(第5話 並行線)
文字数 2,644文字
エイエンは、広いグラウンドの西にあるモミの木の下にいたかと思えば、東のクスの木によじ登ろうとしていたり、まったく目が離せなかった。お母さんも大変だ。レジャーシートに落ち着くことなく、エイエンに付きっきりだった。
やっと戻って来た時、となりに座るオンダさんから、自己紹介のことを知らされた。
「あ、イシカワです。ほんとにこの子は落ち着きがなくて… もう、すみません」と誰へともなく頭を下げた。
コジマは、きょとんとしているエイエンを見て、思わず微笑んだ。いっそ、ショーコにこの場を任せて、エイエンとふたりで芝生の上を走り回りたい。一瞬、そんな衝動に駆られた。
人の
だがエイエンは、どうしたわけか女の子にはこんなことをしなかった。犠牲になるのは専 ら男の保育士で、女の保育士はもちろん、他の園児たちへ拳を握りしめることはなかった。
エネルギーの塊。エイエンは、自身の内から迸 り出たがる熱力をどこへ向けたらいいものか、常に持て余しているようだった。そしてコジマは自動的に微笑んでしまう。
それは彼の内部にあるマントル、核のようなもの、彼の中の何かがエイエンに触発され、目覚めさせられるといった感覚だった。
放っておけば、それはおとなしい。退屈な、眠くなるほど、のっぺりとした平坦なものに見える。だが、それがエイエンの身体から発する気に触れると、不意に活性化しだし、身体が喜んで勝手に笑ってしまうというふうだった。
そよ風が吹き、雲が流れた。遠くのほうで、ピカッと何かが光り、空に一瞬反射したかと思うと、どーんという音が聞こえてきた。それはまったく一瞬のことだった。
何が起こったのか、理解する間もなかった。グラウンドを囲む木々が、根こそぎ動くような音とともに、彼らの身体は吹き飛ばされた。
悲鳴も聞こえなかった。黒くなったレジャーシートがひらひらと灰のように舞い、そこにいたはずの人間は、それまでの形をしていなかった。
どうしてこうなったのかも分からず、彼らであったところの手足や頭が、黒くなって転がっているだけだった。
○ ○ ○ ○ ○ ○
── どうしてこんなことをしたんだい?
その子は、はにかんだように目を伏せた。
口元に可愛らしい笑みが浮かんだが、言葉は出てこなかった。
「知ってるよ」聞いた彼が言葉を引き取る。「解放されたかったんだね。きみは解放されたい、きみ自身に抗えなかったんだね。きみのエネルギーを、きみの幼い頃… そうだ、ぼくはきみを知っているよ、きみがうんとちっちゃい頃、ぼくはきみと遊んでいた」
子どもは、笑わなかった。
「きみの、迸り出たがっていたものを、ぼくは知っていたよ。思い切り、解放させてあげたかったよ。もしそうしていたら、きみはこんなことしなかったね。溜まっていたマグマのまま、それをずっと抱えて、きみは大人になり、… つらかったね、つらかったね。ずっと抱えていたんだね」
いぶかしがる子に、彼は話し続けた。
「いろんなヤツがいたね。ぼくも、その一人だった。きみにとっては、敵の一人だったかもしれない。でもぼくは、きみが好きだったよ。きみから、すごいパワーをもらっていたんだ。きみにはどうでもよかったことかもしれない。でもぼくはきみが大好きだったんだよ。
きみのエネルギーの解放先を、見つけてあげられなかった。サンドバッグでも用意すればよかったのかな? ぼくらには、ほんとうに受け止められなかったのか、悔やんでいるよ。
ちっちゃい頃の
ぼくらが、きみを育てたようなものだ。きみは順調に育ったよ。一国の主 になるほどにね。そしてこういう結果になったわけだ。
きみはきみ自身をも吹き飛ばしてしまったね、そうしたかったんだろう。あの、今と過去と未来が混じり合う瞬間の時に」
「直線しか存在しない空間の一次元。縦と横の面から成る空間である二次元。わたし達が暮らしている現実の空間は三次元です。幅と高さに奥行が加わって、3方向がありますから、それぞれに自由な方向へ移動が可能でした…」
おもしろい授業をしているな。あれは未来か。そうだ、ぼくらのいた世界は、直線や平面でしか動けない一次元、二次元とは違っていたはずなのに。どうやらぼくらは、思考を二次元までしか引き伸ばせなかったようだ。
あれ、今度は、ついさっきまでいた世界が見える。陽だまりの中に、人が集まっている。笑い声も聞こえる。何も心配事もなさそうだ。
しかしぼくらは今、どこにいるのだろう?
