第7話 帰りの夜行列車の中で

文字数 4,294文字

窓の外は真っ暗になっていた。列車は姫路駅を通過していく。
姫路駅近くの夜景がきれいだった。
遠くには灯りに浮かび上がったお城が見えた。
しばらくは夜景を眺めて過ごした。



前に座っている親子は窓からの景色をあまり見ない。
旅慣れしている様子だった。
女の子は表紙に「よいこ」と書かれた本を読んでいる。
お母さんは毛糸の玉を取り出して何か編み物を始めていた。
長時間の旅の暇つぶしを準備してきたようだった。

夜の8時ごろだった。東京までならあと12時間近くある。
「ママ、お腹すいた~」
「あそう、ちょっと待ってね」
お母さんはバックの中から携帯用魔法瓶を取り出した。
それから白いハンカチに包んだサンドウィッチを取り出した。
魔法瓶の蓋がコップ代わりになっていた。
サンドウィッチには、玉子と野菜が入っているようだった。
“ママ”と言う呼び方は今まで現実には聞いた事がなかった。
テレビでの外国のドラマで時々耳にするが、現実に聞くのは初めてだった。
田舎では殆どの子が「かあちゃん」と言っていた。
村で何人かだが、裕福な家の子が「おかあさん」と言うのを聞いたことがある。
一度は「おかあさん」と言ってみたいなと思っていた。
「おかあさん」は優しい雰囲気がして羨ましかった。
結婚して家庭を持ったら、子供には「おとうさん」と呼ばせようと思う。
子供の食事をきっかけに私も岡山駅で買った幕の内弁当を食べた。
女の子は私の弁当を羨ましそうに見ていた。

「ママ、何時ごろ東京に着くの?」
「明日の朝、8時ごろよ」
「パパは明日休みなの?」
「そうよ、パパが明日上野動物園に連れて行ってくれるって」
「ホント、じゃあぞうさんが見られるの?」
「そうよ。だから、おとなしくしていてね」
「うん、パパは今日もお仕事しているの」
「そうよ、パパにあうのは1ヶ月ぶりね」
「うん、うれしいね」
「早くサンドイッチを食べちゃいなさい」
「うん、もういい」
「残さないでちゃんと食べなさい」
「うん、ねえママ?いつから東京に住むの」
「もう少しパパの仕事が落ち着いたらね」
「ねえ、夏休み頃にお引越しするの?」
「そうね、その頃になるかしらね」
「待ち遠しいね、パパがいないとつまんないね」
「だから、それまでリカちゃんもママの言う事をよく聞いていい子にしていてね」
「うん、リカ、いい子にしてる。ママの言う事をよく聞く!」

本を読んでいる振りをして二人の会話を聞いていた。
この子のお父さんは単身赴任しているようだ。
1カ月に1回親子で父親の住んでいる所へ会いに行くようだった。
夏休みの頃には引越しして家族3人で生活するのだろう。
優しい家庭の雰囲気が感じられる。
人の会話を聞くのは本を読んでいるより面白かった。
自分の未来の理想の生活の形があるような気がした

列車の中では・・・・・・
編み物をするママ。
東京で働いているパパ。
可愛くて素直な子供。
明日は上野動物園に行く3人の親子連れ。

太田の田舎では・・・・
内職をしているかあちゃん。
日曜日には競艇に行く父ちゃん。
パチンコばっかりしている兄ちゃん。
だんだん家を出て行ってしまう子供達。
明日はその田舎に行く自分。

この差はどこから生まれてくるんだろう。
父親の運命が家族の運命なのかもしれない。
父親が家族の運命を決めているような気がする。

今、私の前にいる親子。自分の家族。本の中の伊吹信介の親子。
列車の中で3つの家庭の生活を想像しながら過ごしていた。
自分の未来は自分が選択しながら決めていける。
父親の人生はそのまま家族の人生を作っていく。

9時になると車掌が廻ってきて2段ベッドを作っていった。
私は2階のベッドにもぐりこみ、また孤独な空間を楽しむ。
空想をしたり、本を読んだり、ウトウトしたり、孤独の空間は心地よい。

朝8時半に東京駅に着いた。有給休暇も3日目に入った。
行きも帰りも寝台車で過ごしたせいか体がぐったりしていた。
駅の近くの地下街に「東京温泉」というお風呂屋さんがあった。
そこで1時間ほどお風呂に浸かってゆっくり過ごした。

持参した下着やタオルが役に立った。
寝台列車の往復で34時間あまり過ごした。長く感じた2日間だった。

思い付きの一人旅が、私の人生の節目のようなものを感じた。
誰にも煩わされることもなく自分の行く末を好きなように想像できた。
たった2日間の一人旅なのに、人として一人前になっていくような気がした。
周りの大人が少しずつ恐くなくなってきた。

熱めのお風呂に浸りながら「人生劇場」のセリフを思い出していた。
以前早稲田大学の見学に行ったとき、古本屋で見つけた小冊子があった。
「早稲田大学応援歌」10円だったので他の小説とともに購入した。
尾崎士郎の「人生劇場」の小説をもとに歌にしたものだった。


薄っぺらな冊子だったのでいつも胸のポケットに入れておいた。
少しでも自分の体に早稲田の匂いをつけておきたかった。
その中に「早稲田大学第二校歌」があった。ゴロのいい歌詞に興味を持った。
この「早稲田第二校歌」も暗記をし始めた。
意味のないものでも暗記をする習慣がついている。

人生劇場(早稲田大学第二校歌)
1  やると思えば どこまでやるさ
   それが男の魂じゃないか
   義理がすたれば この世は闇だ
   なまじとめるな 夜の雨

