第8話 心と身体

文字数 1,042文字

 心と身体は、実に微妙で密接な関係にあることを実感する。
 気持ちが乱れると呼吸が乱れ、呼吸が落ち着けば心も落ち着く。作用・反作用が、その身体と心の間でブランコのように繰り返されている。

 腰痛で立ち上がれなくなった時、それは絶望的になったものだった。だが、身体の痛みに対して、記憶はあまりその痕跡を残そうとしない。腰痛の時間が私に残したものは、あの圧倒的な絶望感で、身体がどれほど具体的な痛みであったかは、綺麗さっぱり忘れてしまった。

 ただ、この身体からのサインには敏感になった。
「そろそろ、メンテナンスして下さい」ちゃんと、コシさんが言ってくる。私は抗うことなく、整体院に電話し予約を取り、そこへ向かう。無理をして、また立ち上がれなくなるのは御免だからだ。

 前回行ったのが今年の2月だったから、7ヵ月もコシさんは頑張ってくれた。その整体はオステオパシーとかいって、アメリカ生まれのやり方である。ただ手を当てられるだけなのだが、なぜか効く。いつも1時間ほどで終わり、その後通院することもない。

「病気は、身体からのメッセージ」と、むかし世話になった人から言われたことがある。その通りだと思う。せっかく「何とかしてよ」とカラダさんが教えてくれても、何もしなかったらツケが来る。なるべく、できる限りの「何とか」をしてあげるのが、カラダさんへの誠意ではなかろうか。

 身体が、わかりやすく「痛み」を現してくれるのに対し、精神の方は何ともあやふやなものである。形がないのは不便なものだ。しかし、逆に考えれば、こちらが主導できるものと言える。精神に、たとえば太郎という名前をつけて、「太郎、今はあまり興奮するなよ」などと語りかけ、優しく頭でも撫でてあげたら、いいかもしれない。

 われわれは、あまりに無理をして生きていないだろうか、と思う時がある。ある程度の無理はやむを得ぬとしても、「あまりに」は、自分の手に余る、抱えきれないものである。個々人が、もしそうやって生きるのが当然で、多くの人がそうしているのだとしたら、この世は病むのが自然である。

 みんながそうしているからといって、何も自分までそうすることはない。それは亡霊の後を追うようなものだ。自分が息を吸い易いように、生きること。その術は、誰から教わることなく、自分の中にすでに備わっているということ。
 身体には、「花子さん」とでも名をつけて、心の太郎とふたり、仲良くやってもらいたい。
 このふたりがうまくいっている間は、私は健康である気がする。
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