第9話 整体を通して

文字数 1,284文字

〈命令や規律で導かれる生活ほど、愚かでひ弱なものはない〉(モンテーニュ「エセー」)

 もっともだと思う。だが、私はそのようなものに導かれていない。自分からすすんで悩み、考え、選択している。すると、愚かでひ弱ではないということになる。

〈自らすすんでやることが、正しい行為の基礎にある〉(同、「エセー」)

 正しさ。正義、とも換言できるこの思念。きっと、あまりいいものではない。正しさというのは、大抵、国家間の戦争、個人どうしの諍い事に発展する要素を含むから。

 ところで、ひ弱、正しさとは何だろう?
  医療、病院について書きたい。
 椎間板ヘルニアで職を辞した際、行った外科医は、実に感じが悪かった。こちらの眼も見ず、机に向かって話し、待合室にいる患者を流れ作業をするように扱っていた。ハケるのは早かったが、ここは工場のラインかと見紛った。
 おそれをなした私は、近所の整体に行く決意をした。

 結果から言って、その整体を通じて、心的病いと肉体的病いには自然治癒があることを知った。
 相性もある。
 心的にはカウンセリングというのがあるが、懇意になって何でも話せるカウンセラーがいなくなったら、一巻の終わりのように思える。妙な精神安定剤のようなものも、それが無くなったらをおしまい。
 しかし、その病んだ自分というものは、カウンセラーが退職しようが薬の在庫がゼロになろうが、あり続ける。

 内科医・外科医にしても、それがこちらのお気に入りの医者であればあるほど、その人がいなくなったら少なかぬ動揺・不安、ガッカリ感に陥る。
 このような心的作用は、何も医療に限った話でなく、どんな人生の局面においても、「自分が自分を何とかしなくてはならない」基本に立ち返らせる。

 とりあえず整体では、「家では、こういう運動をして下さい」というようなことを言われ、自分ひとりで治療に向かう方向を示される。
「おかげで痛みがなくなりました」とか言えば、「私が何もしなくても、治ったと思いますよ」と平然と整体師は言う。時には、「

よく頑張りました」と私を見て言う。
 彼の考えによれば、「こちらのできることは、自然治癒力、身体が本来持っている自然の力の、手助けをさせて頂く」という感じらしい。
 この考えは、私に非常な手助けとなった。あの整体師が、善人であることも大きかった。繰り返すが、相性もある。
 そしてこの私の身体・心には、病んだ箇所を「なんとかしよう」という何かが働いているから、その働くものへ、自分が助けようというふうに自然持って行かれた。
 彼は沖縄に移住して、もう診てもらうことはないけれど、大丈夫である。

 ただ、治癒までに1ヵ月ほど時間がかかった。勤め人、短気な人には無理かもしれない。しかし、代替のきかない自分ひとりの身体である。以前も書いた繰り返しになるけれど、自分の気持ち・身体と、よく向き合える、貴重な経験として、病はライフスタイルを変える良い転機になるかもしれない。
 私はただ、医者が信用できず、時間もあって、自然・必然的にこうなった。運命、のようなものも、ちょっと感じた、という話である。
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