人相書き

文字数 2,950文字

 (そら)は、中村江紗から真輔の母への返信と、真輔への手紙を(たずさ)えて来ていた。真輔と百合、穹の三人は、立花家の庭先に建てられた簡素な茶室に入った。真輔が江紗からの手紙を読んでいる間、百合と穹は小声で楽しそうに話している。二人のくつろいだ会話を耳にして、真輔は、やはり百合を連れて来て良かった思った。

 「お手紙には何と?」
 
 つい、考え込んでいると、百合に声を掛けられた。

 「あぁ。うん、精丸堂のことで、江紗先生がご存じのことを知らせてくださったんだ」
 「おみよちゃんは、一年ほど前から手習い所に通っていたそうですが」

 穹が自然に話に入って来てくれた。

 「うん、精丸堂は、その少し前に本石町に店を出したらしい。手習い所に両親が挨拶に来た時に話したそうだ。それ以前は、麹町で生薬の担ぎ売りをしていたが、贔屓(ひいき)客の援助で店を持つことができた、と語っていたと」
 「その贔屓客とはどなたのことでしょう?」

 さすが、百合の疑問は鋭いと、真輔はにやりとした。

 「江紗先生も、そこははっきりとは聞いておられないのだが、おみよが通町の呉服屋で大店だと言っていたようだ。だが、子供の言うことなのでどこまで正しいかわからないと書かれている」
 「呉服屋…。私がおみよちゃんと会ったのは数回ですが、いつも違う着物を、それもなかなか上等な物を着ていました。ただ…」
 「ただ?」
 「着物に何かあるのか?」
 「古着ではないかと。おみよちゃんの着丈に合わせて仕立ててあるのですが、柄が少しずれているところがありました。誰かの着物を仕立て直したのかしら?と思ったんです」

 さすがに元売れっ子芸者の穹は、着物に詳しく、よく見ている。百合も頷いて付け加えた。

 「家の中を見た限りでは、精丸堂さんが特に内福の様子はありませんでしたから、娘に上等の着物を次々と(こしら)えることはないでしょうね」
 「なるほど。そうなると、おみよの言っていた通町の呉服屋とは、古着屋のことかもしれないな。そちらも調べてみよう。実は、今日は穹に、おみよの人相書きの手伝いをして欲しいと思って来てもらったのだ。それで、最後に会った日のおみよは、どんな着物を着ていたとか、おみよの顔立ちの特徴などを教えてもらいたいのだが」
 「おみよちゃんは…とてもきれいな娘です。目が大きく鼻筋が通っていて、それに、とても色白で唇は紅を指したようです。年は十二ですが、端正な顔で背丈もあるほうですから大人びて見えるのですが、話せばまだまだ子供なんです。忘れ物もよくするし…」
 「目立つ顔立ちなのだな」
 「とても。だから、私、心配で…」

 穹の育った境遇を知っている真輔と百合には、穹の気持ちが伝わった。精丸堂一家の行方知れずの理由が何にせよ、美しい娘に伸びる魔の手がどんなものかは、想像がつく。真輔は気を引き締めて、更に事細かくおみよの姿を聞くと、それを簡潔な人相書きにしたためた。(注:江戸時代の人相書きは、似顔絵ではなく、顔かたち、体格、服装などを書き並べたものだったそうです)
 人相書きを穹に読み聞かせて確認すると、真輔はさらに二人に質問をした。

 「家の中の様子を思い出してくれないか?何も持ち出した様子がないと、本石町の同心も言っていたが」

 百合がすぐに答えた。

 「家の中は整っていて、何かやりかけというような感じはありませんでした」

 穹も頷きながら続けて話し出す。

 「台所の火も落としてありました」
 「先ほども申しましたが、そもそも、家財道具があまりなかったのです。間口は狭くても、蔵を持つ表店にしては、商売道具も少ないし、台所もがらんとしていて」
 「でも、おみよちゃんの部屋にだけは、文机と鏡台がありましたね」

