深くして笑顔を見せた。
「いやいや、すぐに拾わねば風に飛ばされてしもうたかもしれませぬ。奥方のお手柄ですな。さすが、源右衛門殿の娘御じゃ。しかし、まことに芥子の葉なのですか?」
土井が須藤の質問に、もっともだというように頷いた。
「笠原の調べではそのようだが、今一度、検視方に吟味させましょう。芥子の葉となれば、禁制の品です。精丸堂の行方知れずもこれに関わるとなれば大事、一家の行方を何としても追わねばならなくなります。まずは近所の者に聞いて、先に精丸堂の人相書きを作っておいて頂きたい」
年上の須藤には、土井も丁寧なもの言いである。
「さようですな、さっそくまいりましょう」
素直に須藤が出て行くと、真輔は土井に願い出た。
「穹に、いえお染に、一昨日のおみよの着物や持ち物など詳しく聞いて来てもよろしいでしょうか?」
「この件に関わるつもりか?」
「芥子の葉については、須藤さんにお任せすべきと思っております。しかし、行方知れずの子供のこととなれば、捜索は広く行った方が良いと思いまして」
「おみよについてだけなら構わぬだろう。ただし、芥子については伏せているように」
「はっ、承知しました。お許しいただき、ありがとうございます」
真輔は奉行所を出ると、佐吉と別れて八丁堀の家に向かった。穹の元へは百合を連れて行きたいと考えたからだ。お梅の死んだ時、居合わせた穹はひどく怯えていた。お梅の件を調べた真輔と顔を合わせれば、いやでもあの辛い状況を思い出すだろう。だから、真輔だけを相手にするよりも、百合がいた方がいくらか話しやすいのではないかと、気遣う気持ちが真輔にはある。それに、昨日の精丸堂の家の中の様子も、百合と穹が二人で話しているうちに新しいことが思い出されるかもしれないという期待もある。しかし、穹を呼び出すにはどうしたら大げさにならずに済むだろうか、と思案しながら歩いているうちに、真輔の脳裏に百合と初めて会った日のことが浮かんできた。
その日、萩寺に行くのは、父と母のはずであった。ところが、直前に母が足をくじき、その母から、花の季節だけ寺の門前で売り出す名物の弁当を買ってきて欲しいと頼まれた父に、真輔が付き合うことになった。弁当を買うついでに寄ったような花見で、笠原源右衛門親子に偶然行き会い、あいさつをした。その時の百合はまだ子供と言っても良い年で、今のおみよと変わらぬぐらいである。その後、池を覗き込んだり、高い枝に手を伸ばしたり、動き回る百合に父親がはらはらしている様を遠目で見て、元気の良い娘だと思ったのだった。
「今度は、私がはらはらする番だな…」
真輔には珍しく考えが四散して、良い案が浮かばないうちに帰り着いてしまった。
百合は音もなく進む
「こうしよう」
百合の当惑に構わず、真輔は百合の両腕を掴むと、笑顔を見せた。
「どうするのですか?」
つられて笑顔になりながら、百合は聞いた。
「立花の家に行って、穹を呼び出してもらう。そうすれば、穹の元を八丁堀の役人が訪ねるよりも一目を引くまい」
真輔に続きながら、百合は、少し気持ちが浮きたってきている。立花の家を訪ねることも、穹とまた会えることも嬉しかったのだ。格式ばったところがなく、明るく穏やかな家の雰囲気は真輔と同じで、両親に兄夫婦、甥、姪とにぎやかな中に参加することも、父一人娘一人で育った百合には楽しかった。
立花家では、家に居た両親と兄嫁が真輔と百合の突然の訪問を、大喜びで迎えてくれた。真輔の頼みに、母は中村家への文を快くしたためてくれ、それを下男がすぐに届けに行った。
「母上、今日は茶室をお使いになりますか?」
「いいえ、今日はお稽古もありませんから」
「では、穹が来てくれたら、お借りします」
「捕り物の相談ですか?」
「いや、そのような大袈裟なことではありません」
真輔と妻の会話を聞いていた父が、
「紗江は、近頃は瓦版をよく読んでいるから、捕り物には詳しいぞ」
と茶々を入れると、真輔は眼鏡の位置を直しながら、わざと難しい顔を作って言う。
「母上、本当のところは瓦版には書かれていないことの方が多いのですよ」
「どのようなことですか?」
「お話できません」
「お母さま、私も話してもらえないことばかりですのよ」
百合が真輔を軽く睨み、それを見た両親と義姉に笑顔が広がったのは、婿に行った次男の夫婦仲の良さに安堵したからであろう。
穹を待つ間、真輔は父に誘われて久しぶりに碁盤の前に座った。仕事や生活のことを何か聞かれるかと思ったが、父は黙って碁石を打ってくる。真輔もそれに倣い、二人は黙々と打っていた。その耳に、隣の座敷の女三人の話し声や、時折起こる笑い声が聞こえていた。特に母の笑い声が高かった。
「紗江ははしゃいでいるな」
「母上に喜んでいただけて嬉しいです。心配ばかり掛けてきましたから」
「親が子供を心配するのは、親の
「いつもありがたいと思っています」
「百合は良い娘だ。おまえが惚れていただけのことはあるな」
「惚れていたって…」
「勢いこんで承諾したら、誰でも気付く。まあ、婚礼の日には、これはどうなることかと思ったが」
にやりとする父に、真輔も苦笑を返す。
「私も不安でした」
そこへ、二人がいる座敷の入り口で、百合が声を掛けて来た。
「穹さんが来られました」
「父上、お相手ありがとうございました。ここまでは私が優勢ですから、勝ちということで」
「いやいや、まだまだ勝ち負けの段階ではないぞ」
碁盤に屈みこむ父親を残して、真輔は百合と共に、穹を迎えに行った。