理由
文字数 2,428文字
同心の須藤は、目の前に肩を寄せ合い膝を折って、頭 を垂れたまま泣き出さんばかりの夫婦を前に、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。二人は駆け込んだ番屋でも、そしてこの大番屋に来る道すがらも、娘の行方を尋ねるばかりで、こちらの問いには答えようとしない。そこに、奉行所からの使いが走り込み、須藤に耳打ちをした。使いに向かって頷くと、須藤は精丸堂の夫婦に向き直り、口を開いた。
「良い知らせだ。お前たちの娘、おみよは無事に助けられたぞ。今は奉行所の者が預かっているから、安心して良い」
夫婦はようやく顔を上げると、すがり合って嗚咽した。その様子を見ながら、須藤は静かな口調で問いかけた。
「それほど大事な娘を置き去りにして雲隠れをしていた理由 を、聞かせてくれないか。ただし、嘘、偽りはなしだぞ。お前たちが作っていた薬のことは、もうわかっているのだからな」
「薬のことはわかっている」その言葉に、孝三の肩の力が抜けたようだった。座りなおすと、訥々と話し出した。
「雲隠れをするつもりじゃなかったばい。あの日、店に調べがまわっとると思うて、蔵のけしの葉をどうにかせんばならんと、舟に積んで捨てに行ったたい」
店に調べがまわったという話に、須藤は内心、首を傾げたが、黙ったまま孝三に話を続けさせた。
「人のおらっさんところを探して、ひたすら船を漕いだけん、どこだかわからんかったが、小屋ば見つけて。そこに、ほかして帰ろうと思ったけんど、見つかったらまた騒ぎになると思うて、焼いたとよ。そしたら、こいつが煙ば吸い込んで動けんようになって…」
女房がまた嗚咽をもらした。須藤はここで、疑問に思っていたことを問いただすことにした。
「店に調べがまわっていると言ったが、何故そう思ったのだ?」
「店を見はっとたでしょう。朝、おみよを送り出すときに、店をじっと見取った岡っ引きがおったから」
「どんな男だった?」
「どんなって、ようは見取らんけど、目つきの鋭い背の高い男たい。岡っ引きじゃなかとね?」
須藤は振り返って、待っていた奉行所の使いを呼ぶと、土井への伝言を頼んだ。
「奉行所から取り調べの係が来る。それまでここで待っているように」
「おみよに、娘に会えますと?」
女房が、初めて声を出した。泣き腫れた目に、新たな涙が盛り上がるのが哀れだった。子を思う気持ちは、須藤にもよくわかる。
「調べが全て終わったら、一目なりと会えるように願い出てみよう」
夫婦は地面にひれ伏すようにお辞儀をした。
真輔と土井が待っている部屋へ、戸崎が駆けこんで来た。
「ご無礼致しました」
いきなり部屋に入ったことを謝るなり、戸崎賢吾は昨夜の二人組から聞き出したことを土井と真輔に伝えた。二人組は、おみよをさらう話を、賭場で知り合った男から持ち掛けられていた。富里屋に入ったのは、そこの番頭が後の指示を出すと言われていたからであった。千太とおみよが逃げ出したのを見て、富里屋の番頭に千太の実家を見張っておみよを捕まえるようにと指示されたということであった。
「おみよをどうするつもりなのか、二人は聞かされていなかったと言っております。ただ、捕まえてくれば、賭場の借金を払ってもらえると言われて飛びついたのだと」
「誰に言われたと言っている?」
「それが、はっきりしないのです。その場で前金として借金の一部を払ってもらったそうで、すぐにおみよをさらってくれば残りを払うと言われてと。よほど切羽詰まっていたのでしょう」
「残るは、富里屋の番頭か。しかし…」
土井の言葉を聞いて、真輔と賢吾がすぐに立ち上がった。
「まあ、待て」
