第34話 魔王

文字数 2,913文字

 鹿目征十郎(しかめせいじゅうろう)は、頬に感じる硬い感触を不快に感じて目を覚ました。四肢をだらしなく投げ出して、アスファルトの上に寝転がっていたようで、地面が火傷しそうに熱かった。

 上半身を起こすと、頬に付いていたアスファルトの破片が、ポロポロと落ちた。遠くで蝉がやかましく鳴いていて、非常に蒸し暑い。
 ああ、そうだ。
 奈良に来てから初めて見る青空だった。

 晴天の屋根の下に、錆びだらけの車がある。鹿目の愛車のシエンタだ。相変わらず、ボロボロのままだ。板金塗装会社の社長である田中正治が直してくれる約束だが、手配がまだのようだった。

「おかしいな。何で此処にいるんだ?」

 目の前にある少々くたびれた二階建ての木造建築は、住居を兼ねた菜月の店だ。法隆寺(ほうりゅうじ)西院伽藍(さいいんがらん)から、大きな穴に落ちたハズなのに、随分と違う場所にいる。気を失っている間に、誰かに運ばれたのだろうか? 

 思い出したように辺りを見回す。
 一緒に落ちたはずのワンちゃんは、見当たらなかった。仕方がないので、立ち上がって菜月の店に向かう。穴に落ちたはずだが、身体は痛まなかった。ただ、頭が混乱しているようで、記憶が色々と曖昧(あいまい)だ。時々、眩暈(めまい)を覚える。
 店の引戸に手を掛けると重く感じた。
 中に入ると電気が消えていて、菜月や千春は居なかった。それどころか、人が住んでいる気配がしない。壁の端には蜘蛛の巣が張っている。カウンターの上は、(ほこり)が積もって白い雪が降ったようだった。

「何があった?」

 誰もいない店内で、一人で呟く。
 女子どもは、どこに行ってしまったのか。
 鹿目が、南大門に連れ去られた後で、厄介ごとに巻き込まれたのかも知れない。

 暫く立ち尽くした後、鹿目は、念の為に住居の方も確認しようと思った。人の気配はしないが、何か分かるかもしれない。店内から台所に通ずる戸を開けようとした時に、外から争うような音が聞こえた。男の怒声が混じっている。

 弾かれるようにして、鹿目は店の外に飛び出した。
 すぐに白黒(まだら)の大きな鳥が確認できた。翼を広げれば大人より遥かに大きい怪鳥は、三人の男ともつれ合っている。
 男達は、金属バットや手斧などで武装していた。二車線の道路にワゴン車が斜めに停められており、男達は、それに乗って来たのだろう。

 白昼堂々穏やかでないが、男達は凶器を遠慮なく振り回して、目の前を飛び回る大きな鳥と格闘を続けている。武器の扱いに慣れている男達だと思った。ここぞという時に思い切りが良い。ついには、金属バットが鳥の頭部を激しく打ち付けたが、鳥は一瞬グラッとしただけで、飛ぶことを止めない。それどころか、隙を見せた男の肩を鋭い鉤爪で掻いて行った。男が苦痛の声を上げる。

 その時、鹿目は気が付いた。手斧を持つ男が、龍田神社(たつたじんじゃ)で世話になった(たけし)くんだということを。
 茶髪ではない黒髪なので、昨日絡んだばかりなのに、すぐに分からなかった。線が細い体つきだったが、がっしりとしており、どこか精悍な顔付きだ。男は結婚すると、こうもイメージが変わってしまうのかと鹿目は驚いた。
 いやいや、そもそも新妻の佳世ちゃんをほっぽりだして、菜月の店の前で何をやっているのかと腹立たしい。

