第6話 いい虫悪い虫

文字数 2,705文字

 本作に頻繁に登場する同居していた父方の祖母は、『ろうたけた』という表現がぴったりくる美しい人だった。
 おまけに若い頃から体が弱く、いつもどこかしらの病を抱え、家事が一通り終わるとよく横になっていた。
 祖父は明治の男だったが、一回り年下の体の弱い妻と熱烈な恋愛のすえ結婚した人らしく、着物の尻っぱしょりをして板の間の雑巾がけをはじめ、屈まなくてはならない便所掃除もやっていた。
 膝と腰が悪い祖母をまず一番に労わるのは、実家の習慣だったが、その家に嫁いだ母は正直疎外感を味わったと思う。
 11人兄弟の末っ子で成績優秀だったのに、高校二年で父が死んで家業が傾いたため、母は大学に進ませてもらえなかった。上の兄たちを進学させるために断念させられたらしい。
 そんな『女は我慢』を地で行く教育を受けてきた母が、大事にされる美しい姑を目近にしていたのだからかなりの葛藤があったと思う。
 だが長い間、私には母の苦しみが分からなかった。

 体の弱い祖母であったが、織物工房の前の庭、うこぎの垣根に囲まれた一角に広い菜園を持っていた。
 もちろん耕作などの力仕事は祖父や父がやるのだが、祖母はその畑をこよなく愛し、端の方には山芋の蔓を這わせるやぐら、その脇には旺盛な繁殖力のコンフリーを植えていた。これは体にいいというので祖母と父が青汁にして飲んでいた。
 ミキサーのない時代なので細かく刻んですり鉢ですって、さらしの袋に入れて絞って、水で薄めてちょっぴりの塩。

「伽耶ちゃんも飲むが?」

 コップから漂う青臭い匂いで、もうノーサンキューなのだが、見栄っ張りの私はすこーし口に含んでもらい、激しく後悔したものだ。
 畑の入口には収穫期を終えたニラが白い花を咲かせ、三つ葉がレースのコースターような花房を広げる。
 その奥は白い花と短めの豆鞘をつけるさやいんげん、刺も鋭いナスがまだ未熟な実をつけ、青々とした葉を広げている。
 家族、特に祖母は畑仕事の時は私を手元に置きたがり、虫を取って見せては

「これは背中のお星さまが少ない、いいテントウムシ」
「これはお星さまがたくさん。葉っぱを食べる悪いテントウムシ」

 と、種類を教えて害虫とりをさせてくれた。
 小さな左手にぎりっと口をひねった紙袋を持ち、割りばしでテントウムシをつまんでは放り込み、裏の小川のほとりに放した。
 葉っぱを食べるいじめっ子の悪いテントウムシはこれでバイバイ、と幼い私は満足した。
 少し考えれば、飛んで結局は畑に戻ってくるのだからバイバイも何もないのだが、その当時はテントウムシ捕りの行為自体で満足していた。
 
 夏の畑のもう一つの主役は何といってもナスである。
 実家のある山形県は漬物王国だが、中でもナス漬けの種類は豊富だった。
 殆ど漬物にしか使わない丸い小ナス、一口大の小さな卵形のナス、長ナスに田楽用の大きな米なす。
 毎日少しずつとれるいんげんと長ナスは、味噌炒めや、ひき肉を詰めた揚げびたしになった。
 実をへた元でつながるように残して縦四等分にし、ハンバーグ種を詰めてこんがりと素揚げにして、甘辛いつゆで煮る。
 もぎたてのインゲンはアクもないからへたをとって切りそろえ、そのまま入れてさっと煮て火を止める。
 毎日ナス料理が食卓に上ったが、大好物なので全く気にはならなかった。

 新しく若々しいナスの棘はたいそう鋭く、すぐの指の腹や掌に刺さる。
 そうすると祖母がピンセットで抜いてくれた。
 それを見た母は決まって機嫌が悪くなった。
 母自身も漬物用のへたとり中に度々棘を刺し、一度は指先と爪の間に刺さって入り込んでしまい、化膿してお医者に行って切開してもらったことがある。
 母は棘の怖さを知っていた。
 だが父や祖父は

「ばばちゃのお手伝いすったなが」(おばあちゃんのお手伝いしてるのか)

 と喜び褒めてくれた。
 一人息子で両親から溺愛されて育った父と、息子を愛する祖父母と、唯一の他人である嫁の自分。その三角関係に入りきれず、母は悩んでいたのかもしれない。
 子供まで手懐けられ、奪われてしまうような不満を抱いていたのかもしれない。
 だが母のその寂しさは、幼稚園児の私や、小学一年の兄にはわからなかった。

 母は水仕事で夏でも荒れた手をして、オロナインを塗っていたいたが、祖母はとても柔らかい、綺麗な真っ白い手をしていた。
 たまに改まったお洒落をしたときにはめるヒスイの指輪の、緑色の粒がきめ細かい肌によく映えた。
 畑作業の後は私の手をよく洗わせた。爪ブラシで指と爪の間まできれいにして、お子様クリームを塗ってくれた。
 丁寧な優しい手つきが私は大好きだった。

「いつ男の人が迎えさ来て、手さ取ってもいいように、めんごこいって言ってもらわれる綺麗な手にしておぐべね」

 女学生時代に祖父に見初められ、大恋愛の末結婚した祖母の言葉は、60過ぎてもロマンチックだった。
 その息子である父が今でもぼんぼん気質丸出しなように、祖母は死ぬまで可愛らしい女性だったと思う。 

 レシピ。
「だし」
 その日の朝に摘んだ野菜、丸ナス漬けにするには小さなナス、規格外のキュウリ、そんなのをお隣から貰った時に母や祖母が作っていました。
 今では昭和40年代より、ずいぶん薄味になっていると思います。
 山形県は、高血圧による脳出血の死亡者が全国でダントツに多いので…

 野菜はシャキッとした歯ごたえで、生で食べられるものなら何でも使えますが、基本は茄子、キュウリ、生姜、青じそ。
 目安としてキュウリ一本、ナス一個、新生姜数本、(お好きな方はミョウガ2本程) をみじん切りにして、ナスは水に放ってあく抜きしておく。
 オクラ5本くらいをゆでて水で冷まし薄い小口切りに。
 青じそ、ネギの青い部分は好きなだけ。ズッキーニやししとう、ピリッとしたのがお好きな方は青唐辛子もお勧め。
 全てを微塵に刻み、あく抜きに水にさらしたナスの水気をキッチンペーパーでぎゅっと絞ったら全部混ぜる。
 がごめ昆布(納豆昆布ともいう)があったらティースプーン五杯くらい入れる。
 なくても構わないが見つけたら是非。
 全てを混ぜながら薄味が好きな方はめんつゆ100CCほどと鰹節を小袋一つ分まぜてしばらく冷蔵庫で寝かせる。
 昔ながらの味はお醤油大匙3~4杯ほどに鰹節、そして味の素だそうです。
 昔の人は味の素、結構使っていたんです。白醤油なら色がきれいだと思います。

 冷ややっこに。
 そのままや納豆と混ぜてご飯にかけて、そうめん、冷やしうどん、冷しゃぶに、茹でたイカや鮭缶、サバ缶と混ぜて酒の肴に。
 千切りに刻んだ山芋にかけて←お勧め。
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