2  あんな女に 未練はないが
   なぜか涙が 流れてならぬ
   男ごころは 男でなけりゃ
   わかるものかと あきらめた

3  時世時節は 変わろとままよ
   吉良の仁吉は 男じゃないか
   おれも生きたや 仁吉のように
   義理と人情の この世界

4  端役者の 俺ではあるが
   早稲田に学んで 波風受けて
   行くぞ男の この花道を
   人生劇場 いざ序幕 

5  早稲田なりゃこそ 一目でわかる  
   辛い浮き世も 楽しく生きる
   バカな奴だと 笑わば笑え
   人にゃいえない こころいき 
「人生劇場」と自分の人生が重なってくる。

あと2週間後には夢のような大学のキャンパスの中にいる。
これからはすべて自分で決めていく。
それにしても、どうも太田の田舎に帰るのは苦手だ。
父ちゃんや母ちゃんの前ではどうしても言いたい事が言えない。
親に口答えしてはいけないし、自分の意見など言えるよう家庭ではなかった。
おとなしくしていれば何とか無難に通り過ぎる生活だった。

2月26日の合格発表から1ヶ月を経過したがまだその事は言っていない。
父ちゃんに怒られるような気がしてまだ言う決心がついていない。

4年前、高校に入る時に父ちゃんに約束させられた。
「いいか、たかし。おめえだけを昼間の高校へ行かせてやるんだぞ」
「うん」
「うちはなあ、昼間の高校に行けるような身分じゃないんだぞ」
「うん、わかってるいるよ」
「ねえちゃんも、兄ちゃんも定時制に行きながら、働いているんだぞ」
「うん」
「高校を卒業したら姉ちゃんや兄ちゃん以上に家にお金を入れなけりゃだめだぞ」
「うん」
「姉ちゃんだって兄ちゃんだって、そうしなけりゃ納得いかないんだぞ」
「うん」
一言でも口答えをしたら、それで高校へは行けなくなる。

まだ、最初の給料で5千円を仕送りしただけだった。
父ちゃんとの約束は果たしていない。
アルバイトをしながら大学へ行くと言えば何を言われるかわからない。
行くなといわれたら今度は本当の家出をしなければならない。
家とは一生の縁を切らなければならないと思った。
そんな口論になるのが恐かった。実家に帰るのがどうしても気が重い。

父ちゃんの事を思い出すと、自分の考え方が貧しくなってくる。
理屈が通じるような父ちゃんはではない。
学校の先生のように、頭を使って生きている人間が嫌いな性格だった。
「汗水たらして働かなけりゃ、働らいたうちにはいらねえ」が口癖だった。
それが違う事は子供ながらにわかっていた。

その父ちゃんの一番苦手な職業になろうとしている。
父ちゃんの前では何も言えない子供になってしまう。
小さい頃にいたずらをしてよく父ちゃんに殴られた。
言う事を聞かないとご飯を食べさせてもらえなかった。
父ちゃんってこんなに憎いものかと思った事もあった。
言い訳は聞いてもらえなかった。
少し口答えしただけで頭や頬をひっぱたかれた。
父ちゃんは加減をしていたかもしれないが、子供にとっては恐ろしかった。
母ちゃんとよく夫婦喧嘩をしていた。
父ちゃんのほうが悪いと思える事でも母ちゃんを泣かしていた。

重い気持ちで東京駅から上野駅に向かった。
上野駅の電車に乗れば3時間足らずで田舎の実家に着く。
上野駅の公衆電話で加藤の家に電話した。
電話口に弟のチャーボーが出た。
「おお、チャーボーか、あんちゃんいる?」
「あ、早川君か、ねえ、早稲田合格したん?」
「うん、なんとかな」
「すっげえ~、やったね~、今どこにいるん?」
「今な、上野駅なんだよ、今日はあんちゃん仕事か?」
「あの工務店はさ、土曜日は午前中で終わりだよ」
「じゃあ、午後にはうちにいるんだな」
「うん、今日も午後からみんなで麻雀だよ、早川君も早く来いよ」
「うん、1時ごろには行けるよ、あんちゃんにも言っておいてくれよ」
「早く来いよな、一緒に麻雀やろうよ」
「うん、あとさ、文敏は東大受かったか?」
「それがさ、だめだったんだよ」
「ええ、じゃあどうしてるん?」
「滑り止めの、明治には入ったんだけどさ」
「じゃあ、明治にいくんか?」
「ちいあにーはさ、浪人しても東大に入りたいんだって」
「それで、どうするん?」
「うん、毎日親ともめているよ。いやんなっちゃうよ」
「そうなんだ、どこも色々あるんだな」
「うちの生活レベルじゃ、浪人なんかできないよ」
「明治は私立だから授業料高いだろう」
「うん、それで毎日親と喧嘩してるんだよ。なんでそんなに勉強したいんかなあ」
「チャーボーには、わかんねえだろうな。じゃあ1時頃には行くからな」
「うん、待っているよ。お土産はいらないからな、エヘヘ!」

加藤の家にも事情があった。加藤の家では話し合える親がいる。
子供と喧嘩のできる親子の関係が羨ましかった。
加藤の弟のチャーボーは今年の4月から工業高校へ行く。
すでに大学はあきらめている。生意気だが憎めない性格の人間だった。
天性の明るさを持っている。勉強が嫌いかどうかは本当の所はわからない。
東大を目指す次男坊の文敏を優先している。
チャーボーはすでに自分の大学進学の夢は捨てている。

家に帰る前に途中で加藤の家によることにした。
これでやっと太田に帰る気持ちのきっかけができた。
このままいけば昼頃までに太田につくが、家には夕方頃に帰るよとあいまいな電話を入れた。

上野駅10:15分発の高崎行きの普通列車に乗り込んだ。
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