神を棄てた氏子たちを訪ねて
文字数 2,355文字
第五章 神を棄てた氏子たち
六月晦日、大祓い儀が終わると白鷺神社の例祭は一段落を迎える。厄除け、祈願などの氏子の祭祀も夏場は敬遠されがちになる。
清人の頭の片隅にはいつも樋速日水光姫命がある。いつまでも二柱を祀っておく訳にはゆかない。ではどうするべきか?最良の方法は氏子を探し出し彼らに再び託すことだ。
雲流大社があった地域を管轄していた市役所の戸籍課を訪ねた。身分を証し事情を丁寧かつ詳細に説明し、ようやくひとつの情報らしきものに辿り着くことが出来た。数百軒の住民の多くは群馬県前橋市黒沼地区に集団移住していた。記録には個人名も記載されているようだが教えてはくれなかった。
「雲をつかむような話だけど仕方ないよ」
清人は黄色のビートルでぼやいた。本日の運転は陽菜の担当。行く先は前橋市黒沼地区。
「個人名を教えてくれれば事前にパソコンである程度目星は付けられたんだけどね」
ビートルは関越自動車道の前橋ICを降りた。
「でも私だったらやはり名前を教えてほしくはないな」
スマホの案内通りに陽菜はハンドルをまわす。
「だって元の住まいから埋蔵金が見つかりましたっていう話しだったら別だけど、ハクさんは厄介な神さんを持ち込もうとしてるんだよ。照会文には人心が離れたと書いてあった。それって棄てたっていう意味じゃないの?今更持ち込まれても、いい迷惑じゃないのかなぁ」
赤城山の山裾に向う。周囲は住宅街から森林地帯に替わる。
「いや、謎とも記されていた。それを探りに行くんだよ。物理学者のくせに真実を見たくないのかい? 」
「なにをエラそうに、ふん」
清人はいつだって沈着冷静。考えも合理的。感情の起伏も外には出さない。自分よりもはるかに学者向きだ。悔しいけど事実。過去に幾度となく窘(たしな)められた。数式の壁にぶつかり荒れ狂う陽菜に忍耐を諭した。たぶん清人が居なければとっくに天文物理学を諦めコンビニバイトに転身していたことだろう。
栗の白く特徴的な花形が鬱蒼とした森に不気味さを付け加える。陽射しも何重にも連なる木の葉に遮られ周囲は薄暗くなる。いつしか舗装もなくなった。
「ねぇ、この道本当に大丈夫? 」
陽菜はさっきから同じ言葉を何度も繰り返している。それでも清人は落ち着いている。スマホマップを何度も確認し大丈夫としか言わない。
山沿いに九十九折りの悪路を五百メートルほど上ったところで清人からストップがかかる。
「近くに神社があるはず」
清人は車を降りて山の中に入って行った。路は狭く駐車する場所がない。対向車が来たらどうしよう。ハラハラドキドキ。そんな心配をよそに平然と行動する旦那に腹が立つ。こういう時間の経過はのろい。ほんの数分が小一時間にも感じられる。
やっと戻って来た。睨んでいる陽菜を見て、
「心配ないよ。車なんか来やしない。ここは恐らくもう忘れ去られた道」
清人が地面のあちこちを指さす。なるほど膝丈ほどの雑草が勢いよく伸びている。
「そんなことより朽ちかけた神社を見つけた。琴龍宮。古い奉納帳に氏子総代の名前があったよ。その人を訪ねてみよう」
スマホの写真をジッと見つめている。さすが神主さんだ。素人なら奉納帳のことなんか判らないだろう。雑草だらけの道のことと言いハクさんの冷静な判断には敬服させられる。きっと数式だけに没頭する自分とは思考回路が違うんだ。
「えーと、葛原の斎藤本蔵さん。ナビによると少し戻った処を左だな。Uターン出来るかな?」
右側は崖になっている。もちろんガードレールなどない。清人が外に出てバックを誘導する。何回かの切り返しでようやく下り坂になった。陽菜は額の汗をハンカチで拭った。
「どうして神社なの? 」
「ああ、集落には氏神さんが付きもんだよ。たまたまナビに神社が載っていた」
