第26話 最終話 - 二人はありふれたハッピーエンドを迎えた

文字数 1,525文字

 メイとサトシは、全ての手続きを終える目処をつけ、メイの配偶者ビザが発給され次第、日本に戻ることにした。発給見込み日までもう少し時間はある。それまでの間、二人は香港を観光することにした。

「あの教会の牧師さんは挨拶と報告に行った方が良いね」
「そだね。行こ」
「メイがよちよち歩きで教会に行ってた頃の話を聞いたよ」
「この変態ストーカー野郎!」
 サトシの回避能力は上達していた。メイの肘鉄は空を切った。

将軍澳(チョクワンオウ)旺角(モンコック)、それに中環(セントラル)は手続きのために何度も行ったから、それ以外のところが良いな」
「えー、旺角はメイの庭みたいなものなのに」
「じゃあ行こう。一応、女人街は行ったよ。メイが売られてないかって探しに」
メイは手を叩いて笑った。

「じゃあ、最初の日は、九龍と旺角。次の日は銅鑼湾(トンローワン)でショッピング、湾仔(ワンチャイ)でお食事、中環の観覧車。その次の日は香港のねずみの国の遊園地」
「ヴィクトリアピークは行かないの?」
「あ。忘れてた。じゃあ深湾(アバディーン)の船上レストランも行こ」
「あ、あれは沈んじゃったらしいよ」
「えーっ、知らなかった」

 二人は香港デートを満喫した。
「こうやってデートするの初めてだね」
「うん、ずっと自粛だったからね」

 二人のチェックアウトの日、クリスマス直前だった。豪奢で艶やかに飾り付けられたホテルの正面玄関で、二人はホテルのスタッフに祝福されながらロールスロイスに乗り込み、空港へ向かった。あれ以来ホン氏と会うことはなかったが、チェックアウトの時にホテルを介して結婚の報告と一緒に日本に行くこと、それにホテル手配と滞在費用の謝意を伝えた。空港に向かう車中にホン氏から祝福と別れのメッセージが届いた。メイはまるで新婚旅行みたいと広い後部座席ではしゃいでいた。

 メイの出国手続きは少々時間がかかった。携行品の検査、出国審査は別室で行われ、途中からサトシも呼ばれた。サトシのノートパソコンは厳重に調べられた。別送品と国外持ち出し禁止品の有無、外国人との婚姻の事実確認、今後の中国及び香港への入国の意向確認、将来の国籍離脱に関する意向確認が念入りに行われた。日本の滞在地で在留届を再提出すること、大使館および領事館からの連絡に速やかに応答すること、今後の日本での活動等によっては中国及び香港への入国が制限または拒否される可能性があること、速やかに国籍離脱に向けた手続きを進めること、と告げられた。メイは出国審査官が示した書類にサインした。

「日本人の男と結婚して、日本に住んで、日本の大学に通って研究活動を続けるだけなのに。それに、まるで国外追放処分みたい」
「香港からしたらそうかもね。日本に島流し」
「あたしゃ俊寛かあ」
「まあ、それだけメイのお父さんが重要人物だったってことだよ」
「最後に父からとんでもないプレゼント貰った気分」
「卒業試験だと思えば良いんじゃない」
「あら、随分あっさり言ってくれるじゃない」
「うん、思ってたよりもあっさり出国出来てよかった」
「でもさあ、もう香港に来れないかもしれないってどうなのよ」
「日本に帰化して日本のパスポートが出来たら大丈夫だよ、別人28号さん」
「そうね。その時はメイじゃなくて正真正銘のサツキだもんね。あ、お腹空いてきた」
「我慢しなよ。もう時間ないし、四時間で着くんだから」
「あそこのお店でバインミー売ってるよ。美味しそう」
 サトシは二つ買った。二人はそれを頬張りながら、搭乗口に向かった。

 メイは父の遺骨を抱えて飛行機に搭乗した。予約時にそのことを航空会社に伝えてあったので二人の席の間に亡父のための席が用意されていた。

 飛行機が香港国際空港から離陸した後、メイは何度も振り返って、窓の外で遠ざかっていく自分が生まれ育った地に別れを告げた。
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