第24話 塵

文字数 2,060文字

 まず、何かが刺さったような跡が無数に浮かび、その後で阿形吽形(あぎょううんぎょう)の身体に亀裂が走った。二人の肌は、生身の人間のような質感であったのに、突然に無機質な物体に変わったかのような印象を受けた。

 それから次に、巨大な炎が湧き出て二人を包んだ。
 魑魅魍魎(ちみもうりょう)を焼き尽くす火之迦具土神(ひのかぐつち)の火だった。

 吽形はうずくまった。
 阿形は頭を抱えて反り返った。
 断末魔がした。
 この世のものとは思われぬ、地獄の底から響き渡る声だ。
 ずっと聞いていると、気が狂ってしまいそうだが、すぐに止んでしまった。
 強烈な炎は、一瞬で二人を別の国へ連れて行ってしまった。もう戻っては来れない。
 大きな灰の塊が出来ていたが、風にさらわれて消えた。

 そこまで見届けると、鹿目征十郎(しかめせいじゅうろう)は、たどたどしい足で倒れている菜月の元まで向かう。皮手袋を脱いで、菜月の首の後ろに手をやると、脈が動いているのがすぐに分かった。そのまま、ゆっくりと上半身を起こす。

「良かった。気を失っているだけだ。大丈夫か? 菜月さん」

 菜月の首から肩にかけて、赤紫色に腫れ上がっていた。阿形に、そこを打たれたのだろう。
 帯電する拳での攻撃だ。
 痺れが残っているかも知れないし、他に怪我をしているかも知れない。

 菜月のティシャツを首元から強引に拡げる。中を覗き込むと、豊かな胸の谷間からヘソまで確認できた。どうやら他に、怪我はしていないようだ。
 鹿目が胸を撫で下ろして緊張を解いていると、千春が、こちらに走ってくるのが見えた。
 ちっちゃい身体を懸命に動かして向かって来る。
 激しくやり合う物音に気が付いたのか、もしくは、なかなか戻らない姉の様子を見に来たのか。鹿目は千春に声をかけた。

「大丈夫。お姉ちゃんは無事だ。気を失っているだけだ」

「この変態がぁぁぁ!!」

 千春は辿り着くと、すぐさま鹿目に蹴りを入れた。

「服の中、覗くなや変態! 警察呼ぶで!!」

「ぶお! な、何を言っているんだ千春ちゃん!」

 菜月を抱き起している鹿目は、左の二の腕の辺りを何度も蹴られる。千春ちゃんは激しく誤解をしているようだ。
 一体どの辺りから、鹿目の様子を窺っていたのだろう。もし、胸の谷間を覗いている所しか見ていないのであれば、非常にややこしい。

「エッチな事しててんやろ! 鼻血出てるで!!」

「してない、してない! 怪我をしてないか確認していただけだ!」

「嘘や! お姉ちゃんが寝てるのを良いことに、一杯触る気やろ!! お巡りさん、はよ来てや~!」

 千春ちゃんは、本当に五歳なのだろうか?
 随分とオマセな五歳だ。
 人気が無いのが救いだが、ワアワアと喚く千春を、そろそろ黙らせないといけない。何故なら鹿目は、本当に何もしていないのだから。

 鹿目は千春を捕まえようと左腕を伸ばす。
 千春は器用にその手を躱して、鹿目と菜月の周りを飛び回った。

「血だらけで触るなや神使! お姉ちゃんにも、付いてまうやろ!」

「ちょっと、千春ちゃん! ちゃんと話を聞いて――――!!」

 そこまで言って鹿目は、ふと、(おのれ)の視界の異常に気付く。
 千春の周りにチリのような物が舞っており、それが時折、人の輪郭をとるように動いて見えるのだ。千春よりは随分と大きい、成人に近い人型だ。
 血が目に入ってしまったのか、まるで千春が二重に見えているような時がある。

 千春は首から、透明の小さな瓶を提げている。先ほど台所で見た、吉田寺(きちでんじ)の砂を詰めたという瓶だろう。その瓶の蓋が開いていた。千春が飛び回るたびに中の砂が外に飛び出す。どうやら舞っているのは、この砂のようだ。

 鹿目は、砂がこぼれている事を千春に伝えようとした。だが、同時に物凄い寒気を感じ、言いようのない不安に襲われた。    
 急いで振り向くと、阿形と吽形が焼かれた場所に、大きな穴が出来ていた。
 気が付かなかった。
 そんな物が、地面に出来ていた事に、まるで気が付かなかった。

 千春の後ろの地面がもこもこと、急激に盛り上がった。

 ――まさか!

 鹿目は目を閉じたくなった。
 これから起こるであろう惨劇を、絶対にまともに見れない。

 こんもりとしていた土の山が弾けて、中から吽形が飛び出して来た。
 泥と灰で、酷く汚れている。姿形もイビツでボロボロだ。
 吽形は、目の前の小さな生き物に、血走った眼を向けた。
 千春はようやく異変に気が付いて、振り返った所だった。

「どけぇ! 餓鬼!」

 千春の頭上から、吽形は拳を振り下ろした。
 わざわざ大げさに振りかぶり、体重を目一杯のせた一撃だ。
 相手が小さな子供であろうとも、拳は眩しく光り、容赦なく帯電していた。

「やめろぉ――!!」

 鹿目は叫んだ。
 千春は、ビクッとした後、動けなくなった。
 無慈悲で一方的な暴力が開始される。……かに見えた。

 千春の周りに漂っていたチリが、急速に動き出し質感を増した。すぐに黒い壁が千春の前に出来上がるが、それは誰かの背中だった。
 その背中が振り返り、千春を抱きしめる。

 チラッと見えた顔が、千春とそっくりだった。
 ――吉田寺が来た。
 と鹿目は思った。
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