第19話 カタクリの花咲く山

文字数 2,199文字

 先日、カタクリの花茎が束にして売っている、秋田県のとある山菜店の記事を目にした。
 カタクリは、すうっと伸びた細い茎に赤身がかった紫の花をつける、ユリ科の植物だ。
 記事ではその花付きの茎をさっとゆで、花弁の色を生かした酢の物にしていた。
 なるほどとうなずくほど美しく、春の香りに溢れていた。

 私のカタクリの花の思い出は、最上川の広い流れの脇の里山に繋がる。
 父方祖母は体が弱く色んな病気にかかった人だが、中でも膝と腰は大層悪く、季節の変わり目には寝つくことも多かった。
 特に秋晴れの、青空が曇り冬が駆け足でやってくる時期や、一日ごとにみぞれが雨になり春雷が鳴り、氷点下だった気温が3度、5度と上がり、日中の雨が雪を溶かす早春の変化激しい天候は、祖母の体にダメージを与えた。
 だが華道の師匠で誰よりも野の花や景色を愛する祖母は

「早くすっかり春になって、野っぱらさ行きだいごど。もう花こも一杯咲くべがら」

 と、しきりに言った。
 そして庭の雪の間からフクジュソウや雪割草が咲き、アマドコロやタンポポの新芽が出てきて、真っ白いハコベや空色のオオイヌノフグリの花が、起こす前の田んぼを埋めつくすようになると、祖母は居てもたってもいられず、息子である父に頼んで車を出してもらう。
 父と祖父は心配で渋い顔をしながら、結局は祖母の願いに負けて車を出して『東山』と呼ばれる里山まで連れて行くのである。
 山形県の市町村は大体山や川によって別れているが、東山もまた南陽市や白鷹町、山形市と長井市を分ける山脈の一つだった。
 名称は「虚空蔵山」といった。
 全国にこの名の山はたくさんあるが、長井の『東山』も、急な石段を山の中腹まで上った所に虚空蔵菩薩を納めた小さな古い院があり、山岳信仰由来の真言密教盛んなこの地域の守り神の一つだった。
 その山の一角、沢に面した穏やかな木漏れ日の差し込む雑木林の生い茂る斜面が、カタクリの花の一大群生地だった。

 あまり山奥でもないが山菜採りのルートからも微妙に外れ、虚空蔵様へのお参り客の声も届かない静かな斜面は、恐らく何十年もかかって形成された、可憐な赤紫のうつむいた花で埋められていた。
 細い茎に似合わぬ繊細で重たげなユリに似た花びらから、濃いえんじ色の雄しべを伸ばし、白っぽくけぶる斑入りの葉を広げ、雪融けのやわらかな地面から、その崖だけ一面に咲き誇っている。
 万葉集で大伴家持が、水汲みをする娘たちの初々しい美しさになぞらえたとおりである。
 ふかふかの落ち葉や地面に落ちた小枝に足をとられて転ばないように、父と祖父でしっかり祖母の体を支え、一足ごとに地面の具合を確かめながらゆっくりと歩く。
 花園の斜面に着くと、祖母はうっとりと微笑んで、シートを敷いた地面に腰を下ろし、深呼吸をする。
 そして洋装のスラックスのポケットから手帖を取り出し、色鉛筆でさささっと手早く写生をした。
 祖母が残した数多いスケッチは実家の建て替えの際失せてしまったらしく、柔かい色合いの達者な絵はもう見る事が出来ない。
 伝統紬の職人である父は繊細で素晴らしい図案を書いていた。米沢織の職人だった祖父の才と同時に、植物や鳥や美しいものが好きな祖母の芸術性も受け継いでいたと思う。

 祖母が疲れてきたころ合いを見計らい、祖父と父がまた左右から抱きかかえて一歩ずつゆっくりと下山させ、車で家に帰る。
 その後は床につき、下手すると翌日まで寝込んでしまうのだが、祖母は毎年カタクリの群生する崖を見に行きたがった。
 祖母の死後1か月ほど後カタクリの季節が巡り来て、父と虚空蔵山の群生地に行ってみた。
 分厚く積もった枯れ葉と土を踏みしめ、車をとめた道から沢伝いに数分山に分け入ると、その年も可憐なカタクリが咲き乱れていた。
 春の木漏れ日の中、雪の下から必死に葉と茎をのばして花を咲かせるカタクリ。
 花が終われば地上部は消滅し完全に姿を消し、根だけになって春まで深い地面の底で眠り続ける。
 繁殖力も弱く環境の変化にもひ弱なカタクリは、採集するときも注意が必要だ。
 地上部を引っ張りでもしたら何年もかかって伸びた根を傷めてしまい、枯れてしまう。
 鋭い刃物で刈り取らなければならないし、地域によっては絶滅危惧種になるほどデリケートな野草だから、持ち帰り鉢植えにしようと試みても、木漏れ日の森の環境を再現し腐葉土でフカフカの地質を維持しないと、いつの間にか芽を出さずに消えてしまう。
 一度失われた植物の群生地は2度と元には戻らないのだ。
 亡くなってしまった祖母の命のように。

 気を付けて、大事にしていきたい。

(レシピ) 
 カタクリの酢のもの。
 直売所などで売られているカタクリは、ほんのちょっぴりでも季節感あふれる色鮮やかな酢の物にするといい。

 買ってきたカタクリの地上部は花の周りは特にそっと洗い、根元の汚れた部分は除く。
 茎の方から沸騰した湯に酢を少し入れたものに入れ、さっとゆでる。
 刻んで水気を絞り、穀物酢カップ4分の1、砂糖大匙2杯弱、塩2つまみ、昆布だし大匙一杯を混ぜ合わせた甘酢で和え、すぐに食卓に出す。
 美しい色としゃきっとした茎の歯触りを楽しめます。

 他にも白い花を咲かせるキンポウゲ科のニリンソウやスミレの花なども食べられますが、ほんのちょっぴり自然の恵みを頂くだけにして、あとは野におき愛でるのがいいと思います。
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