1. 症例提示

文字数 1,680文字

症例は四十五歳男性。生来健康。昨年九月半ば、わき腹を窓枠の取っ手にぶつけた。打ち身はしばらくうずいたが、やがて痛みも消えた。一か月後、夫人に語ったところでは、打った場所は触ると痛いがすでにだいぶ良くなった。が、あざは残っていた。やがて口の中に変な味がし、腹部の右側に違和感を覚えるようになった。徐々に悪化し、夫人に受診を勧められた。遊走腎、慢性カタル、盲腸炎が鑑別に上がり、この時は盲腸炎と診断された。尿検査の結果で、指示も薬も変わった(詳細不明)。その後もいろいろな医者の診察を受けたが改善しない。わき腹の痛みが強くなり恒常化。味覚もますます変化し、口の中がいやなにおいを発しているように感じ始めた。まわりの人間が自分をみる目が変わってきたことを自覚した。日中は我慢しているが、痛みの為に夜の大半を眠らずに過ごすような状態となった。年末に一時改善したかに思えたが、突然再燃し、更に心臓に鈍痛を覚え、頭がぼやけていた。鎮痛鎮静薬が常時必要となり、頭が朦朧とし始めていた。食事は特別メニューになり、排泄も自立できなくなった。意識は保ちながら三日間叫び続け、一八八二年二月四日、永眠。

***本文に即してもう少し詳しく***

 昨年九月半ば、はしごに登っていたところ足を踏み外して転落するも、途中で踏みとどまり、わき腹を窓枠の取っ手にぶつけた。打ち身はしばらくうずいたが、やがて痛みも消えた。一か月前後経過した夜、夫人に語ったところでは、打った場所は触ると痛いがすでにだいぶ良くなっていたが、あざは残っていた。

 口の中に変な味がし、腹部の右側に違和感を覚えるようになっていたが、病気と名付けるほどのものではなかった。が、ある時から常にわき腹が重苦しく、気分が悪くなり、それがどんどんつのっていった。この頃、夫婦の間で口論が増えた。

 ある日、本人が、苛立ちやすくなっているのは病気のせいだ、と言い夫人に受診を勧められた。打診、聴診、問診の末、遊走腎、慢性カタル、盲腸炎の可能性を指摘され、医者は中でも盲腸炎と診断した。尿検査によっては、新しい兆候が見つかるかもしれないとも言われた。この頃の痛みは、一瞬も休むことのない、鈍い、疼くような痛みだった。尿検査の結果で、指示も薬もがらりと変わった。その後もいろいろな医者の診察を受けたが改善しない。ここで代替医療を試したり、勧められたりもした。

 そしてわき腹の痛みがますます強くなり恒常化した。味覚がますます変化し、口の中がなんだかいやなにおいを発しているような気がしはじめた。まわりの人間が自分をみる目が変わってきたことを自覚した。例えばカードゲーム中に「お疲れならばここで中止しよう」と気遣われるようになった。また日中は我慢して働くが、痛みの為に夜の大半を眠らずに過ごすような状態となった。

 こうして年末になり、義弟にはまるで死人のような、と評される。夫人は二人の医師の意見が正反対でよく分からないと言い、友人の医師は「盲腸の中にたった一つ異物がありそれが吸収されれば治る」と言った。一時改善した気がしたが、ある時突然再燃した。更に心臓に鈍痛を覚え、頭がぼやけていた。

 発症から三か月がたち、アヘンやモルフィネを使い頭が朦朧とし始めていた。食事は特別メニューになり、排泄には特別な装置を要し他人の手を借りることになった。ズボンを持ち上げる力もなく、足を他人の肩で支えられると楽になった。痛みは片時も休まらず、かかりつけ医と有名な医師の合同診察で、彼らは腎臓と盲腸という臓器を懲らしめ更生しようとし、「回復の可能性はある」と言われている。しかし意識が飛ぶほどの麻酔を打たれる。激烈なものと予測される苦痛を緩和するためにアヘンを使うことは可能、と夫人は説明を受ける。その後意識は保ちながら三日間叫び続け、一八八二年二月四日、永眠。

***詳述おわり***

 時間と痛みの部位が不明瞭で、分かりにくいです。ここを書かないことで、医学的な議論を避けているのでしょうか。文豪、流石です。でも次回から、無理につっこんで行きたいと思います。
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