土井の言葉に、二人はもう一度腰を下ろした。
「二人組の言葉だけで引っ張ってくるわけにはいかぬだろう。富里屋とその番頭について調べる必要がある。栄三郎の手下が見張っているのだったな?」
「はい、朝のうちに手配しました。それと、富里屋についても調べています」
戸崎が横に座る真輔をちらりと見て、土井に提案した。
「千太が見つかったことを口実に、真輔が番頭に会いに行ったらいかがでしょう。おみよのことは抜かして、奉公先から逃げ出した千太が旧知の真輔を頼って来たと。その時の番頭の反応で、何かわかるかもしれないし、その後の番頭の動きを見張れば尻尾がつかめるかも知れません」
「そうだな。しかし、番頭も駒の一つかもしれぬ。駒なら、腹の探り合いをするにふさわしい相手とは言えぬ」
土井が慎重に答えた。賭場で二人組におみよの誘拐を指示した者の姿は、まだ見えていない。富里屋の番頭の後ろで、陽炎のようにゆらゆらと輪郭がない。下手に番頭をつついたら消えてしまうだろう。精丸堂の夫婦の調べが終わるまでは、こちらの手の内を極力知られないようにした方が良いという土井の意見に、戸崎も真輔も頷いた。
そこへ須藤からの伝言が届き、土井は吟味型与力の池田に報告へ行った。
「戸崎さん、私は、須藤さんが精丸堂の主人の孝三から聞いた、孝三が岡っ引きだと思った男が、おみよの件に関係していると思うのですが」
「おみよを誘拐しようとして見張っていた奴を見て、孝三がお上 の手先に目をつけられたと思って逃げ出したのか?」
「逆です。精丸堂を調べていたのに逃げられて、人質におみよを誘拐したんです」
「うん、その方がしっくりくるな。ケチな博打うちに金をやって、その日のうちにさらわせるなんざ、やり方が雑過ぎらぁ。精丸堂が蔵に隠し持っていた「けし」が狙いか…。しかし、ただの生薬屋が、「けし」から大層な薬が作れるものなのか?」
「製法は、たぶん長崎で覚えたのでしょう。ただ、材料の調達先がわかりません」
「おみよを人質にしても手に入れたかったのは、その精丸堂の知ってる「けし」の畑かもしれないな」
二人が話し合っている座敷に使いが来て、真輔と戸崎も土井や池田と共に、須藤の待つ大番屋に向かうことになった。
「良い知らせだ。お前たちの娘、おみよは無事に助けられたぞ。今は奉行所の者が預かっているから、安心して良い」
夫婦はようやく顔を上げると、すがり合って嗚咽した。その様子を見ながら、須藤は静かな口調で問いかけた。
「それほど大事な娘を置き去りにして雲隠れをしていた
「薬のことはわかっている」その言葉に、孝三の肩の力が抜けたようだった。座りなおすと、訥々と話し出した。
「雲隠れをするつもりじゃなかったばい。あの日、店に調べがまわっとると思うて、蔵のけしの葉をどうにかせんばならんと、舟に積んで捨てに行ったたい」
店に調べがまわったという話に、須藤は内心、首を傾げたが、黙ったまま孝三に話を続けさせた。
「人のおらっさんところを探して、ひたすら船を漕いだけん、どこだかわからんかったが、小屋ば見つけて。そこに、ほかして帰ろうと思ったけんど、見つかったらまた騒ぎになると思うて、焼いたとよ。そしたら、こいつが煙ば吸い込んで動けんようになって…」
女房がまた嗚咽をもらした。須藤はここで、疑問に思っていたことを問いただすことにした。
「店に調べがまわっていると言ったが、何故そう思ったのだ?」
「店を見はっとたでしょう。朝、おみよを送り出すときに、店をじっと見取った岡っ引きがおったから」
「どんな男だった?」
「どんなって、ようは見取らんけど、目つきの鋭い背の高い男たい。岡っ引きじゃなかとね?」
