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文字数 1,069文字

 さて、しかし、「きみたち」と呼ぶと、なんだか私が「上に立っている」ような気分がするのはどうしたわけだろう。
「きみ」という二人称単数と、「たち」という、人は一人一人違うのに、まるで十把一絡げにするような感じがエラそうだね。自分でも思うよ。

 実際に、きみたちが目の前にいてくれたらなあ! 私はきみたちを頭の中でつくって、こうして話す形で書くことを選んだ。自分で自分に話し掛けているようなものだから、限界がある。広がっていかない。

 これが、実際にきみたちがいてくれたらどうだろう?
 私は「きみたち」なんて呼ばないで、目線で合図を送るだろう。相手がいれば、(きみ)と(私)の間の空気の震動で、私は変わる。第一、きみは質問をしてくれるだろう、私の想像する質問を越えた質問を。

「言葉は、相手との対話以外に意味を持たない」
 これも、ソクラテスの発言だ。インドにいたブッダという人も、言葉をそう捉えていた。

「伝えられることを欲している」人に対してのみ、伝える言葉の意味がある。
 言葉は、どうしたところで「伝えるために」ある。
 人に何か言うために、人から何か言われるために、ある、と。
 すると、私の今書いているものは、何の意味もないということになる。だって、欲している人がいないのだから。

 それなのに、一体私は、誰のために、何を目的に、何を望んで書いているんだと思う?
 はっきり言って、戦争のない世界を私たちの世代はつくることができなかった。

 どうか、私たちの死んだ後、きみたちの生きている、その間に、今まで人間たちがつくり得なかった戦争のない世界、いまだ人間が体験したことのない、戦争のない世界をどうかつくっておくれ、それに近づいておくれ、ということが言いたかった。ごめんね。

 私たち大人が、悪かった。
 人間のことを考えてこなかったんだと思う。結果ばかりを求めて── 自分の功績や、成果ばかりを求めてね。「私」はこんなことをした! そんな成果を、この目で見たいと思って。

 100年200年で、変わるものでなかったと思う。でも、きみたちが生きて、また次のひとたちが生きて、考えることを忘れずにいてくれて、知恵をもって、対立意見に(いきどお)ることなく、何百年後か何千年後か、ほんとに平和な世界になればいいと思っているよ。ごめんね。

 今私たちが生きている間に、これから、きみたちがいる間に、そんな世界が創造できなかったとしても、そんなことは問題じゃない。いつかそんな世界が来れば、本望だよ、嬉しいよ。
 そのために、まるで人間として、生きていたような気がするんだよ。
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