第29話 女子寮生活と週末自炊

文字数 1,701文字

 東京の女子寮で食事が出るのは平日だけなので、土日は自分達で調達しなければならない。

 大半の寮生は外食か、本郷の急坂を下りた春日や千石のスーパーか、東大の生協でパンやカップ麺を買ってしのいでいたが、私はきちんとおかずを食べたかったので、スーパーで材料とご飯を買い、週末だけ自炊した。
 もったいないし。

 小さ目の鍋と包丁、フライパンは購入し、自室に置いた。
 街に出現し始めたコンビニでは、お総菜もおでんも揚げ物も売っていたから、たまにはそれらのお世話にもなったが、割高だ。
 もちろんインスタントラーメンもよく食べた。

 バブルを謳歌する一方、田舎から出て来た女子大生たちは、大学生活を人波に謳歌するためにいろいろ頑張って節約していたのである。
 流行っていたミルクやピンクハウスの服も、ピンキー&ダイアン、プライベートレーベル、そんな服も一着数万円で、特に女子大に通っていた寮生はバックも靴もそれなりにと頑張っていたから、バイトをしても苦しかったと思う。
 そんな彼女たち、大抵土日は彼氏とのデートなのだが、予定のない日は匂いにつられて、私が料理している台所に集まった。

 頻繁に作ったのは、安くて食べごたえのある砂肝の炒め物である。
 砂肝は田舎ではついぞ見かけなかったし、寮の食事でも絶対に出なかったから、食べてみたい食材ではあった。
 試してみると何より低カロリーで、くせがなく美味しい。
 母の見よう見まねであっても、主菜を作るというのは、実は寮に入って初めての経験で、楽しかったし、世の受験を経て来た女子大生というのは、私の想像以上に家で料理を習わなかったのだと知った。
 それ程受験というものは過酷なものなのだろう。

 だが一つ困ったことがあった。
 私たちがまだ山形で高校三年生だった一年間、某全国放送では朝の連続ドラマで「おしん」なる作品をやっていた。
 小林綾子扮する、子だくさんの農家に生まれた幼い女の子が、苦労して奉公し、成長して財を成していく話である。
 その幼児期の舞台が、戦前の極貧の山形。
 なるほど放映時はスーパーでも公民館の年寄りの集まりでも

「おらの時はあんなもんじゃねがった」

と涙ながらに苦労話をする婆ちゃんたちが大勢いた。
 最終話が昭和59年3月31日放映というから、まさに高校に籍が無くなるその日まで放映していたわけである。

 そのせいだろう。
 大学やバイト先で

「出身は山形県です」

というと

「ああ、あの大根めし食べてる地域ね」
「今でも大根めしって食べてるの?」

と言われた。

 ここで声を大にして言いたい。

 食ってませんから !
 昭和の高度経済成長期に生まれ育った私たちは、大根めしなんて見たことも聞いた事もなかったですからっ
 戦前の婆ちゃんたちに聞いても

「そんな貴重な飯が日持ちしねえくなるようなもの、炊きこまねえ。水っぽくなっぺした(なるじゃないか)」

と言いますっ。
 あれは少なくとも、米沢を中心都市とする置賜地方にはないと言っていいと思うのっ。

 ともあれ大根めしのレシピも載せておきます。


 レシピ 砂肝の炒め。
 砂肝1パックはひとつずつに切り離し、両側の白い筋の部分を切り除き、厚みの半分に開く。
 ボウルに生姜チューブ2センチほど、ニンニクチューブ1センチほど、あれば料理用の酒大匙1、醤油大匙二を入れ混ぜ、砂肝を加えてもみ込み暫く味をしみこませる。
 フライパンに薄くごま油をひき、切り開いた側をフライパンに押し付けるようにして焼く。蓋をした方が良い。強めの中火
 こんがり焼けたら裏返し、火を弱めて中までよく火が通るまで焼く。
 さっとゆでたもやしなどの野菜の上に焼き汁ごと乗せて食べる。

 レシピ2 シンプル大根めし
 米一合をとぎ、炊飯器に入れ通常よりやや控えめの水加減にする
 大根5センチ位の皮を剥き、小さ目の角切りにして炊飯器の米の上に平らに置く
 普通に炊く
 ゴマ塩を振って食べる

 みりんや醤油、だしで大根をあらかじめ煮つけたり、人参やきのこや油揚げを入れて、美味しい炊きこみご飯にするのが現代では主流ですが、ここはひとつ、基本に立ち返って。
(必ずしも現代人の口に合う味とは言えません)
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