第10話 瞑想による健康法

文字数 1,610文字

 人間は、呼吸が止まったら、死ぬ。
 この、「植物がなかったら人間は生きられない」と同様の、あまりにも当たり前すぎることが、肝心であるということを書きたい。心と身体が密接な関係であることにも、被るテーマだと思う。
 いわゆる「瞑想」と呼ばれるもの。これは、ずいぶん私に、静かで小さな変化をもたらしてくれた。
 たとえば、過呼吸。よく苦しめられたものだったが、全く起こらなくなった。
 あと、姿勢。パソコンに向かっている時、私はひどく猫背だ。ご飯を食べる時も同様だが、歩いたり、電車や理髪店で座っている時間には、姿勢が自然と真っ直ぐになっている。猫背だと、どうも気持ちが良くない。この気持ちと身体の変化は、明らかに瞑想の効果だと思う。その瞑想時間中、姿勢を良くしていることで、身体が「忘れられていた姿勢」を思い出したかのようなのだ。

 ついでに言えば、涙もろくなった。小さな花を見ただけで、けなげだなぁ、と涙ぐんだりする。お酒も、そんなに飲みたいと思わなくなって、性欲も減少した。夜、寝つきが良くなった── これらの身体、心の変化は、悪くないように思える。
 近所のお寺で(フツーの浄土宗のお寺です)この瞑想法の講座をやっていて、「瞑想の仕方」のコピーを頂いた。何回か読んだが、把握したとは言いきれない。ここに、写経するように書いてみたい気持ちがある。その作業は、きっと読む人にも、書く私にも、悪くないように思える。

 かいつまんで、要点を書いてみます。
 ・呼吸を意識することで、この身体が生きている/生かされていることに気づくということ。(この呼吸している身体は、自分以外、誰も身代わりになることができない)
 ・苦しんでいる時、呼吸は自然、荒くなっている。( 平穏な心身でいる時、呼吸は落ち着いて、穏やか)
 ・呼吸を意識することによって、自分の心と身体がどういう状態であるかということに、気づき/気づかされる、ということ。

 瞑想の達人になると、「自分の身体にガン細胞があることが分かって、早期発見に繋がった」という例もあるらしいですが、ホントかどうか分かりません。ただ、この瞑想は身体の「声」を聴くようなものだから、あながちウソでもないかなとも思うけれど、そこまでイケるのかなとも思います。

 この「呼吸を見つめる瞑想」は、私には、生命の無常さが感じられました。息が身体に入った時、生命が生まれて、身体から息が抜けていく時、生命が死んでいく…
 何とも、「この身体、せつない繰り返しを何十年もやってきたんだなぁ」と、しみじみ感じて、涙ぐんでしまったりしました。

 この具体的な瞑想の仕方を書けば、
 ・基本的に呼吸は鼻から出入りするもので、口を開けてしない方がいいです。
 ・姿勢は結跏趺坐(よく仏像がしている座り方)が望ましいですが、背筋を伸ばしてアゴを引いて、なるべく楽な体勢であればいい。椅子に座ってもいい。手は、好きなところに置けばいいです。
 ・そして、携帯電話の目覚まし機能でも使って、とにかく10分間だけやってみる。瞑想中、眼は閉じていても開けていても構いません。開けている場合も、つむっている場合も、鼻先に意識を集中します。そこが呼吸の入り口なので…。

 肝心なのは呼吸の流れを意識することで、鼻から入った息が胸→ お腹→ おへそへ行くのを「見つめる」こと。
 おへそにまで行ったら、今度は、息がお腹→ 胸→ 鼻へ抜けて行くのを、やっぱり「見つめる」…この繰り返しです。

 何も考えず、ただ、この息の出入を静かに「追う」だけなのですが、なかなかこれが難しい。頭の中は、あれをしなくちゃとか、これをしなくちゃとか、昔のイヤな想い出とか、いろいろなことが浮かんで来て。
 でも、そのままにしておいて(放っておいて)、自分の意識はあくまで鼻先から出入する息を、そして身体に入って行き、出て行く息を、ただひたすらにじっと見守る。
 そんな感じです。
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