第13話 貧しさは父親が作る

文字数 5,954文字

9時には家族全員がそろった。母ちゃんと姉ちゃんも炬燵に入ってきた。
母ちゃんがそれぞれのどんぶりにご飯を盛っている。
家では全員がどんぶりだった。うちではお替りの習慣はなかった。
姉ちゃんはおわんに味噌汁を盛っている。
父ちゃんの「いただきます」の渋い声で食事が始まる。
そのあと全員で「いただきます」を言って食べ始まる。
兄ちゃんは勝手にお酒を飲み始めた。

兄ちゃんが部屋の隅にある一升瓶に気が付いた。兄ちゃんが母ちゃんに聞いた。
「あれ、そこにある酒とビールは何?」
「たかしの合格祝いに近所の人が持ってきたんだよ」
「へ~、合格祝いか?じゃあ俺も飲んでもいいんだろ」
「飲みたかったら、たかしに断わってから飲みな」
「別にいいよ、買ったっていくらもしねんだから」
兄ちゃんのプライドが傷ついたようだ。

兄ちゃんは怒りっぽいので口の聞き方に気をつけなければならない。
「あんちゃん、俺そんなに飲まないから飲んでいいよ」
「別にアル中じゃねんだから、こんなに飲まねえよ」
「じゃあ、誰かにあげてもいいよ」
「そうか、来週仲間どうしで飲み会があるんだ、それに使わせてもらうか」
「いいよ、うちじゃ誰も飲まねんだから」
「ああ、少しお金が助かったよ、じゃあわりいな」

いつになったら家の話が始まるんだろう。母ちゃんもきっかけがなさそうだった。
「かあちゃん、この家前より少し傾きがひどくなってきたんじゃねん」
「うん、この間の地震でちょっとまた傾いたんみてえな」
「前に帰って来た時よりひどくなってるよ」
「今、その事で野村さんに相談しているんだよ」
「ああ、武政んちのかあちゃんのお兄さんのこと?」
「うん大工の棟梁さ、知ってるんべ、ほら、高林の野村建築って」
「うん、じゃあこの家を直してもらうん?」
「ここまでなっちゃうと、もう無理だって」
「じゃあ、何を相談してるん?」

わざとらしいけど他に方法がなかった。母ちゃんがそれをきっかけに話を始めた
「あのさ、野村さんが家を建てたらどうだって」
テレビを見ていたみんなが一斉に母ちゃんのほうを向いた。
父ちゃんは知らん振りをしている。
家が傾いている事はみんなわかっている。
新築するお金がないこともわかっている。
どうにもならないことは暗黙の了解で話題にしなかった。
貧しさの悲しさは、知っていても知らない振りをする事だった。
兄ちゃんが、母ちゃんの話が不自然だと感じ始めた。

不思議そうに兄ちゃんが母ちゃんに聞いた。
「そんなお金がなかんべに、新築なんていくらかかると思ってるん」
「まだ、聞いているだけだよ」
「どんな家だって最低500万はかかるんべ、月2万貯めたって10年はかかるよ」
「解体する家を建て直せば安く上がるってさ」
「安いっていくらくらい?」
「まだはっきりは聞いてねえけど、70万くらいって言ってたよ」
「そんな金はなかんべに、俺だってこれ以上は家に出せねえよ」

兄ちゃんは競艇で大穴を当てたことは知らない。
もっとお金を家に入れろと言われる事を恐れている。
兄ちゃんも姉ちゃんも、月1万円を家に入れている。
この時代、中卒の職工の給料は月に12,000円くらいにしかならない。
兄ちゃんは、突然のように出てきた家の話が信じられないようだった。

