第6話 ありふれた会話 - 学内散策しながらお互いの生い立ちと家族について話した

文字数 3,328文字

 メイとサトシは今日も図書館棟の食堂でお昼を食べていた。ここがちょうど二人の学んでいる棟の中間地点で、待ち合わせ場所にしている。食べ終わった二人は外に出て、歩きながら喋った。

 サトシは、新型感染症の影響でインターンシップがオンラインになったり対面になったりして就活が全然進まないとこぼした。サトシは大学院への進学を希望していたが、サトシの父は、早く社会に出ることを望んでいた。体系的に学ぶことは重要だが、仕事を通して新しい学びの種を発見することも大事だ。それに大学はいつでも戻ることができるが、日本の場合、限られた時期に就職しないと選択肢が著しく狭くなる。父の言うことも尤もだと、サトシも就職に舵を切りつつあった。

「サトシは一人っ子なの?」
「うん」

 サトシは今は一人暮らしだが、すぐ近くの実家に父と母が暮らしている。ピアノは小さい頃から弾いていた。母のサナエが自宅でピアノ教室をやっており、自然とピアノで遊ぶようになった。親から貰った最初のプレゼントもトイピアノだった。鍵盤はサトシの良き話し相手だった。
 スポーツはやらない。小学生の頃、少年野球やサッカーチームに誘われたが、母に反対された。一度、ストリートバスケで遊んでいて突き指した。母からピアニストは手が命だときつく叱られ、二度と球技はしないと誓わされた。
 外で友達と遊ぶことは殆どなかったが、家の中の環境は充実していた。ピアノの練習は、一日四時間以上というノルマが苦痛でなかった。ピアノ練習室の防音がしっかりしているので、弾きたい時は夜中でも弾くことができた。父親自慢の自宅シアタールームが空いている時には、膨大な映画と音楽のコレクションを片っ端から観聴きした。自分の部屋にいるときは、勉強するか、パソコンでプログラムを作成していた。小学校高学年の頃から言語処理に興味を持ち、チャットBOTと呼ばれる、人と会話するコンピュータープログラムを作ることに没頭した。
 サトシの父、ツヨシは今は大手メーカーの執行役員だが、かつては電子工学の技師だった。サトシが小学校低学年だった頃、父は自作パソコンの製作に熱中していた。サトシも父の隣で、父が組み上げたばかりのパソコンを使って、その性能を上回る高度なプログラムを作った。父は悔しがり、これならどうだと、バラしては組み立て直す、という作業を繰り返した。いつしか父子対決から、父が高性能パソコンの製作、子が高度な処理プログラムの作成、という役割分担になった。父はサトシのプログラミングの才能--小手先の技術ではなく、アルゴリズムと呼ばれる独創的かつ論理的な仕組みを組み立てられる能力の高さ--を見抜いていた。父は息子からプログラムのアルゴリズムを説明してもらい、それに最適化されたパソコンを組み立てた。サトシも、父が作ったパソコンを通して、コンピュータ機器の特性を理解した。サトシが小学校六年の時、ツヨシが海外に単身赴任することになり、父子共作は終わりを告げた。今でもガレージの隣にある物置には、その頃作ったパソコンの残骸が積み上げられている。
 サナエはサトシを音楽の道に進ませたかったが、サトシは母の言うがままに自分が進んでいくことに抵抗したかった。それは高校三年の時、音大のサマースクールで実行に移された。ピアノの試験ではわざと間違えて弾いた。和声の試験では緊急地震速報の和音を展開した。四声聴音の試験では全く別の曲を弦楽四重奏風にして提出した。サマースクールの結果は言うまでもなかった。音楽大学の教授は、お宅のご子息は音楽の道に進む気が全くないようだとサナエに告げた。サナエは怒り狂ったがついに愛息の音大進学を諦めた。ツヨシはその方が良い、音楽の道で生計を立てるのは至難の技だからと息子を庇った。大学は自宅に近いからと言うサナエの意見で決まった。サトシは言語処理のアルゴリズムを極めたかったので、理工系の学部を選んだ。
 サトシが大学に入って間もない頃、大きな地震があった。家の被害は小さかったが、ピアノ教室の部屋に小さな隙間が発生し防音の効きが悪くなった。リフォームの時期でもあったので、大掛かりな改修をすることになった。サトシは改修工事の間、親が借りた近くの部屋で一人暮らしを始めたが、リフォームの後も住み続けることになった。音楽教室が手狭になり、もう一部屋必要になったのだ。サトシは少しだけ母親の束縛から解放された。

