枯葉の山の中に、棄てられた神を見つける

文字数 1,685文字

第三話 枯葉の小山に朽ちた祠をみつける
 仙波夫妻は中学生の頃より環境保護活動に関心がある。清人は職業柄不老川の水質改善に尽力する中で環境保全の大切さを実感して行った。物理学も自然科学のひとつ。陽菜も自然の大切さを実感するひとり。二人とも地元主催の環境保護活動には積極的に参加して来た。

 以来三十歳を超えても熱心に環境保護活動をする。神社の横を流れる「不老川」は今では鯉が泳いでいる。水草も生えそれなりに故郷の小川の呈をなしている。でもそれは環境への啓発活動のお蔭。
 現在は「狭山丘陵の自然を守る会」を自ら主催し毎年春先に狭山丘陵の清掃をする。手弁当の活動。それでも参加者は関東各県から三十名にのぼる。山や川には不法廃棄物が多い。一回の清掃で二トントラック複数台にもなる。
 今年も梅が咲き出す二月の前半に清掃活動を実施する。この時期を選ぶのには訳がある。草木がその年の葉を落としきり新芽が吹き出す前のタイミングが清掃にはもってこい。縦横無尽に野山に分け入れるし暑くもない。
「あれ、さっきはテレビ、冷蔵庫まであるよ」
 参加者の一人がぼやいた。一輪車に載せ数人がかりでトラックまで運ぶ。
「こうやって片付けていたらますます捨てる人が増えるんじゃないかな? 」
 もっともな疑問。
「でも誰かが処分しなければ家電は永久に分解されない」
 毎年お決まりのように繰り返される問答。もちろん無策な訳ではない。狭山湖畔を管轄する林野庁は違法行為を告知するタテカンを方々に設置している。それでも投棄が後を絶たないのは家電製品の処分に金がかかるからだ。
 最近はプラスチック問題も根深い。プラスチックは数百年経っても分解されずそのまま残る。地面や川底にへばりつき自然の循環サイクルの邪魔をする。また魚や鳥、小動物が餌と間違えて食べ腸閉塞で死ぬ。
 神社界でもある出来事が起きた。奈良春日大社の鹿(神の使いとされる)が観光客の持ち込むレジ袋や食べ物の包装プラスチックを餌と間違えて食べ死んだのだ。棲息する千四百頭の不自然死を調査すると年間何十頭にも及ぶらしい。春日さんの出来事。身近に感じられた。
 状況は海でも同じ。海洋プラスチック問題がちょくちょく報道される。悪気がなくともプラスチックを使用している間は身近な自然にまき散らすことになる。ここに来てレジ袋有料化とやっと一歩前進した。小さなことの積み重ねがようやく世論を動かす。訴え続けて十年後の実感なのだ。
 この日の清掃作業は狭山湖の北東側。朝九時から日没まで予定されている。地区ごとに分けられているがお昼ご飯だけは皆で集う。
 昼食後の作業。それとの出会いは偶然だった。陽菜は担当の狭山湖畔北側のシイ、クヌギの高木が密集する地区で木の根に足を滑らせ背丈ほどの崖から滑落した。運よく枯葉がクッションになり左腕の打撲程度で済んだ。
 安堵の溜息とともにネルシャツに絡んだ枯葉を剥がしている時、足元に枯葉で覆われた五十センチ四方の祠を見つけた。
 枯葉を除けて全体を見廻した。木製で大部分の処で朽ちかけている。陽菜はスマホを手に取り、
「いま湖尻地区に居るんだけど。こんな処に祠がある。ハクさん知ってた? 」
 清人は二三分でやって来た。
「あれ、ほんとだ。今まで気づかなかったな。これはこれは不遜なことで」
 清人は神主の所作を施し祠の扉を開けた。一瞬、真紅の光芒が漏れ出たのは陽菜の見間違いかもしれない。けれど、その光景がその後の物理学者としての陽菜の発想の原点となる。
「御神札とご神体がある」
 清人は恭しく二つを祠から取り出した。御神札には七文字が墨で記されている。ご神体は拳大の表面がざらついた黒っぽい鉱物のようだった。
「難しくて読めないな。陽菜、分かる? 」
 清人は御神札と格闘していた。
「うーん、三文字目は「日」だと思う」
「だね…神社本庁か大学、とにかく持ち帰って調べるしかないね」
 清人はご神体を取り去る時の「魂抜き」の作法を施した。本来は神職の衣姿で厳格に行わぬばならない。その非礼を述べることも忘れなかった。

第三話 朽ちた祠のヌシは誰なの? に続きます
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