第2話 ふきのとう味噌と天婦羅と山菜

文字数 3,873文字

 実家のある長井市の横町という土地は、大きな神社の森が切れたあたりの、元々何もない畑地だったと聞いている。
 そこに県内各地で昔の織物を学んだ父が家を建て、米沢市から両親を呼び寄せたのだという。
 そのころの米沢では効率の良い機械織りが主流になっていたから、昔のものを復興させたかった父はあえて知り合いのいない当地を選んだらしい。
 昭和30年前後の話だ。

 なので家には昔ながらの織機が何台も置いた工房が隣接し、周辺農家の奥さん達が通いで働いていた。
 家の中と工房は、廊下を隔てているわけでもなく完全に繋がっており、茶の間の北側に祖父の箪笥、祖母の箪笥、本棚、菓子置き場が続き、その並びで工房の織機がガチャガチャと、ひっきりなしに賑やかな音を立てている。
 工房兼住居の二階には大きな糸巻き機とかすり模様の染付け機械、それには専門の職人さんが着いていた。
 さらに、違う種類の糸への絵付け台が二台、オランダの風車のように回っていて、祖父が丸椅子に座り柄の切り替えに合わせて糸貼りの板を替えるべく見張っていた。
 北東の部屋では父が胡坐をかいて筆と絵の具で図案を書き、それを絹糸を張り巡らせた専用台で、下に図案を敷いてトレスし、疲れると時々ギターを弾く。
 ナルシソ・イエペスというギタリストが大好きな父はLPレコードをたくさん持っていて、ジャズやボサノバもかけながら図案書きをしていた。

 子供達が小学校から帰るころには織り子さん達も自宅に帰り、夕方五時には職人さんも一杯やって帰宅するためにそそくさと出て行く。そこからは家族の夕の時間だ。
 父はお呼ばれすれば気軽にどこにでも遊びに行く人だったが、祖父は違った。一家揃っての三時のお茶のあともうひと働きしたら、二階の『風車』の傍から降りてきて夕陽の中お風呂に入る。
 湯船は足の悪い祖母が膝を曲げないで入れるように、当時としては大きなサイズで細長く、美しいモザイクのような色タイル貼りだった。
 そしてお風呂から上がったら腰タオルでうろうろなどせず、母が洗ってアイロンをかけたふんどしと白のランニング、ステテコまで着用して初めて、脱衣所から台所を通って茶の間に向かう。
 風呂上がりの祖父や父と、ジュースで晩酌の御相伴をしながら夕方のテレビを見るのは、私と兄の楽しみだった。とはいえ当時山形県は民放が2局しか映らなかったが。
 
 母の実家は大きな豆腐屋だったから、よく豆腐料理が食卓に上った。
 春は隣の家の柿の木の下にわさわさ生えるふきのとうを使った、ふきのとう味噌の田楽が頻繁に上った。
 栽培ものではないふきの匂いは強く正直苦手だったが、大人たちは春の味だと大事に食べる。

「伽耶ちゃんもちょっこっと食ってみねが? 」

 と箸の先ですくって、あーんと開いた口に入れてくれたが、その苦さ匂いの強さに辟易し、しかめた顔を大人たちに笑われながらも二度とこんなものは口にすまいと誓った。
 ほろ苦くてうまい、という概念は幼い自分にはなかった。

「じじちゃ、酒の肴だも、おぼごさふぎのと味噌はきづいべ」(おじいちゃん、酒の肴なんだもの。子供にふきのとう味噌はきついでしょうよ)
 
 母は子供達がふきのとう嫌いになるのを恐れてか、食卓の中から揚げたての天婦羅を取り分けて、温かい天つゆと共にくれた。

「これなら伽耶ちゃんも大丈夫だごで。んまいよ」

 とう立ちしたふきのとうの、葉をつけたままの茎を輪切りにして、向日葵の花のように丸く形を整えて揚げた天婦羅だ。
 ふきのとうの季節、当地では色んな食べ方をするが、成長して筋張ったものでも美味しく食べられるように、町内会婦人部の講習会で教わったのだという。
 温かい天つゆにくぐらせてパクリと齧りつくと、甘じょっばくて美味しい天つゆの味の中に広がる、やはり強いえぐみと苦み。
 揚げるという調理法で大分和らいだとはいえ、野生のふきの香りは子供にはきつかった。
 とはいえ口からべーっと出すと叱られる。
 幼児の私は急いで茶碗の飯を口に入れ、白い味のないご飯の助けを借りて飲み込んだ。
 えらいえらいと祖父母や父は褒めてくれたが、母は笑顔の下から
『本当は吐き出したかったんでしょう?』
 と言いたげな目で私を見ていた。

 母は長子である兄にはかなり甘かった。
 特に食の面では好き嫌いを許し、魚の骨は全部取ってほぐして食べさせていたが、私には厳しかった。
 嫌いなものもなるべく食べなさい。口に入れたものは絶対に出すな(傷んだものは除く)
 それは将来よそにお嫁に行くのだから、嫁ぎ先で馬鹿にされないようにとの配慮だったかもしれないが、それだけではないと思う。
 男児と女児の扱いの差は厳然として存在した。その点が押し隠しても棘のように引っかかり、母と心底打ち解けることができたのは結婚して子供ができてからだ。