兄ちゃんの口の利き方は遠慮がない。だからいつも親と喧嘩になる。
「大丈夫なんかい、本当にお金が払えるんかい」
「最初頭金を入れれば、あとは月々少しずつ払ってくれればいいって」
「そんなうまい話があるかよ、騙されているんじゃねん」
「近所の人を騙すやつはいねえよ、棟梁は真面目に考えてくれているよ」
「だいいち、古い家なんか建て直したってすぐにだめになっちゃうし、体裁悪いだろ」
「大工が言うんだから大丈夫だろうよ、見えるところは新しい材木を使うってさ」
「70万でか?信じられねえな。じゃあ土地はどうするんだよ」
「野村さんちの本家で貸してくれるって」
「どこを?そんな土地があるんかい」
「あの野村一族の共同墓地があるだろう、あの隣の桑畑ならいいってさ」
「墓地のそば?いやだよ。俺に相談しないで勝手に決めるなよ」
「おめえに任してたら100年経ったって、家なんって建たねえよ」
「アパート借りたっていいがな、何も家なんて建てる事はねえよ」
「家ぐれえなければ、これから先みんなが帰ってくる所がねえだろ」
「いいよ家なんか、みんな外へ出て行くんだから、そんな金使うことはねえよ」
「おめえも家を出て行くって言うんか」
「そうさ、いつまでもこんな汚い家にいたくねえよ」

父ちゃんがタバコに火をつけながら、兄ちゃんに怒るように言った。
「クダクダ文句言わねえで、黙ってかあちゃんの話しを聞け!」

今度は姉ちゃんと母ちゃんの話しになった。
「あのさ、家が建つんのはいいんだけどさ、墓場の所はいやだよ」
「大丈夫だよ、墓場のほうは全部壁にしちゃえば気になんないだろう」
「でもさ、あの墓場は幽霊が出るって噂だよ」
「出るわけねえがな、墓場なんて仏様がいっぱいいてにぎやかだよ」
「だって、この辺はみんな土葬だよ、気持ち悪いよ」
「地べたを貸してくれるだけいいがな、こんないい話は他にねえど」


姉ちゃんは小さい頃、一人で便所に行けないような臆病者だった。
小心で臆病者は父ちゃんの遺伝かも知れない。兄弟全部が臆病者だった。
私の家の便所は家の外にあり、電気はついていなかった。
姉ちゃんが用を済ますまで便所の前にいてあげた事が多かった。
姉ちゃんは墓場の近くだけは嫌だと言う。
「こないだ雨の降った夜に、トミちゃんが墓場で火の玉を見たって言ってたんだよ」
トミちゃんは姉ちゃんの親友だ。そこのうちも貧しくてみすぼらしい家だった。
「かあちゃんあそこをいつも通るけど一度も見たことはねえよ」
「死んで1週間位経つと死体が腐るだろ、そうすると死体に燐ができるんだって」
「火の玉なんてあるわけねえよ、車のライトと見間違ったんだよ」
「違うよ、雨の日だけなんだよ。その燐が雨の水に反応して燃えるんだって」
「おめえ何でそんな事、知ってるん?」
「だって、トミちゃんに借りた本で読んだんだよ、幽霊って本当にいるんだって」
「大丈夫だよ、もし幽霊がいったって、悪い事してねんだから祟られねえよ」
私は結構こういう話が好きだった。怖いもの見たさと言うような気持ちがあった。

「やっぱり気持ちが悪いよ、もう一つあるんだよ」
「なんだよ、聞いてやるから、もうそれでお仕舞いにしな」
「去年の9月に死んだ、ヨネばあさんの話しを知ってる?」
「うん、野村さんちの新宅のばあさんだろう」
「あのばあさん本当は死んでいなかったんだって」
「そんなわけねえだろう~」
「あそこの紀美ちゃんさ、私の同級生なんだよ」
「知ってるよ、かあちゃんだってあのおヨネさんとよく話をしたんだから」
「ヨネばあさんが亡くなって1週間後に兄妹で墓場の草むしりをしたんだって」
「それがどうしたん、どこんちだってだって草むしりくらいするだろ」
「それがさあ、盛り上がった土の横から片手が出ていたんだって」
「それは、墓に土をかける時に使ったゴム手袋でも残っていたんだろうよ」
「ほんとなんだって、恐くなって兄妹で飛んで逃げてきたんだって」
「わかった、わかった、もうそのくらいでいいかい」
「あのばあさん、土に埋まったあと息を吹き返したんじゃないかって」
「もう、そのへんでやめな」
「そして苦しくなって、もがいて土の中から手を・・・・・」