 どちらにせよ、加勢しなくてはいけない。鹿目はレインコートから反りのあるサーベルを取り出すと、乱戦の輪に加わった。

「マジで? 神使(しんし)か!」

 怪鳥の羽が飛び散る中で、武くんが驚いている。もう無精髭(ぶしょうひげ)だらけだ。お嫁さんに嫌われそうだ。

「待たせたなバンドマン! 髭は毎日剃れよ!」

「遅いんじゃ! アホぉ!」

 低空を向かってくる怪鳥目掛けて、鹿目は手首を使って回転させたサーベルを叩き付ける。片手で軽々と扱える分、威力は太刀と比べて若干落ちるが、動き回る相手には丁度よい。突撃を躱しながら、羽に小さな傷をつけた。そして傷から火が吹き出す。魑魅魍魎(ちみもうりょう)を焼き付くす火之迦具土神(ヒノカグヅチ)の火だ。

 巨大な鳥は、身体を燃やされながらも空中を飛び回る。手に持った花火を振り回したように、火の粉が飛び散った。
 鳥は、ふいに方向感覚を失ったように地面に向かって急降下した。
 鈍い音が聞こえて見事に潰れたが、また起き上がったかと思うと、低空を勢いよく駆けて、燃え盛る身体のまま、あろうことか 菜月の店の中に突っ込んで行った。
 
「うわああ! これは不味い!」

 鹿目は腹の底から震える声を出した。
 不可抗力とはいえ、このままでは菜月の店まで燃えてしまう。店舗の部分に人は居なかったが、住居は確認出来ていない。
 万が一昼寝でもしていたら、二人が煙に巻かれてしまう。 
 走りだそうとしたら、激しいクラクションを鳴らしながら一台の白い軽トラが、スピードを出して向かって来た。鹿目の進路を塞ぐように停まると、軽トラの荷台から女が飛び降りた。

 菜月だった。
 白のティシャツにチノパン姿だが、あろうことか手に猟銃を掴んでいる。
 鹿目は胸を撫で下ろしたが、すぐに、その異様さが気になった。

「ほっといたらええで。もう使ってへんから」

 淡々とした口調で菜月が言った。
 それとは反対に鹿目は興奮している。

「いや、店が燃えるぞ! いいのか?」

「かまへん。それより、久しぶりやな神使(しんし)。今まで何してたんや?」

「何してたって……。法隆寺の中門潜って、でっかくて深い穴に落ちて、気を失って目が覚めたら、此処にいたんだよ」

「ふっ。何やそれ。よう分からんね」

「俺もよく分かってない」

 と言い終わると、軽トラの向こうにある二階建ての建物が大きな炎に包まれた。火之迦具土神(ヒノカグヅチ)の火は、一度燃えると中々消えない。この世に在らざるものを燃やす業火なので、通常の炎とは違って勢いもある。広がるのも速かった。

「すまない菜月さん。俺とした事が……」

 菜月は構わないと言ってくれたが、燃え上がる店を見ていると後悔の念が鹿目を襲った。もうラーメンを作れないし、食わして貰うことも出来ない。魔都化が始まっても続けていた店だ。きっと大切な店だったはずだ。

「ほんまに、もう使ってないから気にせんといて。それと、私は菜月と違うで」

「え? じゃあ誰なんだ?」

 答えながら、鹿目の視線は菜月の首元に移る。砂が入った小さな瓶を首から提げていた。
 その瓶は見覚えがある。
 台所で見た瓶だ。
 千春がいつも首から提げていた瓶だ。

「私は千春。お姉ちゃんは十五年前に死んだで。復活した豊聡耳(トヨサトミミ)に殺されたわ」

「え? どういうこと? 千春って……冗談だろ? 菜月さんだよな? 千春は五歳だぞ……。う、へへ……」

 鹿目は後ずさる。
 ひきつるような、不気味な笑い声が自然と漏れた。

「いいや、私は千春。……神の国へようこそ神使。さっそく働いてもらうで!」

 千春と名乗った女は、猟銃を軽トラの荷台に放り込んで、自分も飛び乗った。鹿目に向かって手を差し出してくる。

 鹿目が女の顔を見詰めると、女は強い眼差しで見詰め返してきた。
 確かに千春だ。面影がある。
 姉とそっくりだったが、鹿目を睨む目が若干釣り目なのだ。
 それが五歳の頃の千春と重なった。

「説明してくれ。頭がパンクしそうだ」

 鹿目は、千春の手を取ってタイヤに足を掛ける。

「もちろんや。……おかえり神使。会いたかった」
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