第21話 家集校訂者西尾実先生の言葉 エッセイ

文字数 651文字

兼好が日本文芸史の上に著しい足跡を記しているのは、その徒然草においてであって、その家集に於いてではない。しかし彼が生存の当時において、その時代文化の上に占めた地位はといえば、随筆家としてのそれではなくて歌人としてのそれであったことは、いうまでもない。
その歌人としての地位は、彼の後輩であった二条良基の近来風礼書に「兼好はこの中にちと劣りたるように人も存ぜしやらん」と記されているように、当時の歌壇に於ける第一人者ではなかったにせよ、同抄に「されども人の口にある歌どおおほく侍る也」とつづいて記されているように、頓阿・浄辯・慶雲等と共に、和歌四天王の一人としてその地位を確保していた事実は否めない。
尤も彼は世にあっては朝廷に仕えた。けれども、その地位は六位の蔵人か兵衛佐に過ぎなかった。又彼が怪鳥を射たという武勇壇も、明らかに後人の創作に外ならない。更に後宇多上皇の北面としてその御寵愛を蒙り、御醍醐天皇の皇太子邦良親王に親近し
奉ったのも、歌人なる故であったことはいうまでもない。更にまた、彼の関東下向のことが、或る人々のいうように、大覚寺派の忠臣として、間諜の任を帯びたものであったにしても、それを以て直ちにそれが政治的活動に身を委ねた人としての旅であったとは断じがたい。やはりその主要意義は歌人としての旅であったろうことは、彼の性向から推して、またその家集・随筆に現れたところからいって、疑う余地のないものと思われる。従って時代の人として彼を理解する道は、彼の歌人としての活動を外にしてはあり得ない。
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