第10話 競艇場で大穴を買う

文字数 5,114文字

3月19日(日)
6日間の有休も4日目になった。
桐生競艇場行きの送迎バスのバス停が国道407号沿いにある。
家から歩いて5分くらいの所にある。送迎バスが9時頃に出る。
桐生競艇場までは約40分くらいだ。
父ちゃんの競艇行きは今日に限って母ちゃんの公認だった。
父ちゃんは朝7時ごろからコタツで、おおいばりで競艇新聞を見ていた。
競艇場の行き帰りで少し父ちゃんの昔話しを聞いてみようと思っていた。
父ちゃんにも小さい頃や青春時代があったはずだ。
父ちゃんが俺と同じ年代には何をしていたか興味が出てきた。

9時の桐生競艇場行きの送迎バスに乗り込んだ。
バスの中は半分くらいの席が埋まっていた。みんな同じような格好をしている。
ジャンバーに野球帽や鳥打帽子、手には競艇新聞と赤い色鉛筆を持っている。
父ちゃんと二人で座席に座った。バスの中は場違いな居心地の悪い空間だった。
父ちゃんは競艇新聞に赤鉛筆でマルや数字を書いている。
送迎バスは何箇所か周りながら人を集めていった。

父ちゃんに話をする機会をうかがっていた。
父ちゃんが競艇新聞を閉じて窓の外を見た。
話すチャンスがやってきた。最初に話す言葉は決めていた。
父ちゃんに競艇はやめてもらいたかった。面と向かっては絶対に言えない事だった。
父ちゃんの子供の頃の話を聞きたい。父ちゃんの青春時代の話も聞きたかった。
私と父ちゃんの違いを知りたかった。どんな性格の人間だったか知りたかった。
親の性格は子供にも遺伝しているはずだ。
父ちゃんは、私と二人だけになって気まずそうだった。
父ちゃんと二人だけになるなんて過去何回もなかった。
父ちゃんが競艇新聞を見ている間は昔の事を思い出していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
確か5~6歳の頃だった。
私が肺炎で熱を出した。母ちゃんが体温計で熱を計ってくれた。
40度近く熱があったようだ。外は真っ暗な深夜だった。
意識が朦朧としていた。寒さで体がガタガタ震えていた。
ぐったりと体の力が抜けて動けなくなってしまった。
母ちゃんは先に自転車で病院に行った。
深夜の病院のドアをたたき先生を起こしてくれた。
父ちゃんは私を毛布に包み、おんぶして病院に連れてってくれた。
病院の先生は私の様子を見て驚いていた。
「ダメじゃないですかこんなになるまで、このままじゃ死んじゃいますよ」
すぐに口に酸素吸入器を当てられて、腕に注射針で点滴をされた。
子供心にもこれで死ぬんじゃないかと思った。
ベッドの横では父ちゃんがじっと私を見守っていた。

私は意識が遠くなったり、戻ったりを繰り返していた。
体が浮いたように軽くなり、クルクルと闇の中に吸い込まれていった。
遠くのほうで父ちゃんの呼ぶ声が聞こえていた。
目を開けると目の前にはいつもの父ちゃんがいた。
父ちゃんはずっと私を呼び続けていた。
「たかし、たかし、だいじょうぶか」
「うん、父ちゃん体が熱いよ」
「注射したから、もう少しでよくなるよ」
「たかし、何か食べてえもんがあるか」
「うん、焼きそばが腹いっぱい食べてえ」
「よくなったら買ってきてやるから、頑張れよ」
「ほんと、父ちゃん約束だよ」
「うん、明日の朝になったら買ってきてやるから早く眠れ」
「あとな、まっ黄色なたまご焼きを1個全部食いてえ」
「それも買ってきてやるから、目をつぶってろ」
「もう、眠くねえ、父ちゃん何か話をしてくれ」
父ちゃんは新潟の山の中に生まれた。
雪深い田舎の事や父ちゃんの小さい頃の思い出を話してくれた、
父ちゃんを独り占めできたような気がして嬉しかった。
病気っていいなあと思っていた。

2日後病院から家に帰ると、焼きそばと玉子焼きがあった。。
かあちゃんは「たかしは一度は死んだんだよ」と言っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

横にいる父ちゃんはまだ競艇新聞を眺めていた。
バスはノンストップで競艇場に向かっていった。
競艇場行きのバスに乗り込んでから10分くらい経った。
「父ちゃん、あとどのくらいで着くん」
「今、治良門橋あたりだからあと30分くらいかな」
30分あれば色々聞けそうだ。準備していた質問をした。

