第30話 我が家の味

文字数 2,736文字

 1991年春、私は大学の同級生の、愛するオタクと結婚した。

 山形の両親が望む、大学4年間を終えたら地元企業に就職して地元で結婚し、孫の面倒をみてもらうという夢を完全に潰したわけである
 理由は田舎には就職口がないという一点に尽きる。
 ともあれ、私は東京の人になった。
 暑くて埃っぽいが、夫は生まれ育った東京を愛し、私にもきっと好きになるよと言った。
 確かに多摩川の河川敷にも近い高台の上の住宅地の家は、学生時代慣れ親しんだ本郷や西片町のある文京区や、隣接した台東区と違い、空気がのんびりと流れていた。
 そして、多摩川はゆったりと幅広く、故郷の最上川を彷彿とさせた。
 この川の眺めが無かったら、私は東京というところをそれほど好きにならなかったかもしれない。

 始めの二年間は夫実家近所のアパートに住んだ。
 大通りを渡り角を曲がった所、という超ご近所だったため、仕事は忙しかったがよくご飯を作りに行った。
 その家には夫の兄、両親、大姑の4人が住んでいたが、姑も大姑も料理が得意ではなかった。
 姑は大学の先輩で、卒業後はそのまま茶道の先生になった人で、当時大学で教えていたが、料理は関心が無く、面倒くさがった。
 姑の母親である大姑は長岡藩士の娘で、長女として君臨した昔ながらの「強い奥様」。
 料理は一口カツしか作れなかった。あとは大根の千六本の味噌汁だったか。
 戦前、戦後を通してお手伝いさんと『ねえや』がいたから、自分達は家事をする必要がなく、そのお手伝いさん達をいかに束ねるかが奥様の腕だったのだそうだ。

 私は実家の母や祖母、周りの女性達との違いに驚いた。
 そして、自分の感情をあけすけにいう事にも衝撃を憶えた。
 実家や寮での私の周りの女性達は、余り感情を表に出さないし、怒りや興奮も極力押さえる。
 だが姑や大姑は、夫や兄と大声でやり合い、普通なら聞きにくい事も好奇心ありありで尋ねてくる。
 ただし家の外に出ると、上品な山手の奥様然とした姿を崩さなかった。
 感情をその場で口に出されると、その時はきつく聞こえるかもしれないが、隠れて陰湿に囁かれるよりは精神衛生上楽だった。

 だが、夫実家でのご飯作りはいつまでたっても慣れなかった。
 まず、皆さん好き嫌いが多すぎる。
 義兄はじめ家族一同野菜がダメ。野菜は添え物だから一口食べれば充分だと豪語する。
 義母に至っては、ほうれん草の茹で方からして違う。
 鍋に水と共に入れ、弱火でトロトロになるまで煮るのだ。
 その後水に放ち、崩れない程度に軽く絞って切り、葉の部分のみ醤油をかけて「おひたし」。
 これには驚いた。
 こういう茹で方なので、夫は私が歯触りを残してしゃきっと茹でたほうれん草は食べられなかった。
 キャベツの千切りも、揚げ物屋でカツと一緒に買ってくる。
 カツも唐揚げもコロッケも、買える惣菜は皆買ってくるのだ。
 近くに家まで届けてくれる肉屋、魚屋、惣菜屋があったので、昔からそうしていたらしい。
 煮魚も焼き魚も、調理してもらって熱々のものを届けてもらう。それが習慣だった。

 一口カツだけは大姑から習ったが、他の料理は母から教え込まれた、もしくは見よう見真似を思い出しつつ挑戦するしかなかった。
 母からは

「結婚したらその家の味に習え」

といわれたが、その味がないのだ。

 きちんとだしを取って味噌汁を作ると、舅は味の素をどっさり振りかける。
 まずかったのかと思っていると、一口も啜らない内に振りかけている。

「昔は何にでも書けるのが習慣だったから」

と言うが、夫と義兄と姑に

「いきになりはお嫁ちゃんに失礼でしょ」

 と言われて改めてくれた。
 舅は旧帝大から海軍を経て役人になった人だが、旧制中学、高校、軍隊、大学と男達だけの寮生活が長かったからか、家庭での食事の阿吽の呼吸めいたものはすっぽりとなかった。
 その代わり、きちんと理屈と言葉で頼めば理解して、すぐ改めてくれる。
 ある意味とても理路整然とした人だった。
 細くパリッとできた渾身の千切りキャベツを

「これだけ見事なキャベツだからバター炒めにしてくれ」

と、食べ始めてから言い出した時は困ったが。

 義兄は

「僕に合わせていたら作るものが無くなるから、勝手に作って。食べられないものは食べないで、食べられそうなものを買って来るから」

と豪語するほど好き嫌いが多いが、直そうともしなかった。
 これで支障なくやっているのだから、食事くらい好きにさせてくれというのだ。
 実家母に言わせると

「そんなに好き嫌い多く育ったのは母親の責任」

と暗に姑を非難するのだが、義兄はそれで周囲とも衝突なくやって来たのだから、私も余計なことはしなかった。

 姑は私の作る料理が大好きで、特にジャガイモのたくさん入っクリームシチューやジャーマンポテト、コロッケは、伽耶子ちゃん作ってよとせがんだ。
 舅の酒の肴は何とか作るが(かにかまのマヨネーズをかけとか、イカ刺しにチューブ生姜をのっけたりとか)料理とそれに伴う後片付けがどうしても苦手な姑は、掃除と整頓は大得意で、着物の着付けと和裁と華道も出来た。
 人には得意なものがそれぞれ違うのだから、得意なところで生かせばいいのだ。
 そう思いながら、

「え、マカロニサラダって家で作れるの?」
「家で作るとポテトサラダってこんなに美味しいんだね」

 という夫の無邪気な声に、反対にびっくりしながら、私は東京と、夫の一家に少しずつ馴染んでいった。

 実家の母のように

「女ならこれくらいできて当たり前」

という考え方でない分、のびのびと過ごすことが出来たし、食や味の面でつまらないマウンティングになる事もなかった。
 ずぼらで神経戦が苦手な私にとって、とても合っている嫁ぎ先だったと思う。
 自分の家庭の味は、結局自分で作るしかない。
 でもその『自分の味』のベースになるのは、体にしみこんだ故郷の、祖母や母の味なのだ。

 未だに化学調味料は使いこなせないが、私も一人息子に『故郷の味』を伝えられただろうか。
 とりあえず息子は、長井の母の漬物と煮ものが大好きなのだが。


 レシピ 
 嫁ぎ先の一口カツ
 豚フィレ肉(私は節約のために鶏むね肉使用)を1センチ以下に削ぎ切りし、包丁の背かすりこ木、瓶などで薄く叩きのばす
 叩いた肉にコショウをタップリのもみ込み(肉の表面がグレーになるくらい) 冷蔵庫で1時間馴染ませる。
 卵一個を溶いて小麦粉と水を加え、とろりとするくらいの濃度の衣を作る。
 肉に衣をタップリつけ、パン粉をまぶして弱めの強火でからりと揚げる。
 ケチャップ、ソース、ポン酢などお好みの味で。
 生野菜をたっぷり添え、別に一品茹で野菜や浅漬けなども添えましょう。
 肉の3倍は野菜を食べるようにしたいもの。
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