第6話 兼行法師家集 和歌一・二 石山寺詣で エッセイも

文字数 934文字

○いし山にまうづとてあけぼのに あふさかをこえしに(場面の注釈)
和歌一 雲のいろに わかれもゆくか あふさかの せき地の花の あけほののそら
雲の色に 分かれも行くか 逢坂の 関地の花の 曙の空

和歌二 あふさかの 関ふきこゆる 風のうへに ゆくへもしらす ちるさくらかな
□京都と大津を結ぶ道の途中に逢坂山があり、関所があった。逢坂の関の名は歌枕として、歌や文学作品に詠まれいる。

逢坂の関の麓には百人一首でおなじみの琵琶法師「蝉丸」が住んだという伝説があるという。
先日(R5年7月)、逢坂の関へ行ってみた。国道一号線の傍の山間に、うなぎ屋の看板があった。そこが、有名な逢坂の関である。江戸時代からウナギのかば焼きの名所であり、土日には県外ナンバーの車で大賑わいである。私たち夫婦も1時間待ちで食べてみた。更級日記のなかにも、この地は描かれている。大きな大仏が建設中であったと、菅原孝標の娘は14歳の頃、京都へ戻る途中の印象でつづっている。京都で公家と結婚し、子供も成長し資産も増え、牛車で供の者を従え、石山寺へ参篭し、三日間を過ごしている。
石山寺は紫式部もここで過ごし、源氏物語の構想を作り上げたとされている。この寺の一角に紫式部の、和机で十二単衣を着て、筆を持っている姿のモニュメントがある。山を登った所にも、銅製のモニュメントがある。山から瀬田川の流れが見える。競艇用のボートが何人かの漕ぎ手を乗せ往来している。琵琶湖周航の歌を思い出す。加藤登紀子が歌っている歌が一番味がある。
近くには瀬田の唐橋もある。川幅は結構広い二百メートル以上あるだろうか。ここを通り東海道があり、いろいろな古事があるようだ。いいところである。
石山寺は、滋賀県大津市石山寺にある東寺真言宗の大本山の寺院。
琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。
清少納言の『枕草子』二百八段に「寺は壺坂。笠置。法輪。
法輪。霊山は、釈迦仏の御すみかなるがあはれなるなり。石山。粉河。志賀」とある。
兼好法師が京都から逢坂の関を越えて、大津の石山寺へ参拝する。逢坂の関で曙の空に浮かぶ雲が、行くも帰るも分かれていく。桜の花も関を越え風に乗って行くと歌ったのであろう。
出家後の作品。

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