父ちゃんの青春の頃を思い出してもらいたかった。
「父ちゃんはさ、俺と同じ年の頃には何をしていたん」
「18の頃か、う~ん、柏崎の工場で働いていたな」
「どんな仕事だったん?」
「オートバイの修理工場だよ」
「父ちゃんはオートバイが好きだったん?」
「別に好きじゃねえけど、丁稚奉公に出されたんだよ」
「何歳のとき?」
「尋常小学校を4年で終わったんだから、10歳位だったかなあ」
「ええ、10歳からもう働いていたん?」
「昔はみんなそうだよ」
「へえ~、小学校は4年しかなかったんだ」
「その小学校だってろくに行ってねえよ」
「なんで?」
「物心がついたときから、親父の仕事を手伝わされたよ」
「父ちゃんの親って何をしていたん?」
「頼まれた荷物を駅まで取りに行くんだよ。米や醤油、味噌や砂糖なんかだな」
「自転車かなんかで?」
「父ちゃんの小さい頃は、自転車なんか高くて買えないよ」
「じゃあ、何で荷物を運んだん?」
「荷車だよ、午後1時ごろ駅に着いた荷物を荷車に載せて何軒かに配るんだ」
「へえ~、自転車もなかったんだ。荷車ってリャーカーの事?」
「うん、村は坂道ばっかりだから、親父の後ろで荷車を押すんだよ」
「じゃあ、小学校もあんまり行ってないんだ」
「毎日仕事があるわけじゃないから、週に3日くらいは行ったかなあ」
「じゃあ、その時だけ勉強したんだ」
「教科書だって買うお金がなかったよ」
「じゃあどうやって勉強したん?」
「学校に何冊か本があってな、教科書を持ってない奴どうしで一緒に見るんだよ」
「へえ~、みんなで1冊の本を見るんだ」
「学校なんて毎日行ってねえから、ちっともわからなかったよ」

父ちゃんが本を読まないのは難しい漢字が読めないからだった。
父ちゃんが毎日つけている売上帳はカタカナと数字だけだった。
「へえ~、じゃあ、あんまり本なんて読まなかったんだ」
「本なんか家には一冊もなかったよ」
「じゃあ、暇な時は何してたん?」
「暇なんてねえよ」
「へ~、なんで?」
「小学校1年から新聞配達だよ」
「新聞配達やってたんだ?」
「新潟の田舎じゃな、朝5時からお昼ごろまでかかるよ」
「それじゃ学校は?」
「親父の荷物の配達の仕事がない時にはな、学校に行けたんだよ」
「何軒くらい配ったん?」
「俺は40軒くらいかなあ、兄貴が60軒、親父が100軒くらいやってたかな」
「それを、何年くらいやったん?」
「尋常小学校の4年までだよ、それから丁稚奉公さ」
「丁稚奉公って給料は出るん?」
「1年ごとの契約で、お金は会社の社長が全部親に払うんだよ」
「じゃあ、父ちゃんは一銭も貰えないん?」
「食うことと、寝ることはできるし、多少の小遣いくらいは出たよ」
「そのお金は何に使ったん」
「めったにお金をもらえねえから、大事にしまっておいたよ」

桐生の競艇場が見えてきた。
もともと競艇には興味がない。帰りのバスで続きを聞こうと思っていた。
競艇場には何千人という人が集まっていた。大きな沼の周りに沿って観客席がある。
あたり一面に新聞やハズレ券が散乱していた。
人生を捨てた人たちの集まりのような気がした。
大きな沼の中にはいくつかの旗が立っていた。
旗の周りを小さなモーターボートが軽快なエンジンの音を立てて練習していた。
父ちゃんの目が輝いてきている。

「たかし、いいか千円以上やっちゃあダメだぞ」
「わかっているよ、どうやって買うか教えてくれる」
「1番と2番を当てるんだよ。それが単複って言うんだ」
「父ちゃんは、どれを買うん?」
「予想屋に50円払うと、次ぎのレースの予想を書いた紙をもらえるよ」
「だって、予想屋だってわからないんじゃない」
「あいつらは専門家だよ、素人より知っているよ」
「でもいつも当たるわけじゃないんだろ」
「あたりまえだよ、いつも当たっていたら予想屋なんかやってないよ」
「父ちゃん、それじゃあ予想屋に聞くのはよそうや」
「馬鹿、親父にダジャレなんていう奴がいるか」
「父ちゃんは、いつもその予想をもとにして買ってるんだ」
「そのほうが当たる確率が高いんだ」
「全部で何レースぐらいあるん?」
「今日は8レースかな、初めに当たれば、その金でずっと最後までやれるんだよ」
「券は1枚いくら?」
「1枚100円だよ」
「ふ~ん。焼きそばが2個買えるね」
「ばか、焼きそば食ったらなくっちゃうじゃねえか」
「ほんとに増やせるんだよね」
「じゃあ、ここで待ってろ、予想屋に聞いてくるから」

