コロンボ・フォート駅にて

文字数 1,817文字

翌朝、私はひとりコロンボ・フォート駅の食堂で朝食を取っていました。
食事の内容はもちろんカレーです。

私は休暇旅行と称するドサ回りの最初の行き先、キャンディ行きの列車を待っているのです。
デワやボウイが駅まで見送ると言っておりましたが、断りました。
あまり大げさに見送られるのが気恥ずかしかったからです。

キャンディはスリランカではコロンボに次ぐ大都市で、古くは都だったところです。
ポロンナルワ、アヌラーダプラと合わせて、文化三角地帯とよばれる仏教遺跡群の一角でもあります。
私は今回の旅を単なるドサ回りに終わらせず、しっかり観光も楽しむつもりだったのです。

さてスリランカを旅する交通手段は主にバスか鉄道ですが、バックパッカー向けのガイドブックなどではバスの利用をさかんに薦めています。
理由はスリランカのバス網は全土を網羅しており、バスで行けないところはほとんどないということ。
そして世界一安いともいわれるバス料金のこともあります。
対して鉄道にはちゃんとしたタイムテーブルが無く、非常に不正確であるとも書かれていました。

しかし私の経験ではスリランカではちゃんとした時刻表が駅売店で売られており、そのタイムテーブルは驚くほど正確です。
列車はほとんど時間通りに到着し、発車します。
そもそもが秒単位で正確な日本の鉄道を基準にするのが間違っているのだと思います。

フォート駅はおそらくはイギリス統治時代に作られたものなのでしょう。
大きな時計塔を備えた、ヨーロッパ風のなかなか風情のある建物です。
私は朝食を終えると、プラットホームに行き列車を待つことにします。

ホームに向かう途中で、サリーを着た中年の女性に声をかけられました。
スリランカで見知らぬ女性に声をかけられることは、物乞いを除いてめったにありませんので驚いて立ち止まると、一冊のパンフレットのようなものを手渡されました。
手渡された小冊子はシンハラ語で書かれたものですが、一目でそれがなんであるか分かりました。
日本でも何度も手渡されたことのある「ものみの塔」です。
・・・エホバの証人か。

スリランカは仏教徒が70%、残りはキリスト教徒とイスラム教徒、そしてヒンドゥー教徒ですが、それぞれが先祖代々の宗教を信仰しています。
その敬虔な信仰が根強いスリランカで、新興宗教であるエホバの証人がこのような布教活動をしており、しかも明らかに外国人である私にまでパンフレットを手渡すとは。
その布教にかける熱意は見上げたものだと思いました。
私の空手普及活動などまだまだヌルい。これは見習わねば。
・・・と妙に感心したのを覚えています。

駅のホームで列車を待っていると、今度はネクタイを締めた身なりの良い男性に声をかけられました。

「失礼ですが日本の方ですか?」
「はい、そうです」
「どちらまで?」
「キャンディまで」
スリランカで見知らぬ男性から、このように唐突に話しかけられるのは珍しくはありません。

「私は医者なんですよ」
「はあ・・・そうですか」
「これからジャフナに向かうところです」
「え、ジャフナですか?」
ジャフナといえば、当時スリランカ政府軍が盛んに爆撃していた反政府ゲリラLTTE(タミル・イーラム解放の虎)の本拠地です。
当然、多くの戦傷者が居ることでしょう。
そこに向かう医者ということか?それはたいへんだな。

「それで日本の方、500ルピーくれ」
・・・結局それかよ!!

最初はボウイのようにあまり裕福でない階層の者だけかと思っていましたが、スリランカ人というのはそこそこ裕福そうな人でも、まるで挨拶のようにカネをせびります。
エリートコースのはずのコロンボ大学の学生にまで「マネ、マネ(Money Money)」と手を差し出されたことがある。
基本的に親切な国民性なのですが、その親切も有料であることが多いのです。

そしてスリランカ人すべてがそのような乞食根性ならまだ割り切れるのですが、完全に善意のみの人も少なくないのでかえって困るのです。
目の前に居る親切そうな御仁は、はたして純粋な善意の人なのか?それともカネ目的なのか?なかなか見分けがつかないからです。

さて、そうこうしているうちに目的地行きの列車がやってきました。
私は愛用のバックパックを肩に担ぎます。

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