第41話 聖徳太子の呪い
文字数 2,322文字
世界遺産にもなった法隆寺を、聖徳太子の怨念を封じ込める寺だと言う人がいる。
聖徳太子の一族が、太子の死後、蘇我入鹿 によって滅ぼされると、疫病や災害が続き世が乱れた。これを太子の呪いだと受け取った時の権力者が、法隆寺を鎮魂の寺に仕上げたという筋書きだ。
東院伽藍 には八角形の夢殿が建てられ、聖徳太子等身の救世観音 が祀 られたが、まるで何かを閉じ込めるように、像は木綿の布でぐるぐる巻きにされていた。その姿は異常である。
また、金堂 や五重の塔がある西院伽藍 の中門には、門の真ん中に柱が立っていて、人の出入りを邪魔している。その邪魔な柱の正体は、怨霊となった聖徳太子を外に出さない為の封印なのだそうだ。
なるほど、そう言えば……。
鹿目征十郎 は、遠くて近い過去を振り返る。
十五年前に会った豊聡耳 、つまり聖徳太子は、五重の塔の下にある骨を取ってくるよう鹿目に頼んでいた。自分では中門を越えられないからだと言っていたが、そのような理由があったのだ。
『本当だと思うかい?』
鹿目を首根っこに乗せて歩く雪丸が、道すがらそのような逸話を披露したので、鹿目は黙って聞いていた。非常に興味深い話である。
「なんだよ、それっぽい理由があるじゃねえか。豊聡耳が闇落ちしたのは、それが原因かもな。そのせいで人間も化け物も見境なく攻撃しているんだとしたら、世の中全てを恨んでいる感じがするぞ。……もし、そうだとしたら、お前は自分のご主人様を、一体どう扱うんだ?」
『…………』
先ほどまで饒舌 だったくせに、鹿目の問いに雪丸はすぐに答えなかった。前を行く軽トラに遅れないよう、ただ歩いている。
先導する軽トラの速度は遅かった。松の根がアスファルトを破って至る所に飛び出しており、躱しながら進むからだ。
鹿目が、もう一度同じことを言おうとしたら、股ぐらの下から男の子の声がした。雪丸の声だ。
『和をもって貴 しとなす……』
「ん? わ? なんだそれ? 聞いたことがあるな」
『争いごとは止めなさい。話し合って解決しなさい。豊聡耳が定めた、十七条憲法だよ。もし豊聡耳が、君が言うとおりに闇落ちして魔王となってしまったのなら……。それはもう、僕が知っているご主人様ではないね』
「じゃあ、どうするんだ?」
『思いっ切り噛みついてやる』
「ウヘヘ。それがいい。神様の尻に噛みつくなんて滅多に出来ないからな」
参道から氾濫したような松並木を越えた先にあるのは、法隆寺の総門である南大門だ。鹿目の記憶の中では、ラーメン大好きな化け物が擬人化の際に取り憑いていた門だが、軽トラと一匹が辿り着くと、焼け落ちてしまった跡だけが一同を迎えた。屋根も落ちていて黒ずんだ柱の残骸が、かろうじて確認できるだけである。そこにまた、松がしゃしゃり出てきて、景観を複雑にしていた。
武くんが運転席のドアを開けて降りて来る。手には金属バットが握られていた。軽トラを挟んで左側にいる鹿目に話し掛けると、鹿目は巨大化した雪丸に跨がったままなので、自然と見上げる形になった。
「こっからは歩きやな。松が邪魔や。中門の前まで行って、東に進めば夢殿に着くで」
「中門か。同じく焼け落ちているようだ」
雪丸に跨っているせいで、鹿目の視線は武くん達と比べると随分と高い。その分遠くまで見渡せるが、燃えた南大門を通り越して先に見えるのは、同じように焼け落ちた中門の残骸だった。更にその向こう、金堂や五重の塔といった背の高い建物も確認できない。恐らく破壊されて原型を保っていないのであろう。最奥の大講堂が無事かどうかは、松が邪魔をして分からないし、そもそも距離が遠すぎて鹿目の視力の限界を超えていた。
兎に角、重要なのは「中門が無くなっている」という事実だ。雪丸の話が本当なら、聖徳太子の怨霊を封じ込める封印は、すでに解かれている。
「……ったく。しっかりしろよな。奈良を救うんじゃねえのかよ」
十五年前に、呑気に笑っていた豊聡耳を思い出して、鹿目は文句を言った。まるで、つい昨日の事のように、はっきりと思い出せた。
法隆寺の敷地に踏み込むと、荒れていた。燃えて崩れた瓦が散在しているし、境内を仕切る壁は、一部が倒れている。石畳を破って大きな松が所々に生えだしており、もう何年もの間、誰も手入れをしていない様子が伝わった。
雪丸の横に来た千春が、羨 むような目で鹿目を見上げた。刺すような視線でもある。何か気に入らない事があるに違いなかった。
「神使 。あんた楽そうやな」
「え? 俺?」
「そうや。雪丸の背中に自分だけ乗って、私ら歩きやん」
「代わろか?」
「え? いいの? 雪丸も大丈夫?」
『大丈夫だよ。皆で乗りなよ。その方が早い』
雪丸がそう言うと、千春は瞳をキラキラと輝かせた。どうやら、大きくてモフモフとしている今の雪丸の姿は、千春の嗜好 のツボを刺激するらしい。普通なら武くんのように、警戒して一定の距離を保つものだが、千春は違って、雪丸の毛を撫でている。