建て付けの悪い雨戸が風でガタッと音をたてた。
なんだかあたりの雰囲気が不気味になってきた。
姉ちゃんの話が本当らしく聞こえてきた。

この村では葬式はみんな土葬だった。


葬式の事をジャンボンといい、鐘や太鼓を鳴らし墓地まで練り歩く。
長方形の白木の棺の中には亡くなった人が入っている。
それをリャーカーに乗せて墓地まで運んでいく。
先頭の人が鐘を鳴らし、次の人が銅鑼を鳴らす。
ジャ~ン・ボンという音がずっと墓場まで続く。
あとに続く親戚の人達はササラという竹籠を天に振りかざして墓地に向かう。
葬式の長い列はゆっくりと賑やかに墓地に向かっていく。
ジャンボンの音で近所の子供がどんどん集まってくる。
私は小さい頃からジャンボンが好きだった。
竹で編んだササラという籠にはお金が入っている。
ササラの中には10円玉や5円玉、たまに100円玉が入っている。
お金持ちの葬式ほどササラの中のお金の量が多かった。

墓地に着くと葬式の列はササラを激しく揺らしながら棺の周りを廻り始める。
そうするとササラの中からお金が降ってくる。
そのお金をキャーキャー言いながら子供達が拾い始める。
100円なんか拾ったときには天にも昇る気持ちになった。
それが終わると大人達が子供達にお供え物を配り始める。
お団子、みかん、りんご、時にはバナナもあった。
ジャンボンはお祭りの時より嬉しかった。
墓場には深い穴が掘ってあった。
棺を穴の中に入れ、家族がシャベルで土をかけて埋める。
土は小さな古墳のように形が作られる。
その上に花やお供え物を上げて、坊さんがわけのわからないお経を唱えていた。

葬式のあった日の夕方に、私は一人で誰もいない墓場に出かけていった。
墓場の中でゆっくりもう一度お金を探す。
丹念に草むらを掻き分けると5円や10円は必ず見つかった。
薄暗くなるまで見つけていた。墓場にはリンゴやだんごもお供え物も残っていた。
家ではめったに食べられないものが多かった。

父ちゃんに怒られて家を飛び出した時はその墓場に行って泣いていた。
そこには誰も来ない。泣いている時は特に墓場は恐いとは思わなかった。
母ちゃんはそれを知っていていつも墓場に探しに来た。
墓場には特に恐い思い出はなかった。

姉ちゃんと母ちゃんの話は続いていた。
「家ができる頃には、おめえ嫁に行くんじゃねんか」
「そうか、じゃあまあいいか、この倒れそうな家から嫁に行くよりいいか」
「かあちゃんもそれが気になっていたんだよ、この家じゃあ誰も呼べねえしな」
「お金は大丈夫?あたしが嫁に行っちゃうともうお金は入れられないよ」
「嫁に行った先までお金は取りに行かないよ」
「宮田さんも給料そんな多くないから、しばらくは共働きをするよ」
「それより宮田さんは次男坊なんだろ~、住む家はあるんかい」
「うん、宮田さんが親から貰った畑に家を建てるって言ってたよ」
「へえ、しっかりしてるんだな、多少親からお金を貰うんだろ」
「それはわかんねんだけど、10月には小さい家ができるって」
「いいとこへ嫁にいけたな~、宮田さんを大事にしろよ」
「うん、言われなくっても大事にするよ」

