心の占(うら)ぞ正(まさ)しかりけり

文字数 2,908文字

エピローグ
 それから数年が経ち――
 北海道の春は突如として現れる。五月初旬の朝、いつもの通りに大学(物理学部)への路を歩いていると、昨日まで丸裸だった樹木が淡い黄緑の薄衣をまとっていた。朝陽に輝く新芽たち。帰路の夕陽には濃い浅黄色のワンピに変っていた。
 津島彩花は「超弦理論」にそれまでの六次元だけではなく、神の領域とされる七次元、八次元までを取り入れて宇宙誕生のメカニズム、また最小物質の原子・素粒子・クォークの成り立ちを解説し、さらに微小な物質プレオン(点粒子)との関係性、「点か弦か? 或いはそれ以外か? 」 を推論する作業に没頭している。

 休日のこの日は北国の遅い春の暖気に誘われて〇市中央駅近くの公園まで散歩に来た。ジャケットを脱ぎカットソーで公園をひと廻り散策する。一斉に咲いた梅、桜などバラ科の花々と樹々の若葉が透明な青空に映える。池では大きなサギが優雅な翼の舞いを披露している。
 ふと目立たぬ処に神社が。「星の宮」と記されている。神社は彩花にとって避けるべき場所だ。神様の怒りによって一族の命が絶たれた。遺されたのは両親と三人だけ。いつ順番が廻って来てもおかしくはない。
 けれど摩訶不思議な感覚は、バッグに仕舞い込み忘れてかけていた白鷺神社の(おみくじ)を、駅行きのバスの中で偶然に見つけた時から起こった。

 恋愛運 北に出逢いあり


 朱色の鳥居がキラキラ輝いて新たな空間(世界)へと誘っているように感じられた。
 彩花はふと純粋にお詣りしようと思った。何か奇妙な予感もあった。心がざわついて落ち着かない。それはいつもの恐怖とは真逆のワクワクする高揚感だった。
 だが拝礼ののち、神社の縁起をみて思わず動揺する。祀られている二柱の名前だ。

