8. 患者の行動について考える

文字数 1,518文字

 さて、今回はちょっと身体のことから離れます。『イワン・イリイチの死』は、死に至るまでの心理的な変化を描いた名作ではありますが、この考察では、その心理的なところには敢えて触れないでおくつもりでした。が、ちょっと触れておきたくなったので、一回分をこれに使います。

 (1.より要約文からの引用 再掲)
 ある日、本人が、苛立ちやすくなっているのは病気のせいだ、と言い夫人に受診を勧められた。打診、聴診、問診の末、遊走腎、慢性カタル、盲腸炎の可能性を指摘され、医者は中でも盲腸炎と診断した。尿検査によっては、新しい兆候が見つかるかもしれないとも言われた。この頃の痛みは、一瞬も休むことのない、鈍い、疼くような痛みだった。尿検査の結果で、指示も薬もがらりと変わった。その後もいろいろな医者の診察を受けたが改善しない。ここで代替医療を試したり、勧められたりもした。

***
 精神科医のキュブラー・ロスは一九六九年に『死ぬ瞬間』という書で「死の受容プロセス」について解き明かしました。死に至る病に対し、まずは「否認」し、「怒り」、そしてなんとか死なずに済むように「取引」しますが、どうにもならなくなって「抑うつ」に陥り、その後に「受容」するといいます。『イワン・イリイチの死』は一八八六年の出版ですが、トルストイはロスよりも八十年以上前に本作でそれを表現していました。で、今やイリイチ氏は、「取引」の段階に入っているのだと思います。

 本文七十ページに「医学書を読み、いろいろな医者の診断を受けたことも、彼の状態を悪化させた」とあります。どうでしょう。現代日本を思うと、この「医学書」を「インターネット」や「テレビのワイドショー」に置き換えて読んでしまいませんか? その結果、「昨日と今日の差はわずか」であるのに、「医者の診断を受けてみると、病気は悪化しており、しかも急速に進んでいるという風に思えてくる」のです。それでも「絶えず医者の診断を受けていた」というのです。その結果は「疑念と恐怖を強めただけ」なのに。

 更に七十一ページになると「同種療法の医者がさらに異なった見立て」をしました。その処方薬を、「誰にも内緒で一週間ほど飲んで」います。同種療法というのは、wikipediaによると「ホメオパシー」の訳語に当てられているものです。同ページに「現代医学の研究結果でプラセボ(偽薬)効果以上の効果はない」とも書いてありますが、調査日時点で「出典不十分」の扱いを受けています。「自己治癒力」というとなんだか良いことのような響きではありますが、結局イリイチ氏も「これまでの療法も今度の療法もまとめて信用できなくなり、いっそう気分が落ち込んで」しまいました。まあ、一週間でそうなっているので、同種療法を行う側からすると切り上げるまでの期間が短い、ということかもしれませんけど。
 続いては知り合いの貴婦人が「聖像(イコン)で病気が治る」という話をイリイチ氏にしてくれます。そしてその効果を確かめてみよう、とイリイチ氏自身が思っています。が、ここでイリイチ氏は気づきました。自分でこの出来事に「震撼」し、「一人の医者を選んだら、その医者の治療法を厳密に守るのだ」と決意しています。おそらく高額な出費は免れたことでしょう。

 このような心理状態に至るのですが、肝心の症状については、わき腹の痛みは「ますます強くなり、恒常化して」きたようです。味覚もおかしくなり、口の中が嫌な臭いを発しているように感じてきます。食欲も体力も落ちてきました。あの回り道が無かったら、という後悔は明記されていませんが、どうでしょうか? 次回は悪化していく症状から診断に近付いていきたいと思います。
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