弟はわれ関せずという感じでテレビを見ている。
兄ちゃんは酒がコップに三杯目になっているようだった。
一升瓶からまた酒を注ごうとした時に父ちゃんに怒られた。
「おめえ、もういい加減にしろ」
「いいがな、いっぱいあるんだから」
「少しはおめえも家の事を考えろ」
「いいよ俺は、いつまでもこの家にいねえから」
「ああ、おめえなんかに面倒見てもらおうとは思っちゃいねえよ」
「たかしにでも面倒見てもらったほうがいいよ」
「馬鹿、たかしは次男坊だぞ」
「俺よりいいだろ、大学も行くっていうし、卒業すればいい給料貰えるじゃねん」
「おめえだって、パチンコしなけりゃもっと楽になるんだぞ」
「父ちゃんには言われたくねえよ、競艇よりいいよ」
「こん畜生、親を舐めやがって、いつでも出て行け」
「ああ、そのうち出て行くよ」
「まったく、こんなガキの面倒見るんじゃなかった」
「子供の面倒をみるんは親の役目だよ」
「てめえみてえな子供にする気はなかったんだよ」
「俺だって生んでくれって頼んだわけでもねえよ」

兄ちゃんは父ちゃんの競艇が気にいらないようだ。
それは私も同じだった。ただ、口にできないだけだった。
私の家の運命は父ちゃんの賭け事から狂い出したのかもしれない。
その運命を兄ちゃんが受け継いでいる。
パチンコとか競艇の問題じゃないことを二人とも気づいていない。
どっちも損をする事には変わりない。地道に長い期間貯めたほうが多くなる。
先の事を考えて、創意工夫する事をわかっていない。頭を使っていないのだ。

かあちゃんが二人の言い争いを止めに入った。
「二人ともやめな、やっと生活が楽になったかと思ったらこのざまなんだから」
「かあちゃん、悪いけど俺この家出て行くよ」
「とうちゃんは、もう競艇はやめるって言っているだろ~」
「それだけじゃねんだよ、いつまでもガキ見たいに怒られるのがいやなんだよ」
「おめえがいつも親に逆らうからだよ」
「いいよ、もう説教なんて聞きたくねえよ」
「好きにしな、いつ出て行ってもいいから、気が向いたら帰ってきな」
「かあちゃん、たかしにでも面倒見てもらいな」
「子供がいなくなればな、夫婦二人で何とか食っていけるよ」
「俺だって好きで出て行きたいわけじゃねえよ、もっと楽しくやりてんだよ」
「とうちゃんだって、もう競艇はやらねえっていうし、他に何があるんだい」
「夫婦喧嘩ばかりしているからだよ、それにこんな家じゃあ友達だって呼べないよ」
「だから、とうちゃんだって、かあちゃんだってやっと家を建てる決心したんだよ」
「俺だっていつかは家を建てるから、その時は二人とも呼んでやるよ」
「そうかい、あてにしないで待っているから、おめえもパチンコ止めて頑張りな」
「そういう事言うから、嫌になっちゃうんだよ」

なかなか兄ちゃんと母ちゃんの話が噛み合わない。
「父ちゃん、遅くなっちゃうから先にお風呂へ入りな」
父ちゃんはプイッと立ち上がってお風呂に向かっていった。

兄ちゃんはいつも私と比較されて怒られていた。
私にも言いたい事がいっぱいあった。
私がここで口を挟むともっと大きな言い争いになる。
加藤の家族は自由に意見が言える。同じ貧乏でもこの差が大きい。
生活の貧しさと心の貧しさは次元の違うものだった。
私の家はどちらも貧しかった。父ちゃんはまだその事に気づいていない。
父ちゃんが優しければみんなで意見が言える。
意見が言えればいい案も出てくる。いい案が出てくれば暮らしも変わる。
生活は貧しくても幸せな気分になれる。幸せな気分になれればいい思い出が残る。
貧しさは父親が作っている。父親が自分の家族の運命を作っている。

時間は夜10時をとっくに過ぎていた。
家族がこんないっぱい話したのは初めてだった。
穏やかな話し合いではなかったが話をすると何かが変わっていく。
喧嘩しながらも自分の思いを言うことで見えてくるものがある。

家族の形が変わろうとしている。
親の時代から子どもの時代に変わる節目のようだった。
それぞれが新しい人生を歩き始めて行く。
舞台は変わっても、それぞれがドラマの主人公となって旅立っていく。
また父親の考えが新しい家族の人生を決め、またその子供へと運命の連鎖が続いていく。
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