11. 医者の説明について考える

文字数 1,660文字

 さて、前回は外見の変化から診断を考えてみましたが、やはり小説内の表現からは診断に辿り着けそうもありませんでした。そして作品内でも当然確定診断はついていません。

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 (1.より要約の引用 再掲)
 こうして年末になり、義弟にはまるで死人のような、と評される。夫人は二人の医師の意見が正反対でよく分からないと言い、友人の医師は「盲腸の中にたった一つ異物がありそれが吸収されれば治る」と言った。一時改善した気がしたが、ある時突然再燃した。更に心臓に鈍痛を覚え、頭がぼやけていた。

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 診断がつかない証拠が、引用の「意見が正反対」というところ。少し前に戻るのですが、実はドクターショッピングをしていた頃、本文の七十ページには、「もう一人の有名医」の見立ては「ほとんど最初の有名医と同じだったが、ただ問題の立て方が違っていた」と書いてあります。続けて「友人の友人に当たる、とても良い医者」は「また全然別の見立てをして」いますが、「回復すると請合ってくれ」ました。しかしこの時、イリイチ氏は「混乱し、疑念を深めて」いますので、きっとこの診断には従っていません。その後、例の同種療法に行っています。

 最初の有名医は、七十八ページになって「レシチェンスキー」と名前が出てきます。この医者が例の三つ、すなわち「遊走腎」「慢性カタル」「盲腸炎」を挙げ、「盲腸炎」に軍配を上げましたが尿検査の結果でがらりと方針を変えました。前述の通り、何に変わったのかが明記されていないのですが、尿検査で何かあるとすればここで「遊走腎」に舵を切った、ということなのだとは思います。でも、「遊走腎」の症状に合わない点が多々あったことは5.で議論の通りです。

 本文から考えると、もう一人の有名医も同じ見立てなのですが、これは尿検査後の話でした。この有名医も七十八ページに二番目の医者として「ニコラ―エフ」と名前が明かされます。つまり、ニコラ―エフ医師の診断も「遊走腎」ということでしょう。

 しかしこれだと同じ診断なので、夫人の言う「正反対のこと」にはならないように思います。「問題の立て方」の違いを、夫人が理解できないのかもしれません。現代では医者の説明も隠すところが減り、ますます詳細になっていると思うのですが、患者さんや家族にちゃんと理解されているのか、考え直さないといけませんね。


 そして七十八ページの最終行付近に至り、イリイチ氏は「ピョートル・イワーノヴィッチ」を訪ねます。この人物が「医者を友人に持つ友人」です。イワーノヴィッチと一緒にその医者を訪問します。七十ページで別の見立てをし、回復を請合ってくれた医者。当時疑念を深めた相手。名前は明記されません。この医者が「盲腸の中にたった一つ、ごくちっぽけな異物があるのだ」と言い、「完治しうる」とやはり説明してくれます。「一つの臓器の活力を強め、もう一つの臓器の働きを弱めてやれば、吸収作用が起こって、すべてがもとに戻る」のだと。

 七十ページ、七十一ページを見直しても、この医者と同種療法の医者とは別人だと読めますので、こちらも混乱してきました。現代では例えとしてこういう説明をすることはあるかもしれませんが、正式な治療としてターゲットの臓器を絞り、その臓器の活力や働きを強めたり弱めたりすることは、ほぼ不可能だろうな、と思います。腎臓の機能についてならまだ何かできそうです(「遊走腎」ならば位置の問題なので、無意味だと思います)が、盲腸を、ねえ。尚、盲腸の異物、という話を信じるならば、「糞石(ふんせき)」という腸内に滞留した食べ物の残骸が腸内で固まったものである可能性が大きく、それが虫垂と盲腸との交通を遮断して、虫垂内で細菌が悪さをする、というケースだと思います。

 ただ、この後イリイチ氏は、症状の軽減を自覚します。「空想の中」で、「異物が吸収され、捨てられて、正常な機能が回復され」ました。ほんの一時的であれ、医療者の言葉、そして患者さんの解釈によって、このような作用を生むことはあるでしょうね。
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