カラマーゾフ

文字数 714文字

 サッカーでウクライナのチームと日本のチームの試合が行われたという。なぜ今?「長引く戦争で、だんだん人の関心が薄れてきている」のが理由の一つであるらしい。なぜ関心が薄れるのか? 「ただロシアとウクライナが戦争をしている」という事実、この事実にしか目を向けていない、ということがその要因にあるのではないかと思われる。

 自分の身に降りかかった災厄はトラウマになるほど忘れないくせに、他人のそれはたった数年で忘れる。忘れる前に無関心が、無関心の前に無力感が、無力感の前に「他人事・他国事」の意識が。おそろしいのは戦争そのものよりも、「自分以外のことには特に…」という切り捨て、対岸の火事はほんとうにどうでもいいと思える(時間の助力を得て…助力と())、人間の性に端を発する、〈人間が最も関心をもつもの── 自分自身〉(ドストエフスキー)この性質そのものに思える。

 といってドストエフスキーは、その人間に対し、何も非難はしないのだ。むしろ受け入れようとさえする、あのふかい眼をもって、そのことをじっとみつめる…「カラマーゾフ」にその「人間への眼」、みつめる眼が、読むこちらに感得される。人間を、けっして切り捨てない。
〈 人間とは、たとえ悪党でさえも、われわれが一概に結論づけるより、はるかにナイーブで純真なものなのだ。われわれ自身とて同じことである。〉

 われわれ自身とて、同じことである。このなにげない一言よ。
 今、セリーヌにかなり時間をかけていて、なかなかカラマーゾフにいけない。が、この兄弟の小説は、ことあるごとに読む必然が── その「こと」をつくるのが人間であり、だから自分自身(・・・・)であることをかえりみれば── 必然といわざるをえない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み