15. 診療情報提供書から考える

文字数 2,528文字

 先日、いただいたレターに重要な情報がありました。読んでいただけるだけでもありがたいのに、貴重な診療情報提供書(しんりょうじょうほうていきょうしょ)をいただいた気分です。

 **以下、mikaさんからいただいたファンレターの抜粋**
 ロシアのオンライン図書館(https://rvb.ru/)では、『イヴァン・イリイチの死』について次のような解説が掲載されていました。抜粋してご紹介しますね。

「同時代の人々と著者自身が証言しているように、この物語は1881年6月2日に深刻な病気で亡くなったトゥーラ地方裁判所の検察官イヴァン・イリイチ・メチニコフのライフヒストリーを反映しています。」(出典: Т. А. Кузминская. Моя жизнь дома и в Ясной Поляне. Тула, 1958, с. 445—446)
「有名な科学者イリヤ・イリイチ・メチニコフは次のように書いています。私の45歳の兄は化膿性感染症による死が迫るのを感じながら、その才知は完全な明晰さを保っていた。」(出典: И. И. Мечников. Этюды оптимизма. М., 1964, с. 280)

 トルストイは実在のイヴァン・イリイチさんをモデルとして、この物語を書いたということです。そのイヴァンさんのご兄弟が、1908年にノーベル生理学・医学賞を受賞したイリヤ・メチニコフ博士で、彼は自分の兄の死因を化膿性感染症であると著作の中で書いているのです。

 **以上、mikaさんからいただいたファンレターの抜粋**

 ロシア語、ロシア文学に造詣の深い方からの貴重な情報。有り難うございます。そして、なるほど、モデルがあったのか! という驚きと納得。更にこのモデルの弟さんがノーベル生理学・医学賞受賞者だという二重の驚き。ちなみにメチニコフ先生は、白血球に貪食能(どんしょくのう)があるのでは? と提唱した方です。コロナ騒動で人口に膾炙(かいしゃ)する概念になったかなあ、と思います。その人が「化膿性感染症」だというのだから、これはもう決まりか?

 でも待ってください。有名な人が、偉い人が言っていることは常に正しい? ここでもコロナ騒動を思い出しますね。そう。そういうことでもない訳です。このような態度は患者を不幸にしますので、やはりちゃんと検証しましょう。
「化膿性感染症」ですが、主に細菌が体のどこかに感染し、化膿してしまった状態を指していると思います。以前も書きましたが、普通はこれに部位、つまりどこに感染しているか、を書き加えます。そしてできれば、何、つまりどんな菌に感染したのか、も知りたい。これはコロナで有名になった岩田健太郎医師と宮入烈医師との共著『抗菌薬の考え方、使い方』などにもまず最初に書かれている、超基本。コッホの三原則ですら一八七六年ですから、そのわずか六年後に死亡したイリイチ氏の診断や治療に現代流の感染症診断や治療が使えるとは全く思えませんが、化膿性というからには、どこかに膿があった、あるいは膿があると推測できた、ということになるでしょう。状態としては6.の慢性カタルのところで考えたものに近いです。でもやはり、身体診察でこれを推測するだけの根拠が記載されていないので、実際のところは分かりません。でも診断できているのなら、やはり文豪はこれを敢えて省いているか、重要性を理解せずに書いてしまったかのどちらかであろうと思います。

 そして忘れそうになっている、右わき腹の外傷を思い出しましょう。慢性カタルの考察時、症例数が多いはずという理由で、消化管のカタル(化膿性の炎症)をまず考えました。でもこれは外傷とは関係なさそうです。そうすると、外傷を得やすい消化管以外の腹部にある構造物、できれば菌が定着しそうなもの、それをもう一度考えてみよう、と思うに至ります。
 以前も書きましたが、例えば腸腰筋(ちょうようきん)という一群の筋肉に膿瘍(のうよう)ができる症例はそれなりにあります。原因はよく分かりませんが、外傷で出来た空隙(くうげき)などに菌がくっついてしまうのではないかと考えられます。ここまで有名ではなくとも、そういうことまで考えると、腹壁の薄い筋肉の間にだって、腹腔内で裂けた結合織(けつごうしき)の間にだって、菌は入り得る訳です。でも、マジですか? これはCTなどで確認したいし、死亡後に病理解剖(びょうりかいぼう)で是非見てみたい。治療が効かず免疫が凌駕されてしまうと、膿瘍は成長してしまいます。血流に乗って全身にいきわたれば、前回ご紹介した敗血症(はいけつしょう)になります。こうなると体温変動があり、進行も早いので、当初の考察ではクエスチョンマークをつけていましたが……。うーむ。そして膿瘍がよほど内部に出来ていない限り成長すれば外表つまり皮膚から見えてしまうでしょう。触診すれば触れるはずです。触られるとひどく痛むはずです。その辺りの記載も、今改めて探しましたが、やはり皆無です。マジか、文豪! 

 そうだとして少し医師たちの言い訳を考えるとですね、遊走腎と間違えていたのは、この膿瘍の塊(殻ができて膿が包まれている状態、膿胞(のうほう)を作ってしまうことがあります)を右下腹部で触れていたからなのかもしれませんね。その場所(右下腹部)が痛いと言われれば、虫垂炎を考えるのは超基本ですし。でも、外傷と絶対に関連付けるとすれば、外傷性の膿胞を思い出さざるを得ない気もします。あと、これも12.で書きましたが、こういうところに腫瘍、厳密には肉腫が発生し進行することもあり得ます。


 尚、現代日本の話を少ししておきます。診療情報提供書、いわゆる紹介状ですが、これは別の医師に診てもらおうというときには是非書いていただきたいものです。お金がかかりますが、このように重大なヒントが入っていたり、二重の検査を避けることができたりします。医師の判断で別の医師に紹介することも多いのですが、患者さんからの求めとなると嫌がる医師がいまだに存在するのは残念なことです。でも患者さん側には、そういう医師に臆することなく紹介状を要求してほしいです。ただ、更に残念なことに内容の薄い紹介状もあります。一定の金額を患者さんが払っているのだということを、書き手(紹介元の医師)は絶対に意識した方がいいと思います。
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