理系女、憧れのブラックホールへと旅立つ!

文字数 2,693文字

第十話 神社のご祭神・ニギハヤヒ現る

 とその時、背後で人の気配がした。陽菜は驚いて振り返った。そこには科学部の部長が立っていた。特徴的なメガネはなく髪も三つ編みを下ろして、艶やかなストレートヘアーが腰辺りまで伸びている。キリリとした眉のスレンダーなステキ女子。見違えた。
「あれ? 部長だよねぇ。どうしてここにあなたが居るの?」
「先生は鈍いなぁ」
 部長は苦笑した。
「私はニギハヤヒの現人。あなたは昔観た映画から、少年であるとの固定観念が崩せないでいる。別になろうと思えば少年にもなれるが、女子校にはムリだった。ハハ」
「で、でも、どうして?」
「最初は例の解けない数式に興味を持った。なぜなら神の領域に近づき始めたから。神に接近する人間の一人となった。またミヒカリヒメがあなたを頼った。そこからは目的が生れ津島彩花を会わせた」
「ミヒカリヒメは同属。故郷に還えることが最後の願い」
「あのう、すいません故郷って?」
 すっかり先生と生徒の関係が入れ替わっている。
「もう知ってるではないか。ブラックホールのことだ。もっとも私たちは『天磐戸(あまのいわと)』と呼んでいる。彩花が解いたように六次元から八次元の異次元空間。そこは安らかな空間だが奥底には反物質が充満している。宇宙が出来たと同時に、神々は反物質をここに閉じ込めはじめた。理由は分かるな」

 陽菜は頷いた。いつの間にか体の自由が奪われている。手も足も動かない。
「ミヒカリヒメはすっかり弱って現人になることも自力で還ることもままならない」
「お願い教えて。氏子や巫女さんを殺したのはミヒカリヒメなの? 神を故郷に還せば彩花と両親は殺されないの?」
「その問いに答えられるのはミヒカリヒメだけだ。人は神の庇護なくしては自然の営みに逆らえない。死は常に隣り合わせにある。ただ彩花と両親は私が庇護する。約束する」
 陽菜は安堵した。
「もうひとつ。教えて光より速いものは神の光?」
「ああ、そうだ。ただ、お前たちは物質のことばかりに気をとられて心をないがしろにしている。お前は何かを ( 予知 ) しそれが当たったことはないか?」
 陽菜はキョトンとしている。
「清人との出会いには ( 予感 ) はなかったか?」
 陽菜はようやく思い当たった。たしかに ( 予感 ) はあった。近く将来を共にするような男性との出会いがあると。
「じゃ、予感、予測、予知能力 ( 予兆 ) ってこと?」
 神はニッコリ頷く。
「お前たち人間は神すら待たぬ力を持っている。なぜ気付こうとしないのか? 有効に使わぬのか? 第一、それ以上に速いモノはあるのか? ヒントをやろう。時空を超えて予知される電磁波だ」
 陽菜は考えたこともなかった。でも筋は通っている。光も電磁波の一種だ。(Maxwell方程式)
けれどどう証明すればよい? 考え込んでいると、
「今は数式を考えている場合ではない。さぁ、始めようか。ミヒカリヒメを天磐戸に還すぞ!」
 その瞬間束縛が解けた。自由に動けるようになった。
「微光でも屈折し、発光する速度は光をも凌ぐ。ただ今回は『天の磐舟(いわふね)』をも出したい。最大限の光量を与えよ。光を上回る速度で翔ぶ舟のことだ」
「はい。分かりました」
 陽菜は計器をセットし始めた。心が躍った。これは人類史上初の実験。光速以上の発光物質を放出する。放射の方向角度である銀緯、銀経はニギハヤヒの言われるまま入力した。でもこれは2019年に初めて観測された楕円銀河M87の中心部にある巨大ブラックホールの座標ではない。方角が違う。陽菜はニギハヤヒを見上げた。
「一番近い天磐戸のことを人は知らない。漆黒なので観測できないんだろう。ただ神光でも往復でヒト時間で一週間かかる」
 なるほど。座標を入力しセットをタップすると発光機器と計測機器が作動する。カシャ、ウィーン と無機質な音が室内に木霊する。スタンバイが終わると赤いスタートが点灯する。あとは指で触れるだけ。
「私も共に行く。では、さらば」
「ちょっと待った。私も行く。舟なら私も乗れるでしょ!」 
 ミヒカリヒメを故郷に還し彩花と両親の命も保証された。目的は果たされた。でも私には何も残らない。rayαのご神体が失くなってしまう。遺されるのはただのアメジスト。
 ブラックホールは天文物理学を志す理由だった。好奇心は理系女の本気度。外観を観察しその中にも入って見たかった。どんな物質で出来ているのか? 内部構造は? そして最大の謎、一体どこに繋がっているのか?
 でもハクさんのことだけが気がかりだった。清人はどう思うだろう。妻が神隠しに遭った不遇の神主。それでも自らが奉ずる神の御業。何時の日にかニギハヤヒによって知らされるのではないか。妻の所在を安否を。
「命の保証はないぞ。未だ天磐戸に行った人間は居ないからな」
 陽菜はニギハヤヒの漆黒の瞳を真剣に見つめた。
「分かった。共に行こう!」
 研究室には数秒の間、真紅の輝きが満ちて消え去った…… 

 次の日、研究所に出勤した研究員は計測器の値に眼を見張った。光速の1.5223。そして新たな座標。これは一体なんだ。〇大理工学部素粒子研究所の最大のミステリーとなった。
 それから一週間後、彩華学園高等女学校の理科実験室の黒板に新たな数式を描いている教師がいた。
 名前は仙波陽菜。
 数式はブラックホールの実在を証明するためのもの。仮定の数値には光速~神光~恋の予感(=トキメキ)と書かれている。
 陽菜は黒板に大きく(Emgw β= tokimeki )と描き、その下に勢いよく二本線を引いた! 
「先生、新しい数式ですか?」
 科学部の目立たない赤いメガネの部長が声をかけた。

 その日の晩のこと、夏祭りの終わった白鷺神社の傍らを流れる不老川。その土手沿いのベンチに夕涼みを兼ねてビール片手の陽菜と清人が。二人とも浴衣姿。
 陽菜は天文女子。星座にも詳しい。今は夏の星座が天上に拡がる。見つけやすいのは明るい一等星。こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。 ( 夏の大三角形 を創る)
 すると、その付近にひと際輝きを放つ星々を見つけた。従来の星座表にはない。青白い優艶な輝き。晴れやかにもどこか穏やか、安らぎを感じさせる。
 陽菜には確信があった。あれはブラックホールに還した樋速日水光姫命。すっかり見違えた姿。陽菜は立ち上がり星々を指さし小躍りした。軽やかな下駄の音、ビールの大半は清人の浴衣の裾にかかる。
「やった、やった、美光姫になった!!」


最終話 心の占(うら)ぞ正(まさ)しかりけり に続きます
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み