第18話 香港探索譚 - サトシは香港でメイの消息を尋ね歩いた

文字数 2,414文字

 香港に到着したサトシは、空港から指定待機ホテルに入った。未だ日本も香港も、新型感染症対策の検査と行動制限の措置がとられている。ワクチン接種証明書とPCR検査の陰性証明書の提示、到着空港での検査、三日間の待機が必要だ。サトシは、少しでもメイの軌跡を忠実に辿ろうと、メイが香港に戻った時に泊まった将軍澳(チョンクワンオウ)の指定待機ホテルを選んでいた。

 窮屈で息苦しい三日間が終わり、待機終了手続きを終えたサトシは、ホテルを出てすぐにメイの生家に徒歩で向かった。狭い部屋からやっと解放されたばかりだ。それに、ホテルからメイの生家までは徒歩でも小一時間。なまった身体には程良い運動になる。

 高層住宅の立ち並ぶ街区の、綺麗に清掃された広い道を歩いた。将軍澳駅周辺の繁華街から少し外れると、平日の午前中だったこともあり、街はゴーストタウンのように静かだった。サトシは近道しようと、大きな公園を横切って歩いた。老人達が三々五々ゆっくりと散歩している。所々で小さい子供たちが嬌声をあげて遊んでいた。

 そろそろメイの生家に着くという頃、サトシの視界に、どこかで見た記憶のある、特徴的な造形が飛び込んできた。それはショッピングセンターに併設された駐車場の建物の、通りに面した一階に入っている教会だった。入り口付近に大きな十字架の造形がある。夜はカラフルな色に点灯するようになっている。建物の二階から上は駐車場だ。この辺りは高層住宅棟五、六棟ごとに一つ位の割合でショッピングセンターがある。その駐車場に教会併設とは合理的なやり方だ。
 サトシはスマートフォンを取り出し、メイからのメッセージに添付されていた写真を見た。目の前の造形と写真のそれが一致した。なんという偶然だ。ここはメイが父の葬送式を執り行った教会じゃないか。サトシは喜び勇んで教会の中に入った。

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 初老の牧師は朝から忙しかった。新型感染症が蔓延してからと言うもの、講話会はオンライン形式だ。今日はその収録日で、朝からビデオカメラとマイクの設置とテスト、画面に映すスライドの最終確認をしていた。幸い大きな問題もなく、収録開始の一時間以上も前に準備を終えることができた。牧師はやれやれ一休みとばかりに椅子に座った。

 このニュータウンができてから三十年近く経った。高齢化と共働きの多い若い世代の生活様式の変化から、これまでも講話会を平日の夜に行うなどの対策は講じてきたものの、信者は減り続ける一方だった。新型感染症が蔓延し出した頃、ある信者がオンライン講話を提案した。講話会の開催すらままならない折、他に選択肢はなかった。信者は参加したい時間にオンラインで視聴し、画面に表示されるQRコードを使って参加の記録を残す。寄附もQRコード決済だ。数年前には思ってもみなかったやり方だが、感染症が収まっても昔のやり方に戻ることはないだろう。こうやって人々の行動様式も変わっていくのだ……
「ハロー」
突然入り口から声がした。講話会に対面で参加する信者はまずいない。一体誰だろうと振り返った。若い男性だった。初めて見る顔だ。わざわざ教会に足を運んで頂けるとは、なんと信心深い方だ。牧師はゆっくり立ち上がった。

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 サトシは挨拶もそこそこに、自己紹介と、メイの父の葬送式の話をした。そして、式の暫く後にメイが音信不通になり、日本から彼女を探しに来た。ついては、メイと家族のことについてあなたが知っていることを教えてもらえないだろうか、と言った。

 牧師は昔の事をよく覚えていた。メイの両親はニュータウンが出来て間もない頃、この教会の最初からの信者だった。父はアントニー、母はフェイと言った。一家はこの教会の入っている建物の裏手にある高層棟の四十三階に住んでいた。ナニーもこの教会に通っていた。フェイは、メイが生まれた数年後に、彼女の勤め先にある教会に会員籍を移し、それ以来ここに来ることは殆どなくなった。日曜日の礼拝はアントニーとナニーとよちよち歩きのメイの三人で欠かさず来ていた。メイが生まれた直後、アントニーが厳格なバプテスト信者だったこともあり、幼少期の浸礼(バプテスマ)は授けないことになった。結局メイはこの教会でバプテスマは授かっていない。稀にアントニーが礼拝後の講話を行うことがあった。彼は敬虔な信者であるだけでなく、講話も分かり易く上手かった。メイは七年前に日本に留学するまで、アントニーは三年前に逮捕されるまで、礼拝に出席していた。昨年の葬送式は、感染症のこともあり、古くからの信者が来た程度だった。葬送式の一週間ほど後に、近々家を売却するのでと言ってメイが挨拶に来た。特に変わった様子もなかった。その後は日本に戻ったものと思っていた……
 牧師はあなたの友人である大切な方のためにと言って、祈りを捧げた。サトシはキリスト教の作法には全く疎かったので、祈る真似事しかできなかった。最後に牧師に礼を言って、幾許かの寄附をして、教会を後にした。


 メイからの最後のメッセージにあった通り、家は既に売却されていて別の持ち主が住んでいた。サトシは押し売りや強盗に間違えられたらどうしようと思いつつも、思い切ってその家の呼び鈴を押した。
 家人は在宅していた。日本から来たという突然の訪問者に驚き、奇妙なことを質問するとは思ったが、不審者ではなさそうだし、これくらいなら教えても良いだろうと、取引を仲介した不動産管理会社を教えた。訪問者は礼を言って帰っていった。

 サトシは、取引を仲介した不動産管理会社を訪ねた。将軍澳駅の目の前で、朝出てきたばかりのホテルの隣のビルに入っていた。売主に関係する情報を聞こうとしたが、個人情報は教えられないと突っぱねられた。サトシは何か手掛かりになりそうな情報をと食い下がり、最終的にメイから不動産売買の手続きを付託された弁護士の名前と事務所の所在地を教えて貰った。

 サトシはその弁護士のオフィスに向かった。
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