第29話 捕まる

文字数 4,013文字

 ――異変。
 
 今まで当たり前のように繰り返されてきた日常に、一石が投じられた。
 一見(いちげん)さんの襲来である。
 常連が八割を占める菜月の店には、新規の客は日に一人か二人しか来ない。
 しかも、ほとんどが鹿目征十郎(しかめせいじゅうろう)と同じような二十代以降の男性だ。
 この魔都化が進む奈良県で、何故に女子高生がラーメンを食べに来るのか?
 菜月は警戒した。
 相手は見てくれは可愛らしいが、味を盗みに来た企業スパイかも知れなかった。

 ――んな訳、ないでしょう。

 鹿目は、手元を隠しながら調理を続ける女店主に、小さく突っ込みを入れた。相変わらず、ラーメンの事になると菜月は人が変わる。
 目が覚めるまで、放っておこう。

 やがて、白い湯気と食欲を刺激する香りを立てながら、女子高生の前にどんぶりが並べられた。
 威風堂々、醤油ラーメンに鶏白湯(とりぱいたん)のお出ましだ。
 スープの色味(いろみ)は違うが、いずれもチャーシューにネギやらが行儀良く盛り付けられており、食欲をそそる見た目をしていた。
 企業スパイの女子高生は、レンゲを掴むと、まずは醤油ベースのスープを(すす)った。

「なんじゃこりゃ。滅茶苦茶美味い。使命を忘れてしまいそうだ」

 それを聞いて菜月はニヤリとしたが、すぐに引っ込めた。それから凄んだ声を出す。

「姉ちゃん。ラーメン食べる時は静かに食べなあかん。汁が冷えるやろ? それにな、この味は盗むことは出来へんで、諦めや」

「ん? 盗む? 金は払ったはずじゃが……。まあ、いっか。すまん、すまん」

 女子高生は、素直に謝ってから麺にかぶりつく。
 ハフハフした息遣いと、時折小さく、嗚呼、美味いと呟くのが聞こえた。
 心の声が漏れている。

 外は魔都化が進むのに、なんだか平和だなぁと鹿目は思った。
 菜月が店を続けているのは、こんな光景を大事にしているからかも知れない。
 欠伸をかみ殺していると、鹿目の前にもラーメンが届けられる。
 あれ程、並盛でいいと言ったのに、溢れんばかりの大盛で提供されていた。
 構わずかぶりつく。

 ――美味(うま)い。

 一体どんな魔法を使えば、奈良でこんなに美味いラーメンを作る事が出来るのか。
 菜月の技は、二十歳前後であるにも関わらず、卓越(たくえつ)しているようだ。県内県外を問わず、ここまでの味は、そうそうない。
 魔都化する前までは、毎日のように繁盛していた店で間違いない。長女の菜月を筆頭に、三姉妹で協力しながら切り盛りしていたのであろう。

 鹿目が、そんなことを考えていると、女子高生が勢いよく立ち上がった。
 と同時に、菜月が悲鳴を上げる。
 あまりにも切迫している声だから、鹿目は驚いて、食べかけの麺を()き出してしまった。

「なんだ、なんだ! びっくりするだろう!」

 鹿目は箸を置いて菜月を見た。
 菜月はワナワナと震えている。その目線の先には女子高生が居るが、女子高生は会釈をすると、すぐ後ろの引戸を開けてそそくさと出て行った。

「騒々しいな。どうしたんだ菜月さん?」

 鹿目が茫然としている菜月に問いかけると、今度は鹿目の傍にいた千春が大きな声を出して驚いた。

「あ――! 無くなってる!」

「ちょっと、お前らいい加減に――ん?」

 鹿目はようやく気が付いた。
 ある筈の物が無い。
 まるで元から存在しなかったように、そこにある筈の物が、忽然(こつぜん)と姿を消していた。

 ――どんぶりが消えている。

「た、食べとった……。二口か三口で……。ペロリと平らげよった……」

 菜月が呻き声を上げた。
 鹿目が聞き返す。

「嘘だろ? 食べたって、どんぶりか? あんな硬いものを食べたのか?」

「う、うん。私、びっくりしたわ……」

 鹿目は(ひるがえ)って席を立つ。
 店の出口に早足で向かうと、千春も一緒についてきた。
 乱暴に引戸を開けると、目の前一杯に異様な光景が広がっていた。隣で千春が、ひきつった声を上げる。
 その声が店内にも届いたのであろう。
 只事ではないと判断した菜月が、急いで飛び出して来た。

「な、なんやこれ!!」

 菜月はそう言うと、千春を抱き上げる。

 店の前には、車が四台ほど駐車出来るスペースが設けられており、二車線の道路と面している。道路の向こうは田んぼで、更にその向こうに、学校だとか家々の屋根が見えている。
 さっきまでは、そんな景色だった。鹿目が買い出しから戻った時は、間違いなくそんな景色だった。

 ここは、魔都化の中心か? ウヘヘ……。

 鹿目の口から、乾いた笑いが自然と漏れた。 
 店前の僅かなスペースを残して、化け物で埋め尽くされていたのだ。
 数十メートルもありそうな規格外の大蛇が群れをなして、鎌首をもたげながら鹿目達を見下ろしている。マンションの四、五階はありそうな高さからだ。
 いつの間に店が囲まれていたのか分からないが、辺りは、壁のように直下立(そそりた)つ蛇達のせいで夕闇のように暗い。一体何匹いるのか想像も出来ない。見える範囲は巨大な蛇しかいない。
 
