第7話 狼はピーターと狩人に尻尾を縛られたので降参した

文字数 2,182文字

 新型感染症のため、今年の大学祭は中止、サークルのピアノ演奏会もなくなった。当面の目標がなくなって気の抜けた二人は、部室に行ってストピ連弾の定番曲を思う存分弾いた。少々暴走したようで、他の部員からピアノは大切に弾きましょうと窘められた。なんでもかんでも自粛だねと言いながら二人は平身低頭の体で部室を後にした。
 サトシの部屋で連弾の続きをすることにした。メイの部屋で連弾したいと言ったら、この狼野郎と反撃された。一応女性専用マンションだからね、みんな連れ込んでるけど。

 二人は坂を下り、サトシの部屋に向かった。サトシは母親以外で部屋に女性が入るのは初めてだと言った。メイはストピでナンパしてるくせにこの嘘つき狼野郎と言った。それでは言い足りないらしく、ストピナンパウサギの嘘つき狼サギシ、と言い直した。メイと会話すると名前が変に長くなるからもう口きかないと言った。メイは、急に殊勝な顔をして、ごめん、もう言わない。メイは羊になる。と言った。サトシは、羊の鳴き声の真似をした。

 何弾く? ツーハンドで弾きやすい曲。ラヴェルのソナチネは? いいよ。フォーハンドにしてみても良い?どうせ初見だし。うん、面白そうだからやってみよう。

 二人は右手と左手のパートを、それぞれ両手を使ってフォーハンドにして弾いてみた。一楽章は、鍵盤の上は混雑するが、それなりに弾ける。二楽章は、右手と左手が重なる所が多く、何度も二人の手がぶつかった。試行錯誤の末、低音部を両手で弾くスリーハンドに落ち着いた。三楽章は、殆どの箇所はツーハンドでないと弾けないが、それでも所々フォーハンドにしてみた。

 今までこんな弾き方考えたこともなかったけど、結構難しいね。フォーハンドなら楽勝だと思ったのに。むしろ手の数が増える程、難しくなる気がするなあ。譜面の読み方まで含めて、息が合わないとダメだね。二人は様々な弾き方を試しながら、四時間くらい弾き続けた。

 陽が落ちて暗くなった頃一休みした。晩御飯は近所のコンビニで適当に買ってきたのを食べた。暫くして、サトシが『ナイト・アンド・デイ』をピアノラウンジで演奏するように弾き始めた。

「またエッチな曲弾き始めた」
「メイもこの曲ラウンジ演奏の時に弾くでしょ」
「そうじゃなくて、サトシがこんな風に弾くのがエッチ」

 突然、サトシの演奏に割り込んで来た。
「メイは羊だからサトシは狼になってよ」

 メイは、プロコフィエフの『ピーターと狼』のピーターの主題を弾き始めた。サトシもすぐに狼の主題で応酬した。また二時間位弾いた。
 最初の頃は、メイがピーターとアヒルと猫と小鳥、サトシが狼と狩人とお爺さんを担当したが、そのうちに登場する動物が足りなくなったので、サンサーンスの『動物の謝肉祭』からもいくつか拝借した。
 サンサーンスの白鳥を、プロコフィエフの狩人が捕まえようとしたので、小鳥とアヒルと猫が総出で狩人を襲った。ピーターがお爺さんと喧嘩したので、サンサーンスの下手くそなピアニストがとりなしたら、もっとひどい喧嘩になった。プロコフィエフの小鳥とサンサーンスのカンガルーが競争したら、ゴール地点にサンサーンスの亀がいて、優勝を持って行かれた。プロコフィエフの狼が、サンサーンスの水族館に落っこちてしまい、象が助けにやって来て、やれやれ助かったと思った狼をサンサーンスのロバが突き落とした。と、こんな感じで、どんどん変な物語になっていった。
 サトシが、もうこれで終わりにしようと言って、ピーターの主題を弾き始めた。メイも加わり、二人でピーターの主題を弾いて変な物語は終わった。
「最後、狼はピーターに捕まえられるんだよね」
「そう、狼さんの尻尾を縛っちゃうの」

 男女が同じ部屋にいる当然の成り行きとして、狼はピーターに尻尾を縛られた。尻尾を解放してもらった狼は、ピーターにどうして日本に留学しようと思ったのかと尋ねた。

「いろいろ。父が昔ワシダ大学に留学していたし、日本のこと詳しかったから小さい頃から日本の話聞いてた。あと、インターナショナル・スクールの中等部の時、同級の日本人の男の子と日本のアニメ観たりゲームをしたりして、よく遊んでた、その影響で日本語の勉強始めたら日本語が面白くなった。そんな感じかな」
と言った。
「香港から日本に留学する人って多いの?」
「周りにはいなかった。メイのこと酔狂だって、みんなから言われた」
「へえ、みんなどんなとこに留学するの?」
「アメリカ、カナダ、オーストラリア。アメリカが一番人気だった」
「なんとなくわかる」
「ヨーロッパはお金持ちか縁故じゃないとまず無理。イギリスは何人か行ったけどね。親が海外市民権持ってる人とか」
「留学するのは大変じゃないの?」
「日本は特にね。日本は受験資格も入学試験科目も留学生カリキュラムも他の国とは全く違うから、同じ学力だったら日本以外の国に行った方が良いとこ入れるし、留学生向けの奨学金は日本が一番少ないからね」
「ふーん、そうなんだ。メイは日本のこと気に入った?」
「うん。日本で研究続けて、いい男見つけて日本人になるの」
「あー、やっぱりメイは狩人だ。僕はいい男?」
「ピアノが弾けて優しくて生活力のあるのがいい男。サトシは惜しいね、まだ子どもだから。尻尾は大人だけどね」

 狩人はもう一度狼の尻尾を縛った。狼は降参した。
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