「サトシは本当に箱入り息子なんだね。段ボール箱の中から顔だけ出してスンスン鼻鳴らしてる可愛い箱入り三月ウサギのナンパ野郎」

「……メイは仕送りしてもらってるの?」
「大学入るときに父がまとまったお金を渡してくれたけど、それ以降は自分で稼いでる。学部生の頃は日本の国費留学生だったからなんとかなったけど、今は大変。日本はアメリカやカナダみたいに留学生対象の奨学金が充実している訳じゃないからね。だから手っ取り早く稼げる夜の仕事なの」
「偉いなあ。メイも一人っ子なの?」
「うーん、微妙」
「微妙って何」
「父とナニーの間に男の子がいるの」
「ナニーって何ー」
「この駄洒落ウサギナンパ野郎!」

メイはナニーと異母兄弟のことを話し始めた。

 ナニーは保育だけでなく幼児教育も担う専門職で、住み込みと通いは半々くらい。香港の比較的裕福な共働きの家庭でナニーを雇うのは普通の話だ。メイのナニーはフィリピン人の優しくて綺麗な人で、母よりもずっと若く、メイの家に一緒に住んでいた。本当の名前はレイナだが、メイは今でもナニーと呼んでいる。メイにとってナニーはお姉さんであり英語の先生でもあった。両親とは広東語で、ナニーとは英語で話した。メイが四歳の時、ナニーはフィリピンに帰って行った。
 それからはミッション系の幼稚園に通う鍵っ子として育った。ピアノを始めたのもナニーが帰国してからだ。母が小さい子供を一人家に置いておく訳にはいかないからと、幼稚園に併設されているピアノ教室と水泳教室に通わせた。メイの母は働いていたので、教室が終わる頃に迎えに来てくれた。小学校に入った後もそんな生活が続いた。ピアノは楽しかったので続けたが、水泳は一度溺れそうになったこともあり、初等部二年の時にやめた。
 メイが九歳の時に父と母が離婚した。母は、母の職場の同僚で一時期メイの英語教師でもあったカナダ人の男とバンクーバーに渡って行った。母がいなくなってすぐにナニーが、今度は家政婦としてフィリピンから戻ってきた。
 メイが日本の大学に入学した最初の夏、香港に帰ったら家に知らない男の子がいた。父とナニーが、メイの弟ハンスだと紹介してくれた。メイが日本に行った後、フィリピンから呼び寄せたのだ。父とナニーの関係は薄々気付いていたものの、父とナニーとの間に自分より四つ年下の男の子がいることを知って驚愕した。ナニーがフィリピンに帰ったのは妊娠したからで、母が家を出ていったのもそれが原因だったのかと、その時になって初めて気付いた。ハンスは異母姉弟とはいえ自分と似ているところが全くなく、会話も合わなかった。父が私を日本に行くように勧めたのは、ナニーとの間にできた子供を呼び寄せるためで、自分は家から押し出されたのだと駄々っ子のように拗ねた。それ以来香港には帰っていない。それでも父とナニーのことは好き。

 二人は正門まで来た。サトシは何と言って良いか分からなかった。自分の父と知らない女の人との間に子供がいて、ある日突然、あなたの弟ですと言われたらどうするだろう。
 メイは、大学ではゆっくりお喋りもできないから、今度サトシの部屋に遊びに行くねと言った。サトシは頷いた。メイの事いろいろ聞きたいし。香港の事とか、夜の仕事のこととか。夜の仕事は秘密。どうしても知りたきゃお店においで。高いけど。
 メイは家近くなの? ここから歩いて十分位。サトシは? 反対側の坂降りて十分位。それマチカネナンボクだね。メイは競馬詳しいんだ。やらないよ、パトロンの一人が一口馬主さんで、よくマチカネなんちゃらって言うから覚えちゃった。例えば? 待ち合わせ時間に遅れた時に、マチカネお待ちかね。あー、それは寒い。だよね。
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