会場では第1レースのアナウンスが始まっている。
選手の名前や出身地、船の色分け等を紹介している。
沼では六艘の色とりどりのモーターボートが波しぶきを上げて練習していた。


父ちゃんが帰ってきた。手には折りたたんだ白い紙を持っている。
紙を広げると3通りの数字の組み合わせが書いてあった。
「たかし、最初はこの中から選べ。父ちゃんはこれを1枚ずつ買ってくる」
「何、父ちゃん1レースで3通りも買うん?」
「そのほうが確立が高いんべえ」
「だけど、もし当たったって、残り2枚は無駄になっちゃうよ」
「それはしょうがねえよ」
「父ちゃん、俺はいいよ、自分で考えるよ」
「自分で考えたってあたりっこねえど」
「どうせ1回しかしないんだから、自分で決めるよ」
「金を捨てるようなもんだぞ」
「もともと、競艇なんかみんなお金を捨てに来てるんじゃねん」
「それ、父ちゃんに言ってるんか」
「ちがうよ、そんなもんかなって言うことだよ」
「大穴当てて家を建てた奴だっているんだぞ」
「その分誰かが損してるんだよね」
「そんなこと言ったら、競艇なんてできねえぞ」
「うん、これ1回であとはする気はないよ」
「たかし、早く決めないと時間になっちゃううぞ」
「父ちゃん、予想配当ってどっかに書いてあるん?」
「券売り場の壁に出ているよ、見に行くか?」

観客席の後ろのほうに大きな事務所みたいな建物があった。
大勢の人が並んでいた。
窓ガラス越しに小さな窓口から手を突っ込んで券を買っている。
その券の売り場の建物の壁に予想配当がパネルで掲示されていた。
そのパネルには数字の組み合わせによる配当金額の予想が表示されていた。

「父ちゃん、これにするよ “1-6” 720倍っていうやつ」
「馬鹿、そんな大穴は金を捨てるようなもんだよ」
「いいよ、今日はどっちみち捨てるつもりできたんだから」
「馬鹿、そんなん買うんじゃねえよ、もっと当たりそうな倍率の低いんを買え」
「いいよ、2倍だって500倍だって捨てるんには変りないよ」
「あとで泣いたってしらねえぞ。お金はもっと大事に使え」
「うん、今までだって1ケ月の生活日は2000円位だったよ」
「ほんとに1ケ月にそれだけしか使わなかったんか」
母ちゃんは内職で2000円稼ぐのに5日以上かかる。

あたりにいる人が急ぎ足で観覧席に吸い込まれていった。
「早くしねえと時間になっちゃうぞ」
「どうせ来ないんだから、じゃあこれを千円買ってくれる?」
「これじゃあ、1レースしか出来ねえど」
「うん、あとは父ちゃんのやるのを見ているよ」
「じゃあ、これでいいんだな、もったいねえなあ」
「その券、父ちゃんにあげるよ、たまには親孝行でもするよ」
「いらねえよ、こんな外れるとわかっている券なんか、こんなん親不孝だんべえ」
「いいよ、これで」
「おめはいつから親の言う事を聞かなくなったんだ」
「父ちゃん、早くしないと時間になっちゃうよ」

父ちゃんは自分のも含めて4枚買ってきた。
父ちゃんの買ってきた馬券の中に色が違うのが1枚あった。
ピンクの券3枚と緑の券が1枚だった。緑の券には「1-6」と印刷されていた。

「父ちゃん俺は10枚頼んだんだよ、当たらないと思ってずるすんなよ」
「馬鹿、緑の券は特券って言うんだよ、生まれて初めて買ったよ、もったいねえ」
「じゃ神様にお祈りでもするよ。宝くじよりずっと確率が高いよ」
「馬鹿、宝くじは運しかねえが、競艇は実力のあるもんが勝つんだよ」
「何が起きるかわかんないよ、船だってひっくり返る時もあるんじゃない」
「そんなことはめったにねえよ、テレビドラマじゃあるまいし」
「じゃあ、父ちゃん観覧席のほうにいく?」
「たかしの買ったのは連複で1-6だぞ、ああもったいねえ」

父ちゃんの目の前で大事なお金をわざと捨てるように使った。
当たらなそうなものを選んで買った。
競艇は不幸が99%、幸が1%よりも低いと思う。
娯楽や遊びと考えても、いい趣味だとは思えなかった。

言葉で親に説教することはできない。
子が親の真似をしてこんな事をやり始めたら大変だと思ってもらいたかった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み