清人はクーラーを全開にした。ノロノロ下り続けると、上りの時には気付かなかった脇道が見つかった。やがて山間に青々とした田圃が拡がるこじんまりとした集落が見えて来た。
「ここが目的地? 」
「分からない。とにかく人に訊いてみよう」
そうは云うものの人陰など見えない。思い余って近くの家で声を掛けたが誰も出ない。
「困ったな。待ってみるしかないね」
何を待つのかよく分からないがそうせざるを得ない。
「お弁当食べよっか? 」
陽菜は道の端に車を止めて保冷バッグから包みを取り出した。とその時だった。白い軽トラがビートルを追い越した。清人はすかさず軽トラを走って追いかける。十メートルほど追いかけた処で軽トラのブレーキランプが点灯した。なにやら運転手と話し込んでいる。
陽菜はその様子をおにぎり片手に見つめていた。余裕で一個を平らげ良く冷えたペットボトルのお茶を口にした頃、清人は戻って来た。
「どうだった? 」
清人は無言でスマホのボイスメモをタップした。声の主は高齢男性で訛りがきつかった。
「琴龍宮? 奉納帳? 葛原の斎藤本蔵? 黒沼地区? ふーん、果てと。まずは思いつくことからかな。黒沼も葛原ももう無い。幾つかの地区が合併して美山になった。もう十年になる。人は減るばかりだでなぁ。ワシもこの辺りじゃ上から数えた方が早い歳じゃが斎藤も聞かん名じゃな。
キンリュウグウ…それは後ろの山の真ん中ほどにあるお宮さんのことかな? あそこはもうご覧の通り仕舞いじゃな。子供の時分にゃ日光東照宮のような金ぴかド派手なお宮でなぁ。田舎の子供には魅力的で毎日見に行ったもんだ。そりゃ大勢の人たちが同じ法被を着てお詣りに来ていた。
なぜウチはお詣りに行かないのかとおカアに聞いたら、ありゃ新興宗教だから近寄ったら行けんと怒られよったわ。ハハ、よく覚えてる。たちの悪い勧誘もあったようで村の衆の評判は悪かったな。
第五話 命を奪われる氏子たち
六月晦日、大祓い儀が終わると白鷺神社の例祭は一段落を迎える。厄除け、祈願などの氏子の祭祀も夏場は敬遠されがちになる。
清人の頭の片隅にはいつも樋速日水光姫命がある。いつまでも二柱を祀っておく訳にはゆかない。ではどうするべきか?最良の方法は氏子を探し出し彼らに再び託すことだ。
雲流大社があった地域を管轄していた市役所の戸籍課を訪ねた。身分を証し事情を丁寧かつ詳細に説明し、ようやくひとつの情報らしきものに辿り着くことが出来た。数百軒の住民の多くは群馬県前橋市黒沼地区に集団移住していた。記録には個人名も記載されているようだが教えてはくれなかった。
「雲をつかむような話だけど仕方ないよ」
清人は黄色のビートルでぼやいた。本日の運転は陽菜の担当。行く先は前橋市黒沼地区。
「個人名を教えてくれれば事前にパソコンである程度目星は付けられたんだけどね」
ビートルは関越自動車道の前橋ICを降りた。
「でも私だったらやはり名前を教えてほしくはないな」
スマホの案内通りに陽菜はハンドルをまわす。
「だって元の住まいから埋蔵金が見つかりましたっていう話しだったら別だけど、ハクさんは厄介な神さんを持ち込もうとしてるんだよ。照会文には人心が離れたと書いてあった。それって棄てたっていう意味じゃないの?今更持ち込まれても、いい迷惑じゃないのかなぁ」
赤城山の山裾に向う。周囲は住宅街から森林地帯に替わる。
「いや、謎とも記されていた。それを探りに行くんだよ。物理学者のくせに真実を見たくないのかい? 」
「なにをエラそうに、ふん」
清人はいつだって沈着冷静。考えも合理的。感情の起伏も外には出さない。自分よりもはるかに学者向きだ。悔しいけど事実。過去に幾度となく窘(たしな)められた。数式の壁にぶつかり荒れ狂う陽菜に忍耐を諭した。たぶん清人が居なければとっくに天文物理学を諦めコンビニバイトに転身していたことだろう。