 貧しいながらも両親に愛情を注がれているおみよの境遇に、早くに親を亡くし他人の元で育った穹は敏感に気が付いている。

 「なるほど、一人娘のおみよには、他は倹約しても、不自由のないようにしていたということか」

 礼を言って穹を帰すと、真輔は昼食の誘いを断って奉行所へ急いだ。百合は、父が八丁堀まで送っていくと言ってくれたので、立花の家に残してきた。穹のことで、母に質問攻めにあっているかも知れないが、百合ならば上手くかわしてくれるだろう。


 百合が一緒ではないので奉行所まで歩いていく途中、思いついて麹町の大きい番屋に立ち寄った。麹町は隣の戸崎賢吾の廻り先である。覗いた番屋に賢吾はいなかったが、使っている岡っ引きの宗助が、喧嘩の仲裁をしていた。

 「これは、笠原様、戸崎の旦那に何か急ぎの用でもありましたか?」
 「いや、急ぎというほどではないのだが、お願いしたいことがあってね。今、どこら辺におられるかわかるかな?」
 「旦那なら、奉行所です。公事(くじ)の立ち合いを頼まれまして」
 「そうか、ありがとう。私も奉行所にもどるところだから、会えるだろう」
 「何か、あっしでお役に立てるころがあるなら、おっしゃってください。笠原様のお役に立つことなら、戸崎の旦那が必ずやるように言うはずですから」

 宗助は岡っ引きとしては年若いが、戸崎の信頼は厚い。

 「実は、本石町の精丸堂という生薬屋の一家が行方をくらませたのだが、その一家は一年ほど前まで麹町で生薬の担ぎ売りをしていたらしい。それで、こちらに居た頃の住処などがわからないものかと、戸崎さんに相談しようと思ってきたのだ」
 「生薬の担ぎ売り…。多い商売じゃありませんから、ちょいと調べてみましょう。」
 「すまないな。ついでで良いので、お願いする。戸崎さんには話をしておくから」
 「へい、おまかせ下さい」

 宗助と別れると、真輔は奉行所に向かって足を速めた。


 奉行所には、本石町廻りの須藤も戻っていた。須藤の作って来た精丸堂の夫婦の人相書きは、夫婦の顔立ちをはっきりと示してはいなかった。夫婦はしごく平凡な特徴のない顔立ちの上、越してきて一年余りの間近所付き合いもほとんどなく、商売も生活もひっそりとしたものだったようだ。そのため、誰も詳しく語れるものがいなかった。真輔と須藤が土井の前で人相書きを並べて検討していると、戸崎賢吾が(ふすま)を開けて顔を出した。

 「失礼します。笠原が俺を探していると聞いたのですが」
 「おぉ、戸崎、良いところに来た。精丸堂のことは聞いているな」

 土井が 手招きし、賢吾は須藤にも頭を下げながら部屋に入ってきた。

 「はい、何やら一家で消えたということは」
 「うん、それが、本石町の前は麹町に住んでいたらしいと、笠原が聞きこんで来た」
 「精丸堂がですか?」

 賢吾は、すばやく頭の中に麹町の薬屋の名前を並べた。

 「店は出していなかったそうです。担ぎ売りをしていたと」

 真輔が慌てて補足した。

 「なるほど」

 腕組みした賢吾の前に、須藤が精丸堂一家の人相書きを並べた。

 「夫婦の方はあまり特徴がないのだが、娘は目立つ容姿だから、(かぎ)になるだろう」
 「わかりました。写しを頂いていきましょう」

 並べられた人相書きから、平凡でいつも地味ななりの中年の夫婦と、古着とはいえ上質な着物を着た美しい顔立ちの娘の姿が浮かび上がる。真輔は人相書きを見つめながら、この一家には、何かおさまりの悪いいびつさを感じ、そのいびつさが生じた過程を知りたいと思い始めていた。
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登場人物紹介

笠原真輔(旧姓:立花)…旗本の次男坊だが、縁あって八丁堀同心の家に婿に入り、亡くなった義父の後を継いで町廻り同心をしている。婿入りまで算学を学んでいた。妻の百合と心が通じ合えるようになり、町廻りの仕事にもやりがいを感じている。

笠原百合…八丁堀同心の一人娘。父を亡くし、失意の中で真輔を婿に迎える。わけあって、真輔を受け入れられずにいたが、少しづつ心を通わせ思いあう仲になり、本来の自分を取り戻していった。

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