無為者の弁

文字数 1,293文字

「まあ、もういいんじゃないかね。よくないけれど。
 結局、権力を握らせたこと── また人は権力を持ちたいとすること。ここからもう、始まっていたんだよ。そして終わっていたのだ。
 だが、まだ人の歴史… 個人は絶え間なく終わり続けるが、人類としては終わるまい。まだね。
 個人が、どれだけ、どうなれるか。とどのつまりは、これに尽きる。
 他人より自分を優位に立たせようとか、競争社会こそが人間の世界だと、そんな観念がある以上、何も変わることはないだろう。

 どうも、誰かがこの世界を動かしている者がいるように思うね。じっとしていられない人間、動かざるを得ない、競い合いをさせる、この世の人間の在り方をコントロールする者がいるのではないか。
 富も栄誉も手に入れた人間は、この世界を動かしたいと思うものだ。人間を、ゲームみたいに操作することを生き甲斐にして、楽しむ。
 我々はゲームをするが、我々がその実、ゲームされている(・・・・・)んだよ。
 そのうち、独裁者がどんどん現れて、目に見える限りの国、一国一国の主に治まるだろうよ。それも、そうなるのも、民衆がそれを求めるのだよ。民どうしも、戦いを始めてしまうだろう。

 すべて、その根源を追えば、有為── 何かすることをよしとし、何もしないことをよしとしない、ここから始まっていると思えるがね。
 ぼーっとしていて、いいのだよ。最低限のことをして、つまり食べ、必要であれば働き、あとは特に、何もしなくていいのだよ。
 何を急いでいるのかね。あくせく、せっせと、何をやっているのかね。何をやってきたのかね。肝心な人間──人類としての進歩、ほんとうの意味での進歩は、何もしていないのではないかね。それも、個人が、ばかになったからだよ。ばかになったほうが、生き易い世界になったからだよ。

 敵は、いた方がいい。だから、こんな世界、人間をゲームのように見て、この世を操作する者を、『いる』ということにしてみよう。こんな大物、この世を牛耳る大権力者は、我々なんかが見える所に姿を現さないのも好都合だ。
 あのこの世の操作者が、最も嫌がるのは、我々が立ち止まり、過去をよく振り返り、よく考えること── 人を思い、愛し、精神的に生き始めること── これを、ヤツは最も嫌がるよ。
 よく物事を吟味する自分の思考、目、個人が他へ向ける深い、思慮をもった人間が増えることが、ヤツの最も望まぬ事態だ。あれは、まさに人間の不幸、蛮行、卑俗になっていく姿を見るのが大好きなのだよ。

 私はもう、できる限り、何もしないよ。詭弁ではない。何も言いたくないし、何か言うとしたら冗談を言うよ。金銭も、そんな欲しくない。人との関係も、持ちたくないね。それで死んでいくなら、本望だ。だって、私はそれを望むし、自分で選んだ運命だから。
 誰かが私を殺しに来ても、私は目をつぶるよ。戦わない、争わない、平々凡々と、この私というものを貫徹し、完結して死ねればいいのだよ。
 あらそう者は、勝手にあらそえばいい。それがその者、大多数の者の運命であるんだから。
 さ、もう、こんな議論は終わりにしようじゃないか。きみも、よく眠りたまえよ」
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