栗の白く特徴的な花形が鬱蒼とした森に不気味さを付け加える。陽射しも何重にも連なる木の葉に遮られ周囲は薄暗くなる。いつしか舗装もなくなった。
「ねぇ、この道本当に大丈夫? 」
陽菜はさっきから同じ言葉を何度も繰り返している。それでも清人は落ち着いている。スマホマップを何度も確認し大丈夫としか言わない。
山沿いに九十九折りの悪路を五百メートルほど上ったところで清人からストップがかかる。
「近くに神社があるはず」
清人は車を降りて山の中に入って行った。路は狭く駐車する場所がない。対向車が来たらどうしよう。ハラハラドキドキ。そんな心配をよそに平然と行動する旦那に腹が立つ。こういう時間の経過はのろい。ほんの数分が小一時間にも感じられる。
やっと戻って来た。睨んでいる陽菜を見て、
「心配ないよ。車なんか来やしない。ここは恐らくもう忘れ去られた道」
清人が地面のあちこちを指さす。なるほど膝丈ほどの雑草が勢いよく伸びている。
「そんなことより朽ちかけた神社を見つけた。琴龍宮。古い奉納帳に氏子総代の名前があったよ。その人を訪ねてみよう」
スマホの写真をジッと見つめている。さすが神主さんだ。素人なら奉納帳のことなんか判らないだろう。雑草だらけの道のことと言いハクさんの冷静な判断には敬服させられる。きっと数式だけに没頭する自分とは思考回路が違うんだ。
「えーと、葛原の斎藤本蔵さん。ナビによると少し戻った処を左だな。Uターン出来るかな?」
右側は崖になっている。もちろんガードレールなどない。清人が外に出てバックを誘導する。何回かの切り返しでようやく下り坂になった。陽菜は額の汗をハンカチで拭った。
「どうして神社なの? 」
「ああ、集落には氏神さんが付きもんだよ。たまたまナビに神社が載っていた」
清人はクーラーを全開にした。ノロノロ下り続けると、上りの時には気付かなかった脇道が見つかった。やがて山間に青々とした田圃が拡がるこじんまりとした集落が見えて来た。
「ここが目的地? 」
「分からない。とにかく人に訊いてみよう」
そうは云うものの人陰など見えない。思い余って近くの家で声を掛けたが誰も出ない。
「困ったな。待ってみるしかないね」
何を待つのかよく分からないがそうせざるを得ない。
「お弁当食べよっか? 」
陽菜は道の端に車を止めて保冷バッグから包みを取り出した。とその時だった。白い軽トラがビートルを追い越した。清人はすかさず軽トラを走って追いかける。十メートルほど追いかけた処で軽トラのブレーキランプが点灯した。なにやら運転手と話し込んでいる。
陽菜はその様子をおにぎり片手に見つめていた。余裕で一個を平らげ良く冷えたペットボトルのお茶を口にした頃、清人は戻って来た。
「どうだった? 」
清人は無言でスマホのボイスメモをタップした。声の主は高齢男性で訛りがきつかった。
「琴龍宮? 奉納帳? 葛原の斎藤本蔵? 黒沼地区? ふーん、果てと。まずは思いつくことからかな。黒沼も葛原ももう無い。幾つかの地区が合併して美山になった。もう十年になる。人は減るばかりだでなぁ。ワシもこの辺りじゃ上から数えた方が早い歳じゃが斎藤も聞かん名じゃな。
キンリュウグウ…それは後ろの山の真ん中ほどにあるお宮さんのことかな? あそこはもうご覧の通り仕舞いじゃな。子供の時分にゃ日光東照宮のような金ぴかド派手なお宮でなぁ。田舎の子供には魅力的で毎日見に行ったもんだ。そりゃ大勢の人たちが同じ法被を着てお詣りに来ていた。
なぜウチはお詣りに行かないのかとおカアに聞いたら、ありゃ新興宗教だから近寄ったら行けんと怒られよったわ。ハハ、よく覚えてる。たちの悪い勧誘もあったようで村の衆の評判は悪かったな。
第五話 命を奪われる氏子たち