須藤は振り返って、待っていた奉行所の使いを呼ぶと、土井への伝言を頼んだ。
「奉行所から取り調べの係が来る。それまでここで待っているように」
「おみよに、娘に会えますと?」
女房が、初めて声を出した。泣き腫れた目に、新たな涙が盛り上がるのが哀れだった。子を思う気持ちは、須藤にもよくわかる。
「調べが全て終わったら、一目なりと会えるように願い出てみよう」
夫婦は地面にひれ伏すようにお辞儀をした。
真輔と土井が待っている部屋へ、戸崎が駆けこんで来た。
「ご無礼致しました」
いきなり部屋に入ったことを謝るなり、戸崎賢吾は昨夜の二人組から聞き出したことを土井と真輔に伝えた。二人組は、おみよをさらう話を、賭場で知り合った男から持ち掛けられていた。富里屋に入ったのは、そこの番頭が後の指示を出すと言われていたからであった。千太とおみよが逃げ出したのを見て、富里屋の番頭に千太の実家を見張っておみよを捕まえるようにと指示されたということであった。
「おみよをどうするつもりなのか、二人は聞かされていなかったと言っております。ただ、捕まえてくれば、賭場の借金を払ってもらえると言われて飛びついたのだと」
「誰に言われたと言っている?」
「それが、はっきりしないのです。その場で前金として借金の一部を払ってもらったそうで、すぐにおみよをさらってくれば残りを払うと言われてと。よほど切羽詰まっていたのでしょう」
「残るは、富里屋の番頭か。しかし…」
土井の言葉を聞いて、真輔と賢吾がすぐに立ち上がった。
「まあ、待て」
土井の言葉に、二人はもう一度腰を下ろした。
「二人組の言葉だけで引っ張ってくるわけにはいかぬだろう。富里屋とその番頭について調べる必要がある。栄三郎の手下が見張っているのだったな?」
「はい、朝のうちに手配しました。それと、富里屋についても調べています」
戸崎が横に座る真輔をちらりと見て、土井に提案した。
「千太が見つかったことを口実に、真輔が番頭に会いに行ったらいかがでしょう。おみよのことは抜かして、奉公先から逃げ出した千太が旧知の真輔を頼って来たと。その時の番頭の反応で、何かわかるかもしれないし、その後の番頭の動きを見張れば尻尾がつかめるかも知れません」
「そうだな。しかし、番頭も駒の一つかもしれぬ。駒なら、腹の探り合いをするにふさわしい相手とは言えぬ」
土井が慎重に答えた。賭場で二人組におみよの誘拐を指示した者の姿は、まだ見えていない。富里屋の番頭の後ろで、陽炎のようにゆらゆらと輪郭がない。下手に番頭をつついたら消えてしまうだろう。精丸堂の夫婦の調べが終わるまでは、こちらの手の内を極力知られないようにした方が良いという土井の意見に、戸崎も真輔も頷いた。
そこへ須藤からの伝言が届き、土井は吟味型与力の池田に報告へ行った。
「戸崎さん、私は、須藤さんが精丸堂の主人の孝三から聞いた、孝三が岡っ引きだと思った男が、おみよの件に関係していると思うのですが」
「おみよを誘拐しようとして見張っていた奴を見て、孝三がお
「逆です。精丸堂を調べていたのに逃げられて、人質におみよを誘拐したんです」
「うん、その方がしっくりくるな。ケチな博打うちに金をやって、その日のうちにさらわせるなんざ、やり方が雑過ぎらぁ。精丸堂が蔵に隠し持っていた「けし」が狙いか…。しかし、ただの生薬屋が、「けし」から大層な薬が作れるものなのか?」
「製法は、たぶん長崎で覚えたのでしょう。ただ、材料の調達先がわかりません」
「おみよを人質にしても手に入れたかったのは、その精丸堂の知ってる「けし」の畑かもしれないな」
二人が話し合っている座敷に使いが来て、真輔と戸崎も土井や池田と共に、須藤の待つ大番屋に向かうことになった。