第22話 駄菓子屋とミルクカレー
文字数 2,863文字
家の中が、ふんわりとした揺り籠ではない世界に徐々に変わりつつあったが、兄と私は小学校の友達、ご近所の友だちと毎日遊びまわっていた。
宿題はすぐに終わる量だったので、放課後はグランドで遊び、そのままみんなで帰って町内の公園で遊ぶ。雨が降ったらお友達の家に押しかけ野球盤や廊下ボウリング・テレビを見て、ただもうひたすら遊んでいた。
それとは別に兄はそろばん、私は幼稚園のころからピアノを習っていたが、ろくに練習することなく週一回のレッスンに行っては先生に怒られていた。
友だちの家に行く際はその日都合の良い家という事になるが、重ならないよう順番に回っていた。
もちろんお年寄りがいて家の中で遊ぶと叱られるという子の家や、狭くて無理というお宅は除いたが、それでのけ者になるという事もなかった。
我が家は織物工場が併設していて、子供の目には楽しい、ついいじりたくなる材料や機械がたくさんあったから、遊ぶとしても屋内ではなく庭や玄関先の駐車場だった。
「あーそーぶ」
と言って、子供たちはやってくる。
「〇〇ちゃん、あーそーぼー」ではない。
有無を言わせず「あーそーぶ」もしくは「あーそーべ」と言ってやってくるのだ。
長井市ではそうだったが、父や祖父曰く、米沢では「あっあいー」というのだそうである。
玄関に立って、節をつけて「あっあいー」と家の中に叫ぶ。
童謡のようで元気で可愛いと思うのだが、今はあまり使われない古い方言になりつつあるという。
この、自分の行動を表明する呼びかけの言葉は、小さな個人営業の駄菓子屋や本屋に入る時も使われた。
子供は
「かーうー(買う)」
と宣言しながら店の中に入るのだ。
さすがにスーパーマーケットや大きな店ではしないが、老人が一人で店番をしているような小さなお店では、放課後になると漏れなく子供たちの
「かーうー」「かーうー」
がこだまし、夕暮れに鳴き交わすカラスの声のようだった。
寺の門前町の昔の庄屋屋敷近くに、町内の子供達がよく行くバラックのような駄菓子屋があった。
「おたけ」と呼ばれていたその店はガラスの引き戸が年中開いていて、板の間に白いヨーグルトの小瓶やエビせんべい、糸のついたイチゴ飴、紙飛行機やタコ、銀玉鉄砲や花火などが所狭しと並んでいた。
子供たちは板の間に腰掛け、奥に座った相当なお年のお婆ちゃんの前で物色し、ポケットの中の小銭を出して、買い食いしていた。
するめ、よっちゃんイカ、梅ジャム、ミルクせんべい。
舌が赤や緑に染まってしまう水飴は、割りばしをぽきんと半分に折ったものにからめて渡してくれる。
イートインスペースも看板も無いお店だったが、町内の子供たちは、遊びに行ってその子がいないと、まず「おたけ」に行って合流するという、ある意味秘密基地のような店だった。
ある日突然、その店の引き戸が閉じたままになり、店主死亡につき閉店しますの張り紙が出されるまでは。
小学二年生の夏、近所中の友達が我が家に集まったことがある。
そこに工場の従業員さんの子供たちも合流して、大勢で前庭のコンクリートのたたきで水をまいたり、砂を集めたりして遊んでいた。
そこに、兄とその友達がペンキ缶を持ってきた。
外壁の修繕に使った残りを、父がガレージの奥にしまっておいたものだ。
それを掘りだしてきた兄たち男の子組は、俄然張り切りだした。
「ミルクカレーを作ろう。俺、この前テレビで見たんだ」
1人が言い出し、子供たちはたちまち沸き立った。
やろうやろう。
ちょうど彼らが持ち出したのも白ペンキだ。
ままごと用の皿やお盆、大きな八つ手の葉に盛り上げた砂や細かい小石の上に、これもままごと用の大スプーンで缶からペンキをすくいあげ、とろりとかける。
顔や腕にしぶきが飛び、そこをこれまたペンキのついた指で擦るものだから、子供たちの顔は白いまだら模様になったし、服にも点々とペンキがついた。
と、誰かが缶を足で蹴ってしまい、ひっくり返ったペンキが我が家の玄関先のたたきに流れた。
黒っぽいコンクリのたたきに縞模様になって流れる白いペンキ、そこに子供たちの足跡がペタペタとたくさんついている。
これはまずい。さすがにやばい。
私は玄関に入って大声で母を呼んだ。
織物の検品をしていた母は、何事かと慌てて出て来た。
そして玄関先に呆然と佇む、白いまだらの子供達を見て、大声をあげた。
私たちは庭先にビニールシートを敷いた上にあげられ、足や腕から顔から全部、ガーゼに含ませたベンジンでごしごしこすられた。
