第1話 お米に神様?

文字数 2,143文字

 私の生まれ育った山形県は、地図をご覧になるとわかる通り、とても大きい。
 その面積の大部分は山岳地帯が占めるのだが、最上川の流れに沿って平地があり盆地があり、地形が生む気候的に一日の寒暖の差が激しい。
 よく「米どころ」と言われるが、子供の頃はここ以外の土地を知らないので、市街地の外側に山の際まで田んぼが広がり、山のふもとには果物の段々畑があるのが世界標準だと思っていた。
 ついでに言うなら、最上川の橋の下の河原には「橋の下の住人」がおり、ブルーシートハウスでもないのに、日がな一日なぜか座っていた。
 父に言わせると
「あの人たちはちゃんと家があるのに、ああしてぶらぶらしているんだ」
という、幼い私には羨ましいとしか思えない生き方をしていたらしい。
 市民集団から離れた、昔で言うと自主的な「村八分」のような人だったのかもしれない。

 母は地元長井市の出身だが、父方は城下町米沢市の出身で、代々織物屋であった。
 父の代に長井市に移住してきたので、父方の祖父母の言葉は近所のじっちゃばっちゃとは少し違っていた。
 特にすらりと上品で、佇まいも容姿も美しい父方祖母は、子供の目からも明らかに、近所の女衆とは異質だった。

 織物工場の我が家は職住近接で三世代同居だったから、勤め人の家庭より食事の時間は早く、午後三時から四時にかけての一家揃ってのお茶が終わると、女衆は茶器を洗い、そのまま夕飯の仕込みに入る。
 家族は六人。父方祖父母、両親、二歳年上の兄と私だ。
 常に年寄りと一緒の食事だったから、我々が幼いうちは特に母は苦労しただろう。
 父方祖母は体が弱く、結核を患っていたこともあり、すぐに疲れて寝込んでしまうので、家刀自ではあるが家事はほぼすべて母の役目だった。
 食卓には子供向けの料理も並んだが、我が家の夕飯は年寄り向けの料理が多かった。
 何種類もの煮物、野菜のおひたし、漬物、焼き魚は切り身ではなく頭としっぽを落とした一匹のまま。そしてご飯だ。

 母は11人兄弟の末子として育ったからご飯は大量に炊いた。
 私が小さい頃は保温ジャーがないので朝に炊いて昼にも食べ、夜はまた炊く。
 米は近所に住む父が仲人をしたご夫婦が毎年贈ってくれる、地元の農家のお米だ。
 だから多分最高にうまい品種だったと思う。
 戦前から織物屋をやっていた父方の家は裕福で、父は一人っ子だったから甘やかされて育ったし、布という一般の人が喉から手が出るほど欲しい物資が手元にあったから、戦争中も農家から最高級の米を買っていたらしい。(どうやって巡査の目をごまかしたのか。多分付け届けだろう)

 祖父はご飯にはこだわっていた。
 一杯目はよそわれたままに食べる。
 何もかけず何も添えずに、白い色を保持したまま食べるのが大事なのだそうだ。
 私がおかずやクリームシチューをご飯にのせると、日頃穏やかで孫には大甘な祖父が叱った。

「伽耶ちゃん、ご飯の上さ物かけで食わんねごで。お米の上さは神様が居だなだがら、神様の頭の上さおかずこ置いて汚してわりごで。米は白いままけえ」
(ご飯の上に物をかけて食べてはいけない。お米の上には神様がいるのだから、神様の頭の上におかずを置いて汚しては悪いでしょ。米は白いまんまに食べなさい)

 確かに、母がカルシウムを取るためにと子供用にふりかけをかけても、味付け海苔を使っても、佃煮を載せても、祖父はいい顔をしなかった。
 祖母に諭されて、子供用のふりかけは目をつぶるようになったが、それでも不満そうな顔をしていたのを覚えている。
 一膳めのご飯は白いままに。それが何となく我が家の決まりになっていた。

 とはいえ小さかった私は、いくら子供用の茶碗でも、お替りして二膳など食べられなかったから、どうしても納豆や海苔でご飯が食べたいときは、隣で胡坐をかいて食事をしている祖父にお伺いを立てた。

「じじちゃ、納豆でご飯食っていいが?」
「あまえ」(いいよ)

 相好を崩して米沢弁で答える祖父は大層気まぐれだったかもしれないが、他の味を添えない白いままのご飯の美味しさを教えてくれたのは、間違いなく頑固で気分屋の『じじちゃ』だった。

 「だし」や小ナスのからし漬け、丸ナスや大根、蕪の漬物。
 様々な『ご飯にのっけて美味しいもの』が山形にはたくさんあるのは、また次話以降にて。

レシピ1
米沢出身の父方祖父に敬意を表して「ウコギご飯」
うるち米3合を研いで30分ほど吸水させる。(米の配合は好みで2,5合のうるち米に0.5合のもち米でもいい。後者の方がもちもちしているが好みで)
辛口の日本酒大さじ1から2を入れて炊く。
ウコギを両手に一つかみくらい洗ってさっとゆで、水に十分晒して苦みをとり、固く絞ってみじん切りにし、塩小さじ1位と混ぜる。
炊いて蒸らしあがった米にバラバラと散らしながら入れ、切るように混ぜる。
食べるときにいりごまをふる。
ウコギは上杉鷹山公が飢饉対策の書「かてもの」の中で、野菜代わりに垣根での栽培を奨励した灌木。若い芽を天婦羅やあえ物、混ぜ物、おひたしなどでいただきます。この樹は実家にもありました。

「じじちゃ、ぶじょうほな。白いご飯でねえレシピ紹介したぜは」
(おじいちゃんごめん。白いご飯じゃないレシピを紹介しちゃったよ) 
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