屈んだ雪丸の背中に、千春、武くんの順番でよじ登る。猟銃と金属バットは持ったままだ。雪丸の背中は広く、二人が跨がっても、まだ一人位なら乗れそうだった。
雪丸が立ち上がると、白い体毛が伸びて二人の腰や足に巻き付いた。
「うわ! なんやこれ!」
「へぇ~! これなら少々無理しても落ちへんね! ちょっと温かいし、雪丸ありがと~!」
びびる武くんを他所に、千春は興奮して、手の平で雪丸の背中を何度か叩いた。反応して、クゥンと甘えたような雪丸の声がした。
『では、しっかり掴まっていてね。飛ばすから!』
鹿目の後ろにいる千春が、鹿目の腰に腕を回した。猟銃を手放してくれていたら、少しは落ち着くのに握ったままだ。
聖徳太子の一族が、太子の死後、
また、
なるほど、そう言えば……。
十五年前に会った
『本当だと思うかい?』
鹿目を首根っこに乗せて歩く雪丸が、道すがらそのような逸話を披露したので、鹿目は黙って聞いていた。非常に興味深い話である。
「なんだよ、それっぽい理由があるじゃねえか。豊聡耳が闇落ちしたのは、それが原因かもな。そのせいで人間も化け物も見境なく攻撃しているんだとしたら、世の中全てを恨んでいる感じがするぞ。……もし、そうだとしたら、お前は自分のご主人様を、一体どう扱うんだ?」
『…………』
先ほどまで
先導する軽トラの速度は遅かった。松の根がアスファルトを破って至る所に飛び出しており、躱しながら進むからだ。
鹿目が、もう一度同じことを言おうとしたら、股ぐらの下から男の子の声がした。雪丸の声だ。
『和をもって
「ん? わ? なんだそれ? 聞いたことがあるな」
『争いごとは止めなさい。話し合って解決しなさい。豊聡耳が定めた、十七条憲法だよ。もし豊聡耳が、君が言うとおりに闇落ちして魔王となってしまったのなら……。それはもう、僕が知っているご主人様ではないね』
「じゃあ、どうするんだ?」
『思いっ切り噛みついてやる』
「ウヘヘ。それがいい。神様の尻に噛みつくなんて滅多に出来ないからな」
参道から氾濫したような松並木を越えた先にあるのは、法隆寺の総門である南大門だ。鹿目の記憶の中では、ラーメン大好きな化け物が擬人化の際に取り憑いていた門だが、軽トラと一匹が辿り着くと、焼け落ちてしまった跡だけが一同を迎えた。屋根も落ちていて黒ずんだ柱の残骸が、かろうじて確認できるだけである。そこにまた、松がしゃしゃり出てきて、景観を複雑にしていた。
武くんが運転席のドアを開けて降りて来る。手には金属バットが握られていた。軽トラを挟んで左側にいる鹿目に話し掛けると、鹿目は巨大化した雪丸に跨がったままなので、自然と見上げる形になった。
「こっからは歩きやな。松が邪魔や。中門の前まで行って、東に進めば夢殿に着くで」
「中門か。同じく焼け落ちているようだ」
雪丸に跨っているせいで、鹿目の視線は武くん達と比べると随分と高い。その分遠くまで見渡せるが、燃えた南大門を通り越して先に見えるのは、同じように焼け落ちた中門の残骸だった。更にその向こう、金堂や五重の塔といった背の高い建物も確認できない。恐らく破壊されて原型を保っていないのであろう。最奥の大講堂が無事かどうかは、松が邪魔をして分からないし、そもそも距離が遠すぎて鹿目の視力の限界を超えていた。
兎に角、重要なのは「中門が無くなっている」という事実だ。雪丸の話が本当なら、聖徳太子の怨霊を封じ込める封印は、すでに解かれている。
「……ったく。しっかりしろよな。奈良を救うんじゃねえのかよ」
十五年前に、呑気に笑っていた豊聡耳を思い出して、鹿目は文句を言った。まるで、つい昨日の事のように、はっきりと思い出せた。
法隆寺の敷地に踏み込むと、荒れていた。燃えて崩れた瓦が散在しているし、境内を仕切る壁は、一部が倒れている。石畳を破って大きな松が所々に生えだしており、もう何年もの間、誰も手入れをしていない様子が伝わった。
雪丸の横に来た千春が、
「
「え? 俺?」
「そうや。雪丸の背中に自分だけ乗って、私ら歩きやん」
「代わろか?」
「え? いいの? 雪丸も大丈夫?」
『大丈夫だよ。皆で乗りなよ。その方が早い』
雪丸がそう言うと、千春は瞳をキラキラと輝かせた。どうやら、大きくてモフモフとしている今の雪丸の姿は、千春の
屈んだ雪丸の背中に、千春、武くんの順番でよじ登る。猟銃と金属バットは持ったままだ。雪丸の背中は広く、二人が跨がっても、まだ一人位なら乗れそうだった。
雪丸が立ち上がると、白い体毛が伸びて二人の腰や足に巻き付いた。
「うわ! なんやこれ!」
「へぇ~! これなら少々無理しても落ちへんね! ちょっと温かいし、雪丸ありがと~!」
びびる武くんを他所に、千春は興奮して、手の平で雪丸の背中を何度か叩いた。反応して、クゥンと甘えたような雪丸の声がした。
『では、しっかり掴まっていてね。飛ばすから!』
鹿目の後ろにいる千春が、鹿目の腰に腕を回した。猟銃を手放してくれていたら、少しは落ち着くのに握ったままだ。