第14話 体験的直感

文字数 1,206文字

「あなたは、直感でそれをやっているんですね」と、誰かに言われたことがある。
「それ」というのは、その直感から始まる、人への対し方であり、原発は危険であるという強いイメージであったり、天皇制が民に与える心理的影響であったり(私はその制度に反対している)、植えた植物が元気かそうでないかという印象であったり、つまり私が接する世界ぜんぶに対する対し方、と言える。

 その私の直感、この直感の

といえば、「体験」と言えると思う。老荘思想の本の解説で、「体験的直感」という言葉を見た時、まさに自分の直感の正体見たり、という気になったものだ。
 その体験は、私だけが体験したもので、家が貧しかったとか富んでいたとか、そんな現実の体験ではない。その貧富から自分が「感じたこと」、その感じが、まさに体験的直感なのだった。現実そのものは、その「感じ」をふかく自分に根づかせた、むしろ小さなことだった。

 老荘思想のそれには、体験的直観、と書かれていた。だが私には、その「観」は「感」から派生したものだと思えるし、観る前に、感じる自己というものがある。
 そしてその感じる自己は、頭で考える範疇にはおさまらない。身体に── 頭で覚えた知識、この世に生を受けて育ち、今に至るまでの「現世」的な記憶のみならず、身体の細胞のようなものが覚えている記憶がある。
 その記憶のために、ヒトというものが進化(!)できて来たのだと思っている。それは自分の意思でどうなるものでもない。
 その記憶にくらべれば、頭で考えることなど、実にたいしたことではない。

 もっと身体を信じて、自分を信じて、「これが健康だ」とか病気だとか、線引きをしなくていいと思う。健康にこだわることほど、不健康なことはない。
「自分が、いいと思ったことを、すること。」これがいちばんだと思う。身体は、頭の知らない、いろんなことを知っている。そもそも理解なんかできないのが、生命の元であり、その元から出てきた身体である。
「弱い身体」とか「強い身体」というのも、生きている身体に対して失礼だ。くらべるものではない、というのが、私の生命に対する基本的なスタンスで、この狭い見方は、私の現実を見る小さな目をつくっている。

 健康法…タバコを1日2箱近く吸い、きっと不摂生な生活をしている自分には、連載などするべきジャンルではなかったと思う。
 ただ、老荘、特に荘子の、「『気』が集合して人体をつくっている」という見方は、あながち的外れとは思えない。「気」というものは何なのか分からず、何なのか分からないものによって、この身体に生命が宿っている、と思えるからだ。
 気が充実している時は、きっと身体も元気がいい。

 最後に妙なことを書きましたが、これで私の思う、あるいは実践した健康法の記を終わります。
 読んで下さった方、どうぞお気をつけて、暑い夏、やり過ごしてください。
 どうもありがとうございました。
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