 樋速日美光姫命 ヒハヤヒミヒカリヒメノミコト
 饒速日命 ニギハヤヒノミコト
 
「こ、これは、そうか、いよいよ私の番なのか」
 全身を駆け巡っていたセロトニン、ドーパミンが一挙に勢いを失う。あの幸福感は命を奪う前のきっと神様のあだ情けなのかも。でも、下の「饒速日命」とは陽菜先生の神社のご神体。(おみくじ)の作者とも云える。一体どうなっているの? 思案している彩花の横には、一族の不幸を嘲るように幸福な夢を託した多くの絵馬が吊り下がっていた。
 と、絵馬の前、高校時代の科学部の部長が居た。見慣れた制服と赤いメガネ。
「え? どうして、こんな処に。しかも、まだ高校生のまま?」
 部長はいつもの人懐っこい笑みを浮かべている。彩花は物理学の天才女子。頭の回転は速い。そうか。全く面識のない私を科学部に誘って、例の数式を見せ、神光を定義させ、陽菜先生の「白鷺神社」に導き、そして最後に(おみくじ)をひかせた。
 彩花は慌てて(おみくじ)を取り出そうとバッグを漁った。
「あれ、ない。何処にいったの?」
 焦る彩花。在ったのに今は見えない。物理学の矛盾の中にいるようだ。しかもただの矛盾ではなく。唯一の希望らしきものだった。解決されなくては。捜せば探すほど、心は焦燥感に満たされてゆく……。
「探し物はこれかな?」
 部長は(おみくじ)を掌に載せている。(おみくじ)は瑠璃光に輝いている。
 それで彩花はすべてを理解した。
「あなたは、部長はニギハヤヒ……」
 部長はゆっくり頷いた。
「ハハ、どうやら陽菜先生より鋭いようだ。絵馬に、(おみくじ)を手にして以来感じて来たことを素直に記しなさい。これはミヒカリヒメの意志でもある」
 言葉尻には有無を言わせない鋭さがあった。見識っていた部長とは違い声質も重々しかった。彩花は促されるままに記帳台に座る。そこには今も七色に輝く(おみくじ)が置かれている。手に取ると、スーッと恐怖心が薄れてゆく。溜まりに溜まった重石のようなものが消え去りもはや軽やかに清々しくもある。
 脳裏にはなぜか、白鷺神社で仲睦まじく暮らす陽菜先生と神主の旦那さんの姿が浮かぶ。
 彩花は想いを記した絵馬を掛け、参道横のベンチに腰かけた。部長、いや、ニギハヤヒの姿はすでになかった。おそらく光より速く消え去ったのだ。
 彩花は予知、予感のままに視線は絵馬に向けられている。
 北の大地に短い夏を告げる蒼し風が吹いた。
  ―
 小宮哲也は札幌の大学に入ってまもなく母を亡くした。郷里は群馬県前橋。進学する時に母からなるべく遠くの大学に行き、就職さえも、とにもかくにも遠い場所でとキツく言われた。  
 理由は判然とした。神様の祟り。哲也は十歳の時、五歳下の妹、香織が落雷死するのを目の当たりにした。炎天下に虫取りに興じる。火照った顔、額から汗粒が絶え間なく落ちる。と、青空がにわかに掻き曇り、山から吹き降りて来る冷たい風が汗ばむ肌を急激に冷やした。
 雲はどす黒い塊に変じ怪しげな光を放ちはじめる。幼目にも手児奈が迅雷に真っ二つの引き裂かれたように見えた。しかも頭上の暗雲の中に猛りくる神の影向を見た。畏ろしかった。
 妹の葬式の折に、母は泪ながらに神の祟りで死に追いやられる一族のありのままを語った。なるべく遠くの地へ逃げなさい。自分の身を案じてくれたのだ。でもそんな母も、くも膜下出血でアッサリ死んでしまった。今度は自分の心配をしなくてはならない。自分だけは助かるなどとの甘い考えはとうに捨てていた。
 哲也は愛する者の死を体験した。しかも複数。その結論として、自分を愛してくれる者(妻・家族)を持たないと決めていた。悲しみに打ちひしがれる人間を新たに作りたくない。
 この日も新規内定先の会社近くの神社にお参りする。もはや神仏が頼り。母もありとあらゆる神仏に願っていた。たぶん、息子の身の安泰を。絵馬に祈願の内容を記す。

 大切な母も亡くなりました
    誰かを哀しませたくないので 私は独りで最期の時を待ちます

 哲也は絵馬を拝殿脇の所定の場所へ。他人の絵馬を覗くのは悪い気がする。
 大好きな彼と幸せになれますように!
 素敵な彼と出会えますように!
 裏面を向いた絵馬にはこんなフレーズが。そうか、ここは縁結びの神様か。祈願には見当違いだったかな。哲也は苦笑しながら、そして次の絵馬を観た。刹那、好きな女子とキスをする時のとろけるような感情で溢れかえる。それは今まで自分に課してきた掟が崩れ去る瞬間だった。
 哲也は絵馬を見つめ、ふつふつと沸き起こる恋の予兆のままに周囲を見渡した。

  私の命はずっと神様のご機嫌次第でした
  それでもある時 神光が射した 恋の予感が沸き起こった 同じ境遇の貴方に逢えると
  そして 素敵な恋がしたい 静かにふたりで暮らしたい

 時を交わさず、ベンチの彩花と視線が交錯する。彩花と哲也、心は、光よりも神光よりも速い眩い瞬き、トキメキに満たされる。
 矢庭に、福地の園の住人、赤いメガネの部長が謂う。
 心の占(うら)ぞ正(まさ)しかりけり (恋の予感はあたるものだよ)

 陽菜が夜空に見つけた、映え映えしい美光姫はひと際、瞬いた。


                                   おしまい 
   (これは創作物語です。登場する人、団体、組織、個人は実在しません)
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