 山形県南部は飯豊連峰と出羽三山から伸びる朝日岳に囲まれ、ちらちらと半日陰で雪が夏まで残る森林、日当たりのいい斜面、雪解け水が湧水となって流れる沢と条件がそろい、少し山に入れば山菜の宝庫だ。
 早春になるとあっちでもこっちでも蕨や山菜採りに一家で出かけ、背負いかごいっぱいに摘んでは隣組や近所、親類に配りまくる。
 だから自営業であまり山に行かない我が家の玄関にも、どこからともなく山ほどの山菜が届くのだ。
 藁で縛られ、新聞紙でくるんだ蕨や『しょでこ』という山菜は、綺麗に掃除をして泥や砂やくっついた落ち葉の屑を落とし、すぐに草木灰とお湯でアク抜きをしなければならない。
 当座食べない分は塩漬けにして保存だ。

 アクを抜くことは方言で「きざわす」と言い、アクっぽいことは「きどい」と言った。
 そのきどさを愛でるのが山菜なのだが、小さい子供にはハードルが高く、例えばいくら美味しいタラの芽でも毎日天婦羅で出てくれば嫌いにもなる。
 成長し、自分でも台所の手伝いをするようになれば、個々の山菜の個性や美味しさもわかって来る。
 青ミズは市販の野菜に近く、細い茎はシャキシャキしてあく抜き要らず。おひたしにしておかかをたっぷりかけてそのままいける。
 赤ミズは青ミズより少し癖があるがやはりあく抜き無しでおひたしや芥子和えにする。
 そしてひげ根を切り落とした根元の太くて赤い部分は、さっとゆでて爪で皮をむき、微塵に刻んでさらに叩いて粘りを出せば、ミズのとろろだ。
 秋の山芋のとろろより量も少なく色も赤茶っぽい薄い褐色だが、だし醤油をたらりとかけて、よく混ぜて糸を引かせて食べるとおいしい。

 とはいえ幼児の頃は山菜は大嫌いだった。野菜がまだ収穫される前だし、今のようにビニールハウスが普及する前だったから、春になると食卓の野菜分が「それだけ」で埋まるのが嫌だった。
 選択肢無し。逃げ道無しの山菜攻撃。
 ただし草を摘むのは大好きで、近所の子たちと野っぱらで遊んでは間違えない食べられる草、つくしやノカンゾウの芽出しを摘んで台所の母に持って帰った。

「これどごで採って来たな?」
「公園と河原」
「摘むのはいいげんどあんまり家さもってくんな。そこらへんさ生えだのなのわんことが野良ネコどかおしっこかけたながもしんにべ?」
(摘むのはいいけどあまり家には持ってこないでね。そこらへんに生えた草なんて、犬とか野良ネコとかおしっこかけちゃったのかもしれないでしょう?)

 確かに、近所の大人たちが山菜採りに出かけるのは、車で山道を入った、クマと遭遇しても不思議はない奥地だ。
 ペットの糞尿など殆どない、きれいな土地に生えるものだろう。
 その辺は地元の人たちは厳しかった。
 それでも母はとってきた者の責任として私に手伝わせ、つくしのはかまを全部取り、苞の部分は固く締まったものだけを選び、小さな物はどんどん捨て、ちょっぴりのつくしとノカンゾウを料理してくれた。
 やはりというか、これも天婦羅だった。
 私が天婦羅を今でも苦手なのは、この時期からの刷り込みにあると思う。母には大変申し訳ないが。 


 レシビ。
 我が家のふきのとう味噌

 ふきのとう味噌にはいろいろな作り方があって油で炒めるものもありますが、我が家のは茹でて混ぜるだけのかなりあっさりバージョン。
 固く締まった蕾のふきのとう両手に軽く一つかみ。
 洗って木くずや土をとり、塩をたっぷりめに加えた湯でさっと茹でる。切ったりせずに丸のまま。ここで刻んでからゆでたりすると、バラバラになって水っぽく、収拾がつかなくなります。
 中まで火が通るくらいに茹でたらざるに上げ、水をかけて冷まして水気を切る。流水に晒してあく抜き、等はしない。茹で時間はせいぜい1分くらいかな。
このへんかなり適当。
 ふきのとうを固く握って水けを絞り、出来るだけ細かく刻む。刻んだものの水気をさらにとるため、クッキングシートの上に広げておく。最後にまたぎゅうっと絞る。
 辛口の味噌(赤みそ)木べらに山盛り1杯分くらいに砂糖を大匙二杯くらい混ぜ、絞ったふきのとうを混ぜる。
 匙でよく混ぜて、固かったらみりんを少し入れる。
 洗って完全に乾かしたタッパーか瓶で保存する。
我が家は赤味噌でしたが、色を生かしたい、甘口が好きという方は西日本風の白味噌に混ぜ、砂糖を大匙一くらいに減らしたら良いです。
 火を使わないので、暖かい関東では冷蔵庫に入れ、数日で食べきる方が無難。
 豆腐やコンニャクの田楽に、白い炊き立てのご飯に。 
 白飯至上主義者の祖父は、小皿に盛ったふきのとう味噌を一舐め、ご飯を一口、を頑固に守っていました。ロシアンティーみたいに。
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