第3話 二人は銀ブラしながらオレンジ色のドレスの解釈について喋った

文字数 1,770文字

 メイとサトシは、コロッケを片手に〈銀座通り〉をぶらぶら歩きながらお喋りしていた。メイの日本語は流暢だ。香港人だと言わなかったら誰も分からないだろう。

「メイの専攻は日本語?」
「そう、日本語学。サトシは?」
「知能システム学」
「痴情ナンパ学じゃないんだ」
「それは誤解だよ。ピアノが好きなだけだよ」
「嘘つき。ジロジロ見てたくせに」
「先週のオレンジ色は強烈だった」
「ほらみろ、やっぱりナンパ野郎だ」

 サトシは、先週メイが消えた後に『オレンジ色のドレス』を弾いたと言った。メイは曲も、作曲者のチャールス・ミンガスも知らなかった。サトシは、正式の曲名が長くて、その解釈も諸説ある、自分も全く分かっていないから、また懺悔しないといけないと言った。

 なんていうの?
 Orange was the color of her dress, then silk blue

「へー、面白い。きっと、女の着ていたオレンジ色のドレスを脱がせたら、青いシルクの下着(ランジェリー)だったから、男はびっくりしたって事だよ。ナンパ野郎にピッタリの曲だね」

「なんで、そんな突拍子もない解釈できるの」

「だって、この曲できたの一九六〇年頃なんでしょ。まだ、見せる下着とかなかった頃だから、下着はコットンの白かベージュが当たり前。でも女が身につけていたのは高価なシルクの青い下着だった。男からしたら、もう一枚外着(ドレス)を着ているようなもの。なんて防御が堅い女だ、って思うでしょ。で、女は『あたしゃ高い女よ、あんたみたいな安っぽい男はお断り。どうしてもやりたきゃ金持っておいで。この青いシルクの下着くらい高いのを』って言い放つ。それで男はすごすごと退散したって訳。後でそのこと思い出して『あのビ×チ野郎』とか言いながら作曲したんだよ、きっと。もう最高、サトシにピッタリの曲!」

 メイは手を叩いてげらげら笑った。

「メイの妄想力にはついて行けないわ。じゃあ、メイは先週何色だったの?」
「この変態ナンパ野郎!」
 肘鉄がサトシの脇腹を鋭く正確にヒットした。サトシは小さく呻き声を漏らした。
「ヒ・ミ・ツ」

「やれやれ、蛾が誘蛾灯に引っかかるのは、蛾が悪いのか、(あかり)が悪いのか」
「両方に決まってるでしょ。サトシは蛾だし、サトシのピアノは灯だからね」
「メイもああいうドレス着て蛾になるんでしょ」
「女は蛾じゃなくて(パピヨン)って言うの。蝶は花の蜜にしか引っかからない。安っぽい灯には見向きもしない。それに、あれは制服か商売道具みたいなもんだし」
「夜の仕事やってんだ」
「そだよ、エスコートクラブ。感染症のせいで外国人向けが休業になったから、今は日本人のおじさま相手」
「ふーん、チェシャ猫のように消えたのは、ご出勤急いでたんだ」
メイは、分かりきったこと聞くなと言わんばかりに、口元に笑みを浮かべてサトシを睨んだ。

「……そのピアノの腕前なら演奏の仕事もあるんじゃない」
「やってるけど、演奏の仕事は時間短いし競争も激しいから多くない。それにストピが流行り出してから仕事が減った。今は感染症もあるしね。だからストピは私を夜の仕事に追いやった悪いやつ。ストピでナンパしてる男はもっと悪いヤ・ツ」
「だから、ナンパじゃないって。メイの方が強引に誘ってるし。七番の練習曲をああいう弾き方で連弾するとは思わなかった」
「あら、連弾はフォーハンドだけと思ったら大間違い。ツーハンドでもいいじゃない。作曲者だって右手と左手を別の人が弾くなんて想定してないから、とってもスリリング。だから二人の息がぴったり合わないと弾けないんだよ」
「まあ、確かに」
「だからサトシとメイは相性バッチリってこと」
「……」
蛾は蝶には敵わない。

「……マッドマックス知ってるなんて珍しいね」
「高校の時に付き合ってたオージーの男がよく観てたの。今まで付き合った中で最低のヤツだったから、良いイメージないけどね。サトシはなんで知ってるの?」
「父が多趣味で、映画と音楽のコレクションが半端ない。おかげで古い映画やジャズの名曲は結構覚えた」
「ふーん……」

 二人は駅の前まで来た。メイはポシェットからウェットティッシュを取り出して指先を拭った。サトシにも一枚渡した。今晩も出勤なの。大丈夫。寝る仕事じゃないから。メイはニッと笑って踵を返し、またね、三月ウサギさん、と言い残して改札の中に消えて行った。
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