第7話 バイクとセーラー服とかに玉と

文字数 2,812文字

 ネットの配信で、休憩時のご飯に注力する若いプロ棋士が主人公のドラマを見ている。
 1クールもない少ない話数はであるが、将棋と食という面白い切り口の作品だ。
 6話の最後は、食卓に男女のプロ棋士三人が横並びになり、五目中華丼、麻婆丼、天津丼という日本生まれの中華丼物をぱくつくという、食レポシーンであった。
 美男美女が夢中でレンゲを口に運び、満面の笑顔で美味を称える。
 まさに深夜の飯テロである。
 その中で、クールな棋士役の男優が実に美味しそうに食べていたのが天津丼。
 ほぐしたカニの身や時には小エビ、千切り野菜を炒め、とき卵を流しいれてふんわりしたかに玉を焼き、白いご飯の上に載せ、醤油餡や甘酢餡をかける。
 彼の男優は口が小さい、いわゆるおちょぼ口だが、レンゲを口いっぱいに入れて実に美味しそうに食べていた。
 カニと卵。全くご縁がなさそうな海産物と卵を一緒に焼いてしまうなんて、誰が考えたのだろう。

 郷里の山形県は蕎麦処ではあるが、実は日本一のラーメン大好き県で、来客があると必ず

「んじゃラーメンでもとっか」

 と声が上がる。
 下手をすると、ラーメン屋の軒数は、日本蕎麦屋より多かったかもしれない。
 しかも店に食べに行くことはあまりない。大半は出前である。
 人気は何といっても中華そばで、東京風からさらに脂っ気を抜いたような、あっさりしょっぱい縮れ麺だった。
 ラーメン以外のメニューは滅多に頼まないので、出前の品目に天津丼があったかどうか記憶にない。
 だが天津丼の元になった「かに玉」は、間違いなく、父と母の若き日の思い出のメニューだ。

 昭和7年夏生まれの父と、昭和11年、2・26事件の約1か月前に生まれた母が最初に出会ったのは、母がまだセーラー服(ダサい)を着ていた高校生の時だったというから、おそらく昭和28年前後。
 そのころ米沢を離れ山形市を経て、古い織物を再興しようと長井に来た父は、母の通う高校の近くに下宿をしていた。
 通学路に面した織物屋に弟子入りし、そこの従業員宿舎に住んでいたから、当然女子高生は大勢目にする。
 母は小柄でやせっぽちで、あまりに細すぎて健康状態を疑われるほどだったらしいが、そんなか細い女子高生が父の記憶に残ったのだという。
 どうした父。貴方の好みとは全然違う少女だったんだぞ。(父は後年ソフィア・ローレン好きだと言っていた)

 また、か細い田舎のセーラーおさげ高校生だった母も、通学路に沿った織物工場の、他の工員とは全然違う顔立ちと雰囲気の父を覚えていた。
 前に書いたかもしれないが父は、鄙には稀な長身美女の祖母にそっくりな、色白、大きな切れ長の目、サラサラの髪の美青年で、しかも青春スターのような清々しさを持っていた。
 当時の写真を見るたびに、なぜこの遺伝子が私と兄まで来なかったのかと残念でならない。

 ともかくお互いを「細いなあ」「綺麗な男の人だなあ」と認識していた父と母は数年後、24歳と28歳で再会する。
 独立した工房を構え、長井市に腰を据えようと決めた父の見合い話に、仲人さんが『この人はどうか』と母の写真を持ってきたのだ。
 自分で縫ったワンピースを着た母は、セーラー服の女子高生の時のままにやせっぽちで、鼻が低く可愛らしい顔をしていた。
 父は「あの子、まだ独身だったんだ」と正直驚いたという。
 一方母も、通り沿いの下宿の窓際でギターを弾いていた美青年の職人が、まだ結婚しておらず、見合いをして相手を探していたという事に驚いたらしい。
 何不自由ない暮らし。お金にも食べ物にも不自由しない平和な生活。
 それが11人兄弟の末っ子で、高校時代に父親を亡くし苦労した母の望みだった。
 なんでこんな美青年が独身なんだろう。女癖や金遣いなど、何か致命的な欠点があるのではないか。
 母は本気で心配し、友人にそれとなく探らせたが、何の事はない。
 父が「めんくいすぎる」だけだった。
 ろうたけた美女の母を持つ父は、自分の「可愛い」のハードルが世間より高過ぎるのに気づかなかった。
 母は美人型ではないが、周囲の人みんなが認める「可愛らしい」女性だった。

 話はとんとん拍子に進み、二人は初デートを迎えた。 
 バイク乗りだった父は自慢のホンダで母を迎えに行き、天然パーマの髪をポニーテールに結い、白いブラウスに水玉のスカートを着た母は後ろに乗った。
 当時はヘルメット着用の義務など厳しくなかったらしい。
 バイクを走らせ向かったのは最上川の土手。
 秋の紅葉を楽しみながら土手の上や沿道を疾走させ、河原に降りては水筒のお茶を飲んだという。
 何だ、青春じゃないか。
 そうこうしているうちにお腹が空いた二人は市内に戻り(そのころはもう、バイクデートの二人の噂は町中に広まっていた) ちょっと高めの食堂に入った。

「何でも好きなもの頼め」

 母がおしぼりで手を拭きながら見ると、いつもラーメンしか注文した事のない中華の欄が充実し、見たこともないメニューが並んでいる。
 いつも出前を取るラーメン屋と違う…
 不安になった母は、先日新聞に載っていた『新しい世界の家庭料理』で読んだ料理に目を付けた。

「かに玉…」
「かに玉ね。定食でいい?」
「お任せします」

 この頃の母は本当にいたいけで可愛かった、と後に父が話す不安そうな表情で、母は父を見上げた。
 その瞬間、父は母との結婚を決めたのだそうだ。

「俺がこの子のそばに居てやらないと」

 と思ったのだそうだ。
 確かにそれは今も続いている。
 いくら浮気をしても、父はけして本気にならず家庭も壊さなかった(辛うじて、の時はあったが)。

 父は多分好物の酢豚でも頼んだのだろう。
 彼のオーダーについては誰も覚えていない。だが決定的なことがある。
 母は生まれて初めて食べたかに玉のショックと、バイクのスピードでおなかが冷えたのと極度の緊張から、家に送り届けてもらった直後お腹を壊してしまったのだ。
 気合を入れて末の妹のヘアメイクから服まで選んでくれた姉は、かっこいいデートの最後がこれかと嘆いたそうだ。
 母も腹痛のあまり最後の挨拶もおざなりで、早々に玄関に入ってしまった体たらくに、もうこの話は断られると泣いたそうである。
 便所の中で。
 可愛かったんだな母。

 だが父は母に正式にプロポーズし、数か月後に結婚。翌年に兄が生まれた。
 一人っ子だった父はやっと自分の妻子が持て、同時に11人の義兄妹もできたので大喜びだった。
 後年、食卓にカニが出ると

「めんどくさいものだすよなあ」

とぼやいていた父に、母が寂しそうな顔を見せていたのはこういう経緯があったからなのだ。

 父はいまだに、母がデート後に腹を壊したことを知らない。
 初デートは大成功だったと自慢している。
 そんな母はいまだに可愛い老女で、父は上品な美老人である。
 子供としては美形遺伝子が来なかったのを恨まずにはいられない。

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