あっちにいた時、想像することもできなかった四次元?
それとも五次元、パラレルワールド?
あっちの世界が、よっぽど異世界に見えるけれども。
悪い夢でも見ているのかしら。
ほら、一瞬前の、あの広場には、もう誰もいなくなってしまった。
もう、繰り返したくないね。そのために、またぼくら、あっちへ行くことになるのかな。
まるで試されているみたいだ。演出家は、誰なんだろう。
「そんなこと言ったって、あなた、子どもを正しい方向へ導くのが大人の役割でしょう?」「助け合って、なんて、手を抜こうとしてるんじゃありませんか」「子どもが登園拒否したら仕事を休む? 行かせるように躾 るのが親でしょう?」
「義務を放棄するんですか」「責任は?」「パートなんて、そりゃお気楽な立場でしょう」「親として…」「母子家庭? あんな子に育って当然ね」
そうそう、もっとやり合うがいい。やり合っているうちが華だよ。残念なのは、そのありがたさに誰も気づかないことだ。
どうして、もっと長い目で見ることができないのだろう。子ども時分なんて、すぐ終わってしまうのに。思い通りに育つなんてあり得ないのに。今のこの子の性格が、一生続くわけないのに。
みんな、自分で自分の首を絞めている。抑圧されているんだな。自分がやりたいことやってこなかったから、子どもにもさせたくないんだな。それを負の連鎖とも思わず、正とばかり思い込んで。
解放させよ。あそこにひとり、石をケッ飛ばしている子が見える。むかし子どもだった者が、えらそうに説教している。
解放させよ、押し込めるな! また繰り返すことになるぞ。抑圧されたエネルギーが、化け物になって爆発するぞ…
やっと戻って来た時、となりに座るオンダさんから、自己紹介のことを知らされた。
「あ、イシカワです。ほんとにこの子は落ち着きがなくて… もう、すみません」と誰へともなく頭を下げた。
コジマは、きょとんとしているエイエンを見て、思わず微笑んだ。いっそ、ショーコにこの場を任せて、エイエンとふたりで芝生の上を走り回りたい。一瞬、そんな衝動に駆られた。
人の
みぞおち
を本気の全力で殴ってくる小暴君。その時の眼は、真剣そのもので、しかし顔を歪める相手の顔を見ると、天使のように楽しそうに笑うのだ。だがエイエンは、どうしたわけか女の子にはこんなことをしなかった。犠牲になるのは
エネルギーの塊。エイエンは、自身の内から
それは彼の内部にあるマントル、核のようなもの、彼の中の何かがエイエンに触発され、目覚めさせられるといった感覚だった。
放っておけば、それはおとなしい。退屈な、眠くなるほど、のっぺりとした平坦なものに見える。だが、それがエイエンの身体から発する気に触れると、不意に活性化しだし、身体が喜んで勝手に笑ってしまうというふうだった。
そよ風が吹き、雲が流れた。遠くのほうで、ピカッと何かが光り、空に一瞬反射したかと思うと、どーんという音が聞こえてきた。それはまったく一瞬のことだった。
何が起こったのか、理解する間もなかった。グラウンドを囲む木々が、根こそぎ動くような音とともに、彼らの身体は吹き飛ばされた。
悲鳴も聞こえなかった。黒くなったレジャーシートがひらひらと灰のように舞い、そこにいたはずの人間は、それまでの形をしていなかった。
どうしてこうなったのかも分からず、彼らであったところの手足や頭が、黒くなって転がっているだけだった。
○ ○ ○ ○ ○ ○
── どうしてこんなことをしたんだい?
