第19話 門出

文字数 2,194文字

「ええと……。たしか貴様は、奈良に潜入中だったな。ああ、そうだ。吉田寺(きちでんじ)を討伐したと記録にあるな。それで? どうした?」

「はい、それがですね。その後で神格が奈良に具現化しまして……」

「な、なんだと!!」

 鹿目征十郎(しかめせいじゅうろう)の上司、天音(あまね)コヨリは、執務室の椅子から転げ落ちそうになった。奈良に派遣しているはずの鹿目の電話に出ているが、猫の手も借りたいぐらいの忙しい時に、とんでもない事を言って来たと思った。いつもこの男はタイミングが悪い。

「どの神格だ? どいつが具現化した?」

「……豊聡耳(とよさとみみ)です」

「しょ、聖徳太子か……」

 天音は息を呑んだ。
 神格の中にも位があって、聖徳太子のような知名度を持ち、尚且つ偉大な功績を残した者は、その位が高く力も強い。
 そんな者が、呼ばれてもいないのに、ぽんっと出てくるようでは、いよいよ奈良も終幕に近づきつつあると天音は読んだ。
 
「それで? 神格は今、何をしている?」

「行方不明です」

「な、なんだと? 貴様、神格を見失ったのか?」

「は、はい。気が付いたら消えておりまして……」

「オイオイ……。それは不味いな。最高位の神格に好き勝手に動き回られたら、西日本が回復不可能なダメージを負うぞ。鹿目中尉、その辺は分かっているな?」

「はい大佐。今の時刻より、豊聡耳の捜索に全力で当たります。魔都化阻止の方には、別の神使(しんし)を応援に貰えますでしょうか? うへ」

「…………」

「魔都化阻止の方には、別の神使をあてがって貰えますでしょうか? うへ?」

「…………」

「魔都化の方には、別の神使を当てて貰えますか? あの、聞いてますか大佐?」

「……無理だな」

 天音コヨリは、重々しく言った。
 さらに(しば)しの沈黙の後で、衝撃の事実を口にする。

「三十分ほど前だ。新たに五県、魔都化の兆候が見られると連絡が入った。手持ちの神使は全て出払っているよ」

「え! 五県も! それは本当ですか? 大佐!」

 すでに七県が魔都となり、生身の人間が立ち入れぬ暗黒地帯と化している現状だ。
 もし奈良の魔都化が完了すれば八県目となるはずだった。
 だが、時を同じにして、他に五県も魔都化が進行し始めたとは……。
 こんな事は、今までになかった事だと鹿目は思った。もしかすると、神格が具現化した事と、関係があるのかも知れない。

「しかし、豊聡耳の捜索と、奈良の魔都化を同時に抱えるのは荷が重すぎます。なんとかなりませんか大佐?」

 言いながら鹿目は、今回の仕事は、自分の手に余ると確信していた。
 それこそ将官クラスの神使がやって来て、対処すべき案件だろう。

「何度も同じことを言わすなよ鹿目。私が無理だと言ったら無理なんだ。怠け過ぎて、そんな初歩的な事も忘れてしまったのか? もう一度、調教してやろうか? ええ?」

「い、いえ! そんな事は!」

 まずいと鹿目は思い始めている。
 天音大佐は気が短くて、生粋のサドだ。
 鍛錬と称して、何度か酷い調教を鹿目は受けてきた。
 もう、あんな悪趣味に、付き合うつもりは毛頭ない。
 鹿目は慌ててしまって、思い付いたことを、なんのフィルターにも通さずに発言してしまう。

「え、エリは? エリは、まだ現場に出てないでしょう? あいつでいいので、送って下さいよ。ウヘヘ……」

「お前の後輩のエリか。エリはもう現場に出ているよ。本人からの強い希望でな。先ほど出立した」

「そ、そうでしたか……」

「往生際が悪いぞ鹿目中尉。さっさと諦めて仕事に戻れ。明日の三時に連絡を入れるから、それまでに片付けておけよ」

「わ、わかりました……」

「……後輩にまで頼るとは、まったく情けない奴め。帰ってきたら、その歪んだ思考回路を、たっぷりと調教してやるからな。必ず直で、私の部屋まで来いよ」

「ちょ! ちょっと大佐! それは勘弁してください!」

「駄目だ。勘弁してやらない。では健闘を祈る」

 端末に向かって鹿目は懇願するが、相手はあっさりと切ってしまった。
 鹿目は愛車のシエンタに乗って電話をかけていた。助手席には武くんが座っている。後ろの収納スペースには、宮司さんが窮屈に押し込められていた。

「神使も、色々大変なんやな」

 武くんが言った。
 助手席に座った人は皆、同じことを言うなと鹿目は思った。



 鹿目たちが戻って来てからすぐに、JR法隆寺駅前の洋食屋を貸し切って、武くんと、佳世ちゃんの結婚式が行われた。といっても、二人の前には十字架などない。だから皆の前で誓いを立てる、人前式(じんぜんしき)という形式になった。

 宮司さんが、それっぽいことを何やら言っている。
 店内のテーブルを一列に並べて、和食に中華に洋食にと、バラエティーに富んだ料理が載せられていた。
 武くんはスーツを、佳世ちゃんは、お母さんの形見のドレスを。
 それ以外の者は、適当な服装で参加していた。田中正治にいたっては作業着のままである。ラーメン屋の菜月と千春も来ていて、嬉しそうに結ばれる二人を見ている。
 何だか善い行いをした後のような、清々しい気持ちに鹿目はなった。

 豊聡耳の捜索や、魔都化を防ぐために今すぐ行動しないといけないが、正直今日は、疲れてしまった。時刻も五時を回ったので、やがて暗くなる。
 天音大佐の怒りを買うのは避けたいが、命あっての物種だ。無理は出来ない。

 部外者の鹿目が参加しても、誰も文句は言わなかった。
 幸せそうな若い二人を見ていると、明日から頑張ろうという気になった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み