(第3話 芝生の上で)

文字数 2,575文字

 五月十三日、よく晴れ渡った空だった。
 県立もみの木公園の芝生の上に、十人ほどの父兄が集まった。子どもと一緒の参加者が多く、母と子、父と子、夫婦連れ、お祖母ちゃんと子どもと三人で来たお母さんもいた。
 レジャーシートを円座にして、それぞれがペットボトルのお茶を飲んだり、お菓子を分け合ったりして、ちょっとしたピクニック気分だ。

 担任の先生がどんな人なのかという興味、一年、お世話になりますという気持ちが、足を運ばせたようだった。
「お集り頂いて、ありがとうございます」とコジマが改まってお辞儀をすると、座っている父兄たちも頭を下げた。ショーコは横で、一生懸命喋ってくる子どもの話を聞いていた。
「今日は、『先生』なんて呼ばないで下さいね。園では、みんな『先生』って、先生どうしでも呼び合ってるんですが、なんかヘンだなぁ、と。そんな、エラくないですし」と少し笑って、
「『さん』で全然構いません。最初に自己紹介させて頂きますと、コジマと申します。子どもが好きで、保育士の資格をとって、ひまわり保育園に来て三年になります。ぞう組、りす組で二年、今年からきりん組になりました。

 まぁ、教育の意義とか、子どもの心理学、食と栄養とか、勉強してきたわけですが、ぶっちゃけて言いますと、マニュアルといいますか、こちらの思うように子どもちゃんが動いてくれるわけでないですし、机の上で学んだことは何だったんだろうと思うことも多いです」

「短大卒業程度の学歴があれば、保育士の受験資格は年齢制限もなく、誰でも受けれるのですが、どうしても専門分野になってしまいます。合格者も少ないです。ピアノも弾けないといけないですし、絵もうまく書けないと、保育士になれません。実技の試験にあるんですね。

描写、色づかいができるか、という。子どもにとって必要なのでなく、保育士として必要なんです。

 そうして初めて現場に立てる、仕事ができるのですが、資格って、ほんとに必要なのかと思います。親御さん、ここにいらっしゃるお父さんお母さんは、べつに試験に合格して、子育てをしているわけではないですよね」
 父兄の間から、失笑が漏れた。

「もちろん、勉強をして学んだ知識はあります。でも知識って、頭だけって感じがします。覚えたことから、想像力も飛ばせますが、試験に合格するためには、合格するための想像しかできませんでした。採点者がどんな答を求めているのか、正解はどれか、と、マークシートなんですけど、正解だけを求めていました。

 それはそれで、大切なことだったと思っています。60点以上とれば筆記は合格でしたが、それはテクニックみたいなもので、もっと人間的に素晴らしい人が、こんな試験のために落とされるのかと思わずにいられませんでした」

 父兄たちは、まじめな顔をし始めた。子どもたちは、キャッキャとお友達と遊んだりしている。
「今回、このような場をもちたいと思ったのは、横のつながりをもちたい、ということです。保育士として、子どもちゃんたちの成長を見守る、当然のことです。ですが、保育士という立場である前に、一人の人として、そうありたいと思っています。
 仕事だから責任がある、ではなく。
 ですから、お父さんお母さんも、『親として』とか、そういうものに捉われないで頂きたいんです。そういうものに捉われると、親として失格かなとか、親として合格かなとか、資格と同じような基準ができてしまいます。

 それで自信をもったり、自信がなくなっちゃったり…
 子どもにとって、唯一の人が親です。その人が、親として失格か合格かなんて、子どもにとってたいした問題じゃありません。親が元気でいてくれることが、子が元気でいてくれることがありがたいように、子どもにとってもありがたいことなんじゃないかと思います」

 父兄たちから、笑う顔がなくなった。
「正直、ぼくも保育士としてシッカリやれているのか、不安になる時があります。シッカリしようとすればするほど、子どもに厳しくあたったり、言い方が冷たくなったりします。でも三年やってきて、これじゃイカンなと思いました。自分の思い通りに、子どもが行動してくれないと、自分がイヤなだけだったんです。

 子どものことを考えているつもりでしたが、自分のことしか考えていなかったんです。
 子どもが、こんなちっちゃいうちって、今しかないんだなとも思いました。
 あまり、こういう子であってほしい、とする前に、今、この子の好きなようにさせよう、と思うようになりました。

 他の子の迷惑にならないよう、それだけは注意して、もし泣かせる子がいたら、なぜ泣かせたのか理由を聞いて、泣いた子も、なぜ泣いたのか理由を聞いて、頭ごなしに『こうしたらダメ』とか言わないようにしています。すると、納得してくれたりします。リクツがわかるというより、相手の気持ち、自分の気持ちがわかるみたいなんですね」

 コジマの横にいるショーコが、何も聞こえていないように、シロツメクサの花を紡ぎ合わせて

をつくっている。集まってきた子どもらが、真似をして手を動かしている。
「きりん組の中で、初めての集団生活の場で、うまく行かない人間関係があります。ほんとに、子どもどうしの間でも、大人の世界みたいに、あるんですね。

 そういう時、ぼくはその二人が、理解し合えるような、仲立ちをすることになります。ほんとに理解できる、理解してもらえるのか分かりませんが、何か伝え合える、二人の間に何か理解する、おたがいがわかり合えるような、そんな瞬間があるんです。
 そんな時、保育士としてというより、人としてというより、何でもない僕として、仲介者になってるなぁ、って思うんです。
 教育しよう、なんてこっちが思わなくても、子どもはほんとに成長していきます。大人のできることって、その子の添え木になるぐらいしかできないんじゃないか、って。

 ですから、お子さんがいらっしゃって、何か悩んでいる方がいらっしゃたら、大人どうしも、助け合っていけたら、と思うようになりました。
 今日、お集り頂いたのは、そんな勝手な思いからでした」
 お祖母ちゃんは、何かムッとした様子だった。子どもたちは何も知らず、大人たちも、何かわかったような、わからぬような、ふしぎな顔をしていた。
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