その子は、はにかんだように目を伏せた。
口元に可愛らしい笑みが浮かんだが、言葉は出てこなかった。
「知ってるよ」聞いた彼が言葉を引き取る。「解放されたかったんだね。きみは解放されたい、きみ自身に抗えなかったんだね。きみのエネルギーを、きみの幼い頃… そうだ、ぼくはきみを知っているよ、きみがうんとちっちゃい頃、ぼくはきみと遊んでいた」
子どもは、笑わなかった。
「きみの、迸り出たがっていたものを、ぼくは知っていたよ。思い切り、解放させてあげたかったよ。もしそうしていたら、きみはこんなことしなかったね。溜まっていたマグマのまま、それをずっと抱えて、きみは大人になり、… つらかったね、つらかったね。ずっと抱えていたんだね」
いぶかしがる子に、彼は話し続けた。
「いろんなヤツがいたね。ぼくも、その一人だった。きみにとっては、敵の一人だったかもしれない。でもぼくは、きみが好きだったよ。きみから、すごいパワーをもらっていたんだ。きみにはどうでもよかったことかもしれない。でもぼくはきみが大好きだったんだよ。
きみのエネルギーの解放先を、見つけてあげられなかった。サンドバッグでも用意すればよかったのかな? ぼくらには、ほんとうに受け止められなかったのか、悔やんでいるよ。
ちっちゃい頃の
おいた
なんて、可愛いものさ。それを、矯正しようとして押さえつけてばかりいたね。ぼくらが、きみを育てたようなものだ。きみは順調に育ったよ。一国の
きみはきみ自身をも吹き飛ばしてしまったね、そうしたかったんだろう。あの、今と過去と未来が混じり合う瞬間の時に」
「直線しか存在しない空間の一次元。縦と横の面から成る空間である二次元。わたし達が暮らしている現実の空間は三次元です。幅と高さに奥行が加わって、3方向がありますから、それぞれに自由な方向へ移動が可能でした…」
おもしろい授業をしているな。あれは未来か。そうだ、ぼくらのいた世界は、直線や平面でしか動けない一次元、二次元とは違っていたはずなのに。どうやらぼくらは、思考を二次元までしか引き伸ばせなかったようだ。
あれ、今度は、ついさっきまでいた世界が見える。陽だまりの中に、人が集まっている。笑い声も聞こえる。何も心配事もなさそうだ。
しかしぼくらは今、どこにいるのだろう?
あっちにいた時、想像することもできなかった四次元?
それとも五次元、パラレルワールド?
あっちの世界が、よっぽど異世界に見えるけれども。
悪い夢でも見ているのかしら。
ほら、一瞬前の、あの広場には、もう誰もいなくなってしまった。
もう、繰り返したくないね。そのために、またぼくら、あっちへ行くことになるのかな。
まるで試されているみたいだ。演出家は、誰なんだろう。
「そんなこと言ったって、あなた、子どもを正しい方向へ導くのが大人の役割でしょう?」「助け合って、なんて、手を抜こうとしてるんじゃありませんか」「子どもが登園拒否したら仕事を休む? 行かせるように
「義務を放棄するんですか」「責任は?」「パートなんて、そりゃお気楽な立場でしょう」「親として…」「母子家庭? あんな子に育って当然ね」
そうそう、もっとやり合うがいい。やり合っているうちが華だよ。残念なのは、そのありがたさに誰も気づかないことだ。
どうして、もっと長い目で見ることができないのだろう。子ども時分なんて、すぐ終わってしまうのに。思い通りに育つなんてあり得ないのに。今のこの子の性格が、一生続くわけないのに。
みんな、自分で自分の首を絞めている。抑圧されているんだな。自分がやりたいことやってこなかったから、子どもにもさせたくないんだな。それを負の連鎖とも思わず、正とばかり思い込んで。
解放させよ。あそこにひとり、石をケッ飛ばしている子が見える。むかし子どもだった者が、えらそうに説教している。
解放させよ、押し込めるな! また繰り返すことになるぞ。抑圧されたエネルギーが、化け物になって爆発するぞ…