母だけでなく、工場の織り子さん達も作業を中断し、ペンキだらけになった我が子を叱りながらこすり、ペンキを落としていた。
子供たちはベンジンの揮発するにおいで気持ちが悪くなったが、母親たちの怒りは収まらなかった。
怒りに任せてごしごしこするので、柔らかい子供の肌はペンキがとれる頃には真っ赤になっていた。
「ミルクカレーをよ、つぐっかど思って」
「せつけなペンキでなくて何かでしろ(そんなのはペンキじゃなく、何かでしなさい)」
そこら中に揮発したベンジンが漂っていたので父、祖父、従業員の男衆もタバコが吸えず、いつもなら多めに見てとりなしてくれるのに、反対にマシマシで怒られるという、踏んだり蹴ったりのミルクカレーだった。
その子たちは別々の進路に進みもう逢う事もないだろうが、大人たちに叱られながらも次々と新しい悪さをしていた日々を思い出す。
玄関先のコンクリのたたきについた白ペンキは、私の結婚後に実家建て替えをするまで、白いまだらのままだった。
お母さん、お父さん、ごめんなさい。
レシピ。
ミルクカレー
約四人分。
玉ねぎ一個は薄切りにする。鶏もも肉一枚、人参半本、メイクイーンのジャガイモ一個は小さ目の一口大に切り、マッシュルーム1パックは土のついた軸を切り縦半分に切る。
絹さや10枚かさやいんげん5本は固めにゆで、いんげんなら軸を取り4センチ長さに切る。絹さやは頭から筋を取り半分に切る。
鍋に油大匙1を熱し、ニンニク1片、生姜1片のみじん切りを炒める同量のチューブおろしにんにく、おろし生姜でもよい。
玉ねぎを加え、透きとおるまで炒める。
鶏肉、にんじん、ジャガイモを加え、油が全体に回るように炒め、小麦粉大匙四杯半を振り入れる。
粉っぽさが無くなり具に馴染んだら、クミン、カルダモンの粉末を小さじ1、顆粒コンソメスープの素を小さじ2加え、塩2つまみも加え、水カップ一杯半で溶きのばす。
中火で煮立ってきたら蓋をして弱火にし、野菜が柔らかくなったらマッシュルームと、牛乳カップ二杯を加えて弱火で5分ほど煮込む。
ガラムマサラ小さじ1を加え、塩味のチェックをし、薄味過ぎたら少しずつ追加して調整。
ガラムマサラの強い香りがやや和らいだら、インゲンか絹さやを加えて一混ぜして火を止め、暖かいご飯にかけて食べる。
子供向けには、缶詰や冷凍のスイートコーンかミックスベジタブルを入れると、甘味が出て一層美味しいです。
宿題はすぐに終わる量だったので、放課後はグランドで遊び、そのままみんなで帰って町内の公園で遊ぶ。雨が降ったらお友達の家に押しかけ野球盤や廊下ボウリング・テレビを見て、ただもうひたすら遊んでいた。
それとは別に兄はそろばん、私は幼稚園のころからピアノを習っていたが、ろくに練習することなく週一回のレッスンに行っては先生に怒られていた。
友だちの家に行く際はその日都合の良い家という事になるが、重ならないよう順番に回っていた。
もちろんお年寄りがいて家の中で遊ぶと叱られるという子の家や、狭くて無理というお宅は除いたが、それでのけ者になるという事もなかった。
我が家は織物工場が併設していて、子供の目には楽しい、ついいじりたくなる材料や機械がたくさんあったから、遊ぶとしても屋内ではなく庭や玄関先の駐車場だった。
「あーそーぶ」
と言って、子供たちはやってくる。
「〇〇ちゃん、あーそーぼー」ではない。
有無を言わせず「あーそーぶ」もしくは「あーそーべ」と言ってやってくるのだ。
長井市ではそうだったが、父や祖父曰く、米沢では「あっあいー」というのだそうである。
玄関に立って、節をつけて「あっあいー」と家の中に叫ぶ。
童謡のようで元気で可愛いと思うのだが、今はあまり使われない古い方言になりつつあるという。
この、自分の行動を表明する呼びかけの言葉は、小さな個人営業の駄菓子屋や本屋に入る時も使われた。
子供は
「かーうー(買う)」
と宣言しながら店の中に入るのだ。
さすがにスーパーマーケットや大きな店ではしないが、老人が一人で店番をしているような小さなお店では、放課後になると漏れなく子供たちの
「かーうー」「かーうー」
がこだまし、夕暮れに鳴き交わすカラスの声のようだった。
寺の門前町の昔の庄屋屋敷近くに、町内の子供達がよく行くバラックのような駄菓子屋があった。
「おたけ」と呼ばれていたその店はガラスの引き戸が年中開いていて、板の間に白いヨーグルトの小瓶やエビせんべい、糸のついたイチゴ飴、紙飛行機やタコ、銀玉鉄砲や花火などが所狭しと並んでいた。
