サトミからの手紙

文字数 2,329文字

トミーさん、ごめんなさい。私は嘘をついていました。

パキスタンへは、親友の結婚式に出席するために行くと言いましたね。

本当は私の結婚式だったのです。


私が旅に出る前には好きな人が居たけど、お互いの距離が縮まらないうちに彼が遠くに行ってしまったというお話をしましたね。

あれは半分は本当のことでした。

彼はパキスタンからの留学生で、私が大学に入ったばかりの年に出会いました。

彼が留学していた大学は、私とは違っていたのですが、異文化交流のイベントで知り合ったのです。


イスラム圏の人々との交流はとても新鮮で楽しかったのですが、男性は日本に来ると驚くほどハメを外してしまう人が多いのですね。

パキスタン人の男性も、日本の女性をまるでオモチャのように扱う人が少なくなかったのです。

そんな中、彼は違っていました。

彼はそのような男性たちを軽蔑していました。それは神の教えに反することだと。

彼は堅物と言ってよいくらい真面目な人で、男性でも女性でも分け隔てなく誠実に接する人でした。


そんな彼が、私への思いを打ち明けてくれたのは出会ってから2年が過ぎてからでした。

そのときの私は、そう・・私の言い回しで言うと、波長の合う人だと感じたのです。

私も彼のことが好きだと感じていました。

彼の話す言葉のひとつひとつが、私にとって素晴らしく胸に響くものでした。


それからの彼との交際は、一緒に図書館に行ったり、街を歩いたり。食事したり。

たまに遠出しても、日帰りのピクニックだったり、そんな感じでした。

彼は私に指一本触れることはありませんでしたし、手もつないだことがありません。

それでもそんな彼とのデートに私は満足していました。


私が3年になったとき、彼は留学を終えて、パキスタンに帰国することになりました。

そのとき彼にプロポーズされました。

そして私はそのプロポーズを受け入れました。

私は本当に彼のことが好きでしたから。

彼は私の両親にも会ってくれて

それは簡単なことではありませんでしたが

最終的には、きちんと結婚の承諾を得てくれました。


私も彼の帰国に合わせて、パキスタンに行きました。

彼のご両親にも会いました。親類にも会いました。

結婚の日取りは1年後に決まりました。

そして、私はひとり日本に帰国したのです。


帰国してしばらくした私は、ひとり旅に出ることにしました。

イスラム教徒の妻になるということは、日本に比べると自由がかなり制限されます。

簡単に旅行に出かけるなんてことはできなくなるでしょう。

ましてやひとり旅なんてあり得ませんものね。

私は独身のうちに、最後の自由を味わおうと思ったのです。


インドを旅して、私は現地の人々や多くの旅人と出会いました。

毎日が事件のような、未体験の出来事も次々と起こりました。

それはとてもあわたただしかったけど、私の人生観を変えるほどのものでした。

ずうずうしいほどにエネルギッシュなインド人。

そして、自由気ままに旅する旅人たち。


そういう旅をつづけるうちに、私は今まで疑いもしなかった彼との関係に疑問を持ち始めました。

私たちはほんとうに、恋人同士だったのでしょうか?

旅先で出会ったカップルたちのように、お互いを必要としていて求め合っていたでしょうか?

もちろん彼が好きという気持ちは本当だったと思います。

彼も同じ気持ちだったと思います。

しかし私たちは、ただ親しい友人以上の関係ではなかったような気がしたのです。

そう考えると、彼との結婚や彼と共に歩む未来がとても不安に思えてきたのです。


そんなとき、あのゴールの街で私はトミーさんと出会いました。

打ち明けますが、私はこの旅の間に男の人から何度かアプローチされました。

中には強引な方も居て、危険な目にあったこともあります。

でも、トミーさんはそういう男の人たちとはぜんぜん違っていました。

パキスタンに居る彼と同じように真面目で、まっすぐで、純粋な人。

でも違うのは私を強く必要だと思ってくれていると感じたことです。

全力で私を求めてくれたことです。


私はあのとき、ほんとうに悩みましたが、トミーさんを選ぼうと決心しました。

トミーさんとなら、ほんとうに人生を共にできるかもしれないと思ったのです。

インドゥルワでの日々は、私にとって新しい人生の幕開けのようでした。

ほんとうに毎日が輝いていて幸せで楽しかった。

まるで少し先走りした新婚旅行みたいだと思っていたのですよ。


今さらこんなことを言っても意味ありませんね。

でも、あの日「いってきます」と言ってインドゥルワの宿を出たとき。

ほんとうに私はパキスタンに行って、彼との結婚を解消するつもりだったのです。

そしてバンコクで「ただいま」ってトミーさんに言うつもりでした。


しかしパキスタンに着いた私は、彼との結婚は不可逆なものであったことを悟りました。

私の到着を心から喜んでくれた彼の笑顔。

実の娘との再会のように迎えてくれた彼のご両親。

祝福のために集まってくれた、彼の友人たち。

私は引き返すことのできない道をすでに選んでいたのです。


トミーさん、私はもう戻れません。

私はとてもひどい女でした。

結局私は、私を愛してくれた2人の男性を裏切ったのですから。

これからの人生、私はこの罪を背負って生きて行きます。


トミーさんは今、私を憎んでいることでしょうね。

それは仕方のないことです。

でも、できることなら私のことは忘れてください。

勝手な言い分だとは思いますが、トミーさんには未来があります。


私はトミーさんのことを決して忘れないと思います。

厚かましいですが、それだけは許してください。

あなたと出会った日のことを。

あなたと過ごしたインドゥルワの幸せな日々を。

私はいつまでも忘れません。

                      サトミ
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