(第4話 芝生の上で(2))

文字数 2,769文字

「長くなって、すみません」コジマは、困ったように少し笑って、「じゃ、えーと」ショーコの方を見た。
 ショーコは相変わらず、シロツメクサの花、その茎と茎とを結んでいる。どうも、マラソン・ランナーが優勝した時に頭に被る、月桂樹の冠みたいなものをつくろうとしているらしい。
「マナベさん、自己紹介でもしますか?」
 父兄の間から、失笑が漏れた。
 ショーコも笑って、「マナベです」と、円座の中央に向かって辞儀をした。父兄たちも、軽く会釈した。
「わたしは、ひまわり保育園に来て五年になります。りす、きりん、ぞう、りす、きりん、と、ぐるぐる回っています。短大を卒業して、ひまわりに来ました。生まれは、北海道です」と言ったところで、ちょっと詰まった。
「趣味とか言うの?」コジマに聞く。父兄から、笑いが漏れる。
「お願いします」コジマも笑って応えた。
「趣味はですね、えー何だろ、子どもと遊ぶことが好きだったんですけど」と言った後、シマッタ、という顔をした。
 コジマがすかさず、「過去形ですか?」
「いえ、今も好きです。好きなんですけど、やっぱり仕事になると大変だなって」と笑って言うので、父兄たちも大笑いした。

「どんなところが大変ですか?」コジマが聞く。
「どんなところ。正直に言っていいですか?」何がおかしいのか、ショーコは笑いながら聞き返した。
「はい、どうぞ」
「責任ですね。お子さんをあずかっている」
 一座はシーンとしたが、ほとんどの父母が好意的にショーコを見つめていた。
「やっぱり仕事になると違う?」コジマが聞く。
「そうですね、やっぱり責任が。子どもみたいになって、遊んでるわけにいかないですもん」明るく言う。また少し、父兄から、フフンという音と、あー、ねえ、という、同情的な感じと、そりゃそうだ、という感じが入り交ざったような音。しかし、みんな微笑んでいる。

「子どもちゃんの、どんなところが魅力的ですか」
「可愛いのはもちろんなんですけど、すごいエネルギーがありますよね。一つのことに集中すると、ほんとにすごい集中してます。オーラも出てますよね、近寄りがたい」
「でも近寄る」
「はい。何してるの~?って。園庭の隅で、後ろ向きにしゃがんでる子たちがいたら、何をしているか把握しに行きます、万が一、が、いつもありますからね。コージ君はほんとにお絵かきが好きですよね」とコージ君のお母さんに向かって笑って言う。
「お絵かきの時間だけじゃ足りないみたいで、外にいても、園庭の隅のほうで土にこまかーく、動物の絵とか、かいてるんですよ、指で柔らかい土を集めて」
「家でもそうなんですよ、もう絵をかいてばっかりいて…」コージ君のお母さんが笑う。「もうネンネするよ、って言っても、ヤダ、まだかく!と言って。どうしたらいいんでしょうねえ、朝も、だからネボスケになって…」

「うちの子がそういう時は、その好きなことより、もっと好きなものを持ってきます」ショーコが言う。
 うちの子? コジマがびくっとした。
「うちの子、パパが大好きなんですよ。パパも疲れてるんですけど、そんな時、協力を願います。お布団で、一緒に絵本読んであげてーって」
「協力して下さるんですか」
「させます」ショーコが笑って言う。
「いいダンナさんですねえ…」とコージ君のお母さん。
「教育するのは、子どもより、ダンナが先でした」ショーコがおかしそうに笑うと、一同、大爆笑。
「おいくつ? お嬢さん?」
「はい、女の子です。四歳になります」
 コジマは、短大を二十歳で卒業したとして… と、計算を始める。
「じゃあ、幼稚園とかにやっぱり預けて?」
「保育園ですね、〇町の、あさがお保育園です。保育園に子どもを預けて、保育園で働いているんです」
 また同情するような、でもおかしそうな笑い声。
「今日、保育園行きたくない!っていう時、ないですか」
「わたしが?」
「いえ、お嬢さんが」
「あります、あります」
「どうします? そういう時」
「二人で考えます。あ、二人って、子ども、うちの子、レイっていうんですけど、レイと一緒に考えます。どうしようか、って」
「解決するんですか」コジマが口をはさむ。
「家庭の事情を説明します。うちはパパもママも働いているから、レイに保育園行ってくれないと、レイの好きなポムポムプリンも買ってあげれない。働かないと、おうちにもいられなくなっちゃう、とか現実的なことを言います」
「わかってくれますか」
「わかってるよォ、とか言って、涙を拭いて、行ってくれます。わたしが保育園を休む時は、子どもが登園拒否をした時だと思って下さい」
「わかりました」コジマが苦笑する。
 父兄は、今度は笑わなかった。

「じゃ、どうしましょうか、軽く、改まっちゃうのも何ですけど、クワバラさんから自己紹介とか。送り迎えの時にすれ違うだけで、誰が誰のお母さんか、知らない方も多いと思います。妙な犯罪も多いご時世ですし、相互監視なんていうほど大袈裟でなく、防犯の意味でも挨拶し合って、不審者が堂々と入ってこれないような明るい空気、つくりたいですね。ぼくが不審者かもしれないけれど」
 父兄たちは少し笑った。
「じゃ、クワバラさん… 嘘でもいいので、自己紹介を…」コジマは頭を下げて、「どうぞ」というふうに右手を少し差し出した。
「あ、クワバラです。コーイチの母です。よろしくお願いします」
 あとは、時計回りに淡々と進んだ。一対一だと、あれこれ話せるだろうに、十人の輪の中ではそうもいかない。自分だけ目立っても、というか、まわりへの配慮?のようなものが、何となくぎこちない。

 コジマは、さてどうしよう、と、これからのこの場の意味付け、雰囲気づくりに頭を巡らせた。彼の目的は、はっきり言ってしまえば、ショーコの負担を減らしたいということだった。よく気がつき、繊細な、だから優しいショーコは、二日酔いでへべれけになっているバカ者より、労働密度が百倍も多いだろう。それも、よく気がつく、繊細で優しい、人格者ゆえに負荷する十字架であるのか。
 そんなことはあってはならない。気なんて、目に見えないものである。その気に気づき、あれやこれやと面倒を見、子どもの小さな異変を発見したりして、それが重大な事故や病気を未然に防ぐことに繋がるのだ。
 それは目に見えない、すばらしい結果なのだ。世の人たちは、悪しきことが起ってから、それに処した善行のみを賞讃する。予防は対処する明確な悪玉を持たぬから、まるきり脚光を浴びない。病気になって、初めてその治療薬をありがたく煎じる。
 仕事も同じだ。目立たない、縁の下の力持ちが、縁を支えているのだ。
 ショーコは、まさしくそのような存在なのだ。コジマは、彼女に子どもがいることが、ということは夫もいるということが、秋風吹くように胸にしみじみと感じられた。
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