子供たちは板の間に腰掛け、奥に座った相当なお年のお婆ちゃんの前で物色し、ポケットの中の小銭を出して、買い食いしていた。
するめ、よっちゃんイカ、梅ジャム、ミルクせんべい。
舌が赤や緑に染まってしまう水飴は、割りばしをぽきんと半分に折ったものにからめて渡してくれる。
イートインスペースも看板も無いお店だったが、町内の子供たちは、遊びに行ってその子がいないと、まず「おたけ」に行って合流するという、ある意味秘密基地のような店だった。
ある日突然、その店の引き戸が閉じたままになり、店主死亡につき閉店しますの張り紙が出されるまでは。
小学二年生の夏、近所中の友達が我が家に集まったことがある。
そこに工場の従業員さんの子供たちも合流して、大勢で前庭のコンクリートのたたきで水をまいたり、砂を集めたりして遊んでいた。
そこに、兄とその友達がペンキ缶を持ってきた。
外壁の修繕に使った残りを、父がガレージの奥にしまっておいたものだ。
それを掘りだしてきた兄たち男の子組は、俄然張り切りだした。
「ミルクカレーを作ろう。俺、この前テレビで見たんだ」
1人が言い出し、子供たちはたちまち沸き立った。
やろうやろう。
ちょうど彼らが持ち出したのも白ペンキだ。
ままごと用の皿やお盆、大きな八つ手の葉に盛り上げた砂や細かい小石の上に、これもままごと用の大スプーンで缶からペンキをすくいあげ、とろりとかける。
顔や腕にしぶきが飛び、そこをこれまたペンキのついた指で擦るものだから、子供たちの顔は白いまだら模様になったし、服にも点々とペンキがついた。
と、誰かが缶を足で蹴ってしまい、ひっくり返ったペンキが我が家の玄関先のたたきに流れた。
黒っぽいコンクリのたたきに縞模様になって流れる白いペンキ、そこに子供たちの足跡がペタペタとたくさんついている。
これはまずい。さすがにやばい。
私は玄関に入って大声で母を呼んだ。
織物の検品をしていた母は、何事かと慌てて出て来た。
そして玄関先に呆然と佇む、白いまだらの子供達を見て、大声をあげた。
私たちは庭先にビニールシートを敷いた上にあげられ、足や腕から顔から全部、ガーゼに含ませたベンジンでごしごしこすられた。
母だけでなく、工場の織り子さん達も作業を中断し、ペンキだらけになった我が子を叱りながらこすり、ペンキを落としていた。
子供たちはベンジンの揮発するにおいで気持ちが悪くなったが、母親たちの怒りは収まらなかった。
怒りに任せてごしごしこするので、柔らかい子供の肌はペンキがとれる頃には真っ赤になっていた。
「ミルクカレーをよ、つぐっかど思って」
「せつけなペンキでなくて何かでしろ(そんなのはペンキじゃなく、何かでしなさい)」
そこら中に揮発したベンジンが漂っていたので父、祖父、従業員の男衆もタバコが吸えず、いつもなら多めに見てとりなしてくれるのに、反対にマシマシで怒られるという、踏んだり蹴ったりのミルクカレーだった。
その子たちは別々の進路に進みもう逢う事もないだろうが、大人たちに叱られながらも次々と新しい悪さをしていた日々を思い出す。
玄関先のコンクリのたたきについた白ペンキは、私の結婚後に実家建て替えをするまで、白いまだらのままだった。
お母さん、お父さん、ごめんなさい。
レシピ。
ミルクカレー
約四人分。
玉ねぎ一個は薄切りにする。鶏もも肉一枚、人参半本、メイクイーンのジャガイモ一個は小さ目の一口大に切り、マッシュルーム1パックは土のついた軸を切り縦半分に切る。
絹さや10枚かさやいんげん5本は固めにゆで、いんげんなら軸を取り4センチ長さに切る。絹さやは頭から筋を取り半分に切る。
鍋に油大匙1を熱し、ニンニク1片、生姜1片のみじん切りを炒める同量のチューブおろしにんにく、おろし生姜でもよい。
玉ねぎを加え、透きとおるまで炒める。
鶏肉、にんじん、ジャガイモを加え、油が全体に回るように炒め、小麦粉大匙四杯半を振り入れる。
粉っぽさが無くなり具に馴染んだら、クミン、カルダモンの粉末を小さじ1、顆粒コンソメスープの素を小さじ2加え、塩2つまみも加え、水カップ一杯半で溶きのばす。
中火で煮立ってきたら蓋をして弱火にし、野菜が柔らかくなったらマッシュルームと、牛乳カップ二杯を加えて弱火で5分ほど煮込む。
ガラムマサラ小さじ1を加え、塩味のチェックをし、薄味過ぎたら少しずつ追加して調整。
ガラムマサラの強い香りがやや和らいだら、インゲンか絹さやを加えて一混ぜして火を止め、暖かいご飯にかけて食べる。
子供向けには、缶詰や冷凍のスイートコーンかミックスベジタブルを入れると、甘味が出て一層美味しいです。