「裏の駐車場まで走れ!」

 菜月と千春にそう言うと、鹿目も背を向けて走り出そうとした。
 店を迂回していけば裏へ抜けられる。まだ、その道は生きていた。
 すると、待て、と後ろから声がする。
 この声は、さっきの女子高生だと思って鹿目は振り返った。

「襲ったりはせんぞ。安心しろ」

 大蛇の間を縫うようにして現れたのは、やはり先程の女子高生だった。店内で見た時とは違って、今は(よど)んだ重々しい空気を(まと)っている。誰が見ても化け物だと判定できた。

「化け物だったとはな! すっかり騙されたよ」

 鹿目はやけっぱちに言う。たいした擬人化だと思った。
 近くで見て触れて、言葉を交わしたのにまるで分からない。
 朝に襲ってきた阿形吽形(あぎょううんぎょう)よりも、数段格が上の化け物かも知れなかった。

「いやいや、すまぬすまぬ。あまりにも良い香りだったのでな。ラーメンとやらを、一度、食べてみたくなっての。人間のフリをした。しかし、器はちと硬かったのぅ」

 照れたような仕草をして女は言う。鹿目は、それを無視した。

「それで? 満足したのか?」

「大満足だ」

「だったらお引き取り願おうか。俺も食事の途中なんだ。かまっていられねえよ」

 言って鹿目は拳を握る。
 皮手袋の中で、大量の汗を掻いていた。
 今戦闘が始まれば、確実に菜月と千春を巻き込んでしまう。規格外の蛇ども相手に、果たして勝負が成立するのか(はなは)だ疑問だが、それだけは避けたかった。

「拙者はこの店が気に入った。なので見逃そうと思う」

「なに? 見逃す?」

法隆寺(ほうりゅうじ)の奴がな。神使(しんし)が来ないから、根城にしている店を潰して来いと言ったんだ。だが、潰すのは止めた。ラーメンが喰えなくなっては困る。なので見逃す。店主よ、店に戻るがいいぞ、後は拙者と神使で話をする」

 女子高生……の姿をした化け物は、菜月を見ながら言った。菜月は千春を抱きしめたまま睨み返す。

「ほんまに何もせえへんねんな!」

「何もしない。拙者は店主の作るラーメンがまた食べたい」

「…………了解や」

 蛇に見下ろされる中を、スタスタと菜月が鹿目の元まで歩いてきた。菜月と千春の視線が同時に鹿目に注がれる。

「やって……。私らは大丈夫みたいやから店に戻るわ。あんたは全力で逃げや。私らのことは気にせんでいいから、とにかく逃げて」

 菜月が言うのを、千春は口を挟まずに聞いていた。同じ意見という事だろう。鹿目はすぐに言い返せなかったが、少し経ってから、わかったと答えた。

「逃げてはみるが、このまま法隆寺まで行くかもしれない。世話になった」

 鹿目がそう付け足すと、千春は泣きそうになって菜月の胸に顔を埋めた。菜月が強い口調で食い下がる。

「何言うてんの。ちゃんと帰ってきいや。今日の夜も(うち)で食べたらいいからね」

「ありがとう菜月さん。さあ、早く入ってくれ」

 鹿目が二人を店の中に追い立てると、大蛇の隙間で立っている女が、終わったか? と聞いてきた。

「ああ、終わった。で、俺に話があるのかな?」

「法隆寺が貴公を待っている。今すぐ来てもらいたい」

「わかった。少し準備をさせてくれないか?」

「構わないぞ。だが、この場から逃げようなどとは思わないことだ」

 そう言って女は、パチンと指を鳴らした。
 それまで静かにしていた大蛇の大群が、地響きをあげながら動き出す。
 蛇は思い思いの場所に辿り着くと、丸太のように太い尻尾を地面に突き刺して背を伸ばし始めた。突き刺す度に地面が揺れる。大勢が突き刺すので、揺れは大きな地震のようになった。
 鹿目は踏ん張る。
 いつの間にか蛇たちは、曇天(どんてん)を支える巨大な柱のように立ち並んだ。

 女は右手に持っていた、フラッグを素早く振り下ろした。
 女の背後から(まばゆ)い光が襲ってくる。一方通行の光の濁流に鹿目は飲み込まれた。

 暫くして薄目を開けると、辺りの様子が様変わりしていた。
 蛇の大群が消え失せて、何処までも続く松の林が出現していた。
 松は、菜月の店を取り囲むように、ぎっしりと生えており、どこにも隙間が見当たらない。
 天然の牢屋に閉じ込められたような形になった。

「信じられない光景だな」

 誰もが同じように言うだろう。鹿目は神使という職業に就いているが、このような大掛かりな怪異に遭遇するのは初めてであった。

「拙者は南大門(なんだいもん)。法隆寺を守る門番だ。先に行って待っている」

 女がそう言うと、背後の松が動き、道のようなものが出来る。法隆寺の南側に延びる松並木(まつなみき)と同じだ。
 この道を辿っていけば法隆寺に着く。そのための参道なのだろう。延々と一直線に延びている。

 背中を向けた女が、松の林に消えていく。
 あっという間に小さくなった。
 他に道が無いので、逃げる事も出来ない。
 追わなくてはいけないだろう。
 松の林に踏み込んで、鹿目は後ろを振り返った。菜月の店が見えている。店の前には錆びだらけの車が停めてある。

 ――帰って来れるかな?

 鹿目はそう思って、薄暗い道を歩き始めた。
 鹿目の心配は、現実となる。
 別れた菜